今年のアカデミー賞授賞式をWOWOWで見ました。以前は必ず行われていたトリビュートのコーナーは今年もなく、唯一の収穫だったのは、撮影監督のロバート・リチャードソンが思っていた通りの風変わりな風体の男だったことと、40年前に既に老人だったマックス・フォン・シドーがまったく変わらない姿で出演していたことでした。
さて、昨日の続きです。
翌日、ふと思いついたメロディを五線譜に書いておこうとケイコの書斎に入ったジョンは、そこで「わたしは夫の悪夢を知っている」という書き出しの彼女の原稿をつい読んでしまう。そして《アネモネ医院》に行き、最後のマッサージの途中から医者が催眠術にかけようとしていることを暴き、その場にケイコも呼び出す。ケイコは夫が悪夢でよくうなされていたことから、それを催眠療法によって治療してもらおうと思ったことをあっさりと認めた。医者はジョンが無意識のうちに森でトラウマの対象と遭遇して和解し、治癒してきたのだと言う。病院をケイコと出ると、やはり濃い靄に包まれていて、キースとすぐに出会うと、彼はジョンのおかげで現世とあの世がほとんど重なってしまっていると言う。ジョンはケイコに医者とアテナを呼びに行かせ、彼らが会いたい死者と会わせている間に、息子がいなくなっているのに気付く。ジョンは自分の母が自分と勘違いして連れていってしまったと思い、あの世との境へと向かい、そこで母に会うと、母が虐待されて育ち、その結果ジョンを育てる自信を失っていたことを知り、無事現世に息子を連れ戻すことに成功すると、息子はいつも母が自分に持って来てくれていたキャンディを握りしめていた。
翌日、ケイコと息子、それに息子の乳母のタオと精霊流しに行ったジョンは、橋がまた笑いだすのを聞く。タオはこの橋はあの世とこの世の分かれ目という意味の名前がついていると言い、それで合点がいったジョンは急に腹痛に襲われ、12日分の大便をしに林の中に走った。そしてその夜、息子のそばに添い寝してやったジョンは、親の庇護を示す歌を息子に自然に語り出すのだった。
明らかにジョン・レノンをモデルとしているのだと思いますが、巻末には「この作品はフィクションであり、実在する人物(あるいはかつて実在した人物)とは一切関係がありません。」とありました。内面的な描写が多く、奥田さんの作品としては少し退屈だったように思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、昨日の続きです。
翌日、ふと思いついたメロディを五線譜に書いておこうとケイコの書斎に入ったジョンは、そこで「わたしは夫の悪夢を知っている」という書き出しの彼女の原稿をつい読んでしまう。そして《アネモネ医院》に行き、最後のマッサージの途中から医者が催眠術にかけようとしていることを暴き、その場にケイコも呼び出す。ケイコは夫が悪夢でよくうなされていたことから、それを催眠療法によって治療してもらおうと思ったことをあっさりと認めた。医者はジョンが無意識のうちに森でトラウマの対象と遭遇して和解し、治癒してきたのだと言う。病院をケイコと出ると、やはり濃い靄に包まれていて、キースとすぐに出会うと、彼はジョンのおかげで現世とあの世がほとんど重なってしまっていると言う。ジョンはケイコに医者とアテナを呼びに行かせ、彼らが会いたい死者と会わせている間に、息子がいなくなっているのに気付く。ジョンは自分の母が自分と勘違いして連れていってしまったと思い、あの世との境へと向かい、そこで母に会うと、母が虐待されて育ち、その結果ジョンを育てる自信を失っていたことを知り、無事現世に息子を連れ戻すことに成功すると、息子はいつも母が自分に持って来てくれていたキャンディを握りしめていた。
翌日、ケイコと息子、それに息子の乳母のタオと精霊流しに行ったジョンは、橋がまた笑いだすのを聞く。タオはこの橋はあの世とこの世の分かれ目という意味の名前がついていると言い、それで合点がいったジョンは急に腹痛に襲われ、12日分の大便をしに林の中に走った。そしてその夜、息子のそばに添い寝してやったジョンは、親の庇護を示す歌を息子に自然に語り出すのだった。
明らかにジョン・レノンをモデルとしているのだと思いますが、巻末には「この作品はフィクションであり、実在する人物(あるいはかつて実在した人物)とは一切関係がありません。」とありました。内面的な描写が多く、奥田さんの作品としては少し退屈だったように思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)