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奥田英朗『ウランバーナの森』その2

2012-02-29 09:44:00 | ノンジャンル
 今年のアカデミー賞授賞式をWOWOWで見ました。以前は必ず行われていたトリビュートのコーナーは今年もなく、唯一の収穫だったのは、撮影監督のロバート・リチャードソンが思っていた通りの風変わりな風体の男だったことと、40年前に既に老人だったマックス・フォン・シドーがまったく変わらない姿で出演していたことでした。

 さて、昨日の続きです。
 翌日、ふと思いついたメロディを五線譜に書いておこうとケイコの書斎に入ったジョンは、そこで「わたしは夫の悪夢を知っている」という書き出しの彼女の原稿をつい読んでしまう。そして《アネモネ医院》に行き、最後のマッサージの途中から医者が催眠術にかけようとしていることを暴き、その場にケイコも呼び出す。ケイコは夫が悪夢でよくうなされていたことから、それを催眠療法によって治療してもらおうと思ったことをあっさりと認めた。医者はジョンが無意識のうちに森でトラウマの対象と遭遇して和解し、治癒してきたのだと言う。病院をケイコと出ると、やはり濃い靄に包まれていて、キースとすぐに出会うと、彼はジョンのおかげで現世とあの世がほとんど重なってしまっていると言う。ジョンはケイコに医者とアテナを呼びに行かせ、彼らが会いたい死者と会わせている間に、息子がいなくなっているのに気付く。ジョンは自分の母が自分と勘違いして連れていってしまったと思い、あの世との境へと向かい、そこで母に会うと、母が虐待されて育ち、その結果ジョンを育てる自信を失っていたことを知り、無事現世に息子を連れ戻すことに成功すると、息子はいつも母が自分に持って来てくれていたキャンディを握りしめていた。
 翌日、ケイコと息子、それに息子の乳母のタオと精霊流しに行ったジョンは、橋がまた笑いだすのを聞く。タオはこの橋はあの世とこの世の分かれ目という意味の名前がついていると言い、それで合点がいったジョンは急に腹痛に襲われ、12日分の大便をしに林の中に走った。そしてその夜、息子のそばに添い寝してやったジョンは、親の庇護を示す歌を息子に自然に語り出すのだった。
 
 明らかにジョン・レノンをモデルとしているのだと思いますが、巻末には「この作品はフィクションであり、実在する人物(あるいはかつて実在した人物)とは一切関係がありません。」とありました。内面的な描写が多く、奥田さんの作品としては少し退屈だったように思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

奥田英朗『ウランバーナの森』その1

2012-02-28 10:33:00 | ノンジャンル
 サム・ライミ監督の'99年作品『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』をDVDで見ました。引退間近のかつての大投手(ケヴィン・コスナー)が優勝目前のヤンキース相手にヤンキースタジアムで完全試合を行い、それによって彼の元を去ろうとしていた恋人とよりを戻すという映画でしたが、訳知り顔のケヴィン・コスナーの独白が多く、感動のラブストーリーというものの扱いがいかに難しいものかということを再認識しました。見ていて気恥ずかしいほどの凡作で、ライミ監督作品では最低の出来なのではないでしょうか?

 さて、奥田英朗さんの'97年作品『ウランバーナの森』を読みました。
 76年から4年連続でジョンは、平和運動や講演、執筆といった仕事をしている妻のケイコ、それに幼い息子と夏の休暇を軽井沢で過ごしていた。ジョンは4年前に音楽活動を休止させ、主夫として息子と多くの時間を過ごしていた。
 ある日、ジョンは自分が17才の時に亡くなった母の声音で自分の名前を背後から呼ばれ、当時の記憶が甦り泣きそうになるが、もちろんそれは赤の他人が自分の子に向かって呼んだ声だった。しかしジョンは再び母の声を聞き、橋が笑っているのを聞く。その3日後、4年ぶりにジョンは不安神経症の発作に捕えられ、ハンブルグでクスリをやりながら追い剥ぎをしていた時、反撃してきた相手を殺してしまった悪夢がまた甦って来たと思うと、今度は激しい腹痛に襲われた。
 数日後、病院に行ったジョンは検査では異常はないとされ、念のため注射を打たれ薬をもらう。ジョンは中学生だった頃、既に立派な街のゴロツキで、弱い物虐めを楽しみ、良識的なものへの嫌悪で満ちていた。しかし今、息子には自分のできなかった普通の甘くてせつない青春の日々を送ってもらいたいと思っているのだった。
 数日後、ジョンは腹痛が治らず、便秘していることにも気がついて、薬局で便秘薬を買って飲んでみるが効果がなく、浣腸を試してみてもダメだった。ケイコに探してもらった、新たな病院《アネモネ医院》に行くと、そこには医者とアテナという名の美しい看護婦だけしかいず、腹痛は心因性のものかもしれないと医者は言い、最後にマッサージをしてくれる。病院を出ると濃い靄が漂っていて、ジョンはそこで追い剥ぎで殺したはずの男に出会い、殴り返されるが、彼が死んでいなかったことに安堵する。
 翌日も《アネモネ医院》に行きマッサージを受けた後、病院を出ると、やはり濃い靄が漂い、今度は人生で最初にセックスした女性の母親に出会った。ジョンは最初に彼女に会った時に彼女を侮辱するようなことを言ったことを詫びると、彼女は気にしていないと笑ってくれる。しかしその夜、ジョンは自分を捨てていった父と母のことを悪夢として思い出す。
 次の日《アネモネ医院》からの帰りに濃い靄の中で出会ったのは、親交があったキースに連れられてきた、かつてのマネージャー、ブライアンだった。キースはジョンと親交があった奇人で、ドラッグの大量摂取で78年に死に、ブライアンは当時ジョンに愛情を抱くも、ジョンは彼を罵倒してストレスを発散させていた。そしてジョンのバンドが公演活動を休止すると、ブライアンも仕事を奪われ生きがいも失い、薬物依存症によって衰弱死していた。ジョンはブライアンに許しを請い、彼を抱き締めると、やがて彼は靄の中へ消えていく。(明日へ続きます‥‥)

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サム・ライミ監督『ギフト』その2

2012-02-27 18:21:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 検察官はアニーを呼び出し、被害者の爪からドニーの皮膚が見つかったことを告げた後、証人として協力してほしいと言いますが、その検察官はジェシカがパーティの時に浮気していた相手でした。法廷で、アニーは弁護士から霊感がいかにいいかげんかと嫌がらせを受け、ドニーはジェシカと浮気していて、彼女とケンカしたことまでは認めましたが殺してはいないと言い、アニーを魔女呼ばわりして法廷から連れ出され、結局有罪となります。動揺して法廷から出て来たアニーは、今すぐ話をしたいと法廷の外で待っていたバディの話を聞いてやれませんが、するとその夜、バディは幼い頃に折檻をして、青いダイヤの刺青をした父を椅子に縛りつけて暴行し、駆けつけたアニーももう友人ではないと言って、父にガソリンをかけて火をつけ、警察に連行されます。
 その後、訪ねてきたヴァレリーに、ジェシカが死んでよかったと思っていると告白されたアニーは、彼女が真犯人かもしれないと動揺し、夜に現れたジェシカの死体の幻影もアニーを罵倒します。アニーは憔悴しきっているウェインの元を訪れ、ドニーが真犯人とは思われないと言い、ウェインをカードで占うと、自分が殺される幻影を見ます。彼女は検察官にジェシカとの浮気をばらすと脅して再審するように迫りますが、そんなことをすれば彼女の命が狙われることになると検察官は警告します。
 嵐の中、家に戻ると、一瞬バディの姿が見えます。そこへ現れたウェインは事実を知りたいと言って、彼女を死体が発見された池に誘い出すと、アニーは真犯人がウェインであることを知りますが、その彼女の様子を見たウェインは彼女に襲いかかり、幻影通り自分が殺されそうになった瞬間、そこへ現れたバディが助けてくれます。バディは倒したウェインとともにアニーを警察に連れていってくれ、警官はウェインが犯行を自供したことを教えてくれますが、車に戻るとバディはいません。警官はバディが今夜6時に病院で首吊り自殺したことをアニーに教えてくれるのでした。
 自宅に戻って、すやすやと眠る息子の元に、父と過ごした日々を記録したアルバムがあるのを発見したアニーは改めて、3人の息子とともに夫の墓参りへ向かうのでした。

 アメリカ南部の独特の雰囲気の中で展開される悪夢の連続でしたが、サム・ライミ監督ならではの青を基調としたシャープな映像が楽しめました。ケイト・ブランシェットの代表作の一つともなるであろう映画です。

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サム・ライミ監督『ギフト』その1

2012-02-26 09:34:00 | ノンジャンル
 サム・ライミ監督の'90年作品『ギフト』をDVDで見ました。
 3人の幼い息子を持つアニー(ケイト・ブランシェット)はカード占いで生計を立てていて、夫のドニー(キアヌ・リーヴス)からDVを受けているヴァレリーには夫と別れた方がいいとアドバイスをします。長男がまた学校でケンカをしたとして教師のウェインに呼び出されたアニーは、去年父親を失って情緒が不安定になっていると言いますが、そこへ現れたウェインの婚約者ジェシカの傷だらけの足のイメージが一瞬見えてしまいます。一方、車の修理工のバディは、青いダイヤを見ると死にたくなると訴え、彼に唯一の友人だ言われたアニーは彼を慰めます。その夜、アニーの元を訪ねて来たドニーは、アニーのことを魔女呼ばわりし、今後また妻と会ったら呪い殺してやると言って去ります。昼間ドニーとは別れられないとまたアニーに訴えに来たヴァレリーは、ドニーに暴力的に連れていかれます。するとアニーの霊感を神からの授かり物と言ってくれていた今は亡き祖母が現れ、アニーを励まし、嵐が来そうだと言って去ります。
 友人にパーティに連れ出されたアニーは、ウェインにジェシカの父である地元の名士のキング氏を紹介されますが、その後、ジェシカが男と浮気している現場を見てしまいます。知人に預けていた子供らと一緒に家に戻ると、留守であったはずの部屋のテレビから神の戦いを描く声が大音量で流されていて、ベッドの上にはカードが「悪魔」という字に並べられていました。アニーはドニーの仕業だとして警察に通報しますが、ドニーの知り合いである警官は取り合いません。バディをまた占ったアニーは、幼い頃父と間に何があったのか思い出し、父を憎む理由を明らかにすることを勧めますが、バディは父を憎く思ったことなどないとむきになります。その夜、ドニーから電話があり、二度と警察に通報するなとまた脅迫され、アニーは首を絞められる夢を見ます。
 翌日ジェシカの失踪が報道され、アニーの息子に近づいたドニーは、たまたまそこに居合わせたバディに車を破壊されます。アニーはキング氏と警察から酒場の駐車場にジェシカの車が発見されたことしか手がかりがないことを知らされ、捜査に協力してほしいと言われ、カード占いをしますが、大きい柵と白い花が見えるとしか言えません。その夜、彼女はバイオリン弾きがいる池に鎖に巻かれたジェシカの水死体が浮かんでいる夢を見、翌日警察に届け出ると、そのイメージ通りの地所がドニーのものであることが分かり、ジェシカの許可を得て、警察が池を捜索すると本当にジェシカの死体が発見されます。そこへやって来たドニーは腕のひっかき傷を見咎められ、容疑者として連行されます。(明日へ続きます‥‥)

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シャーロット・パーキンズ・ギルマン『黄色い壁紙』

2012-02-25 10:05:00 | ノンジャンル
 岡野宏文さんと豊崎由美さんの共著『読まずに小説書けますか』の150ページで紹介されていた、シャーロット・パーキンズ・ギルマンの1892年作の短編『黄色い壁紙』(『淑やかな悪夢 英米女流怪談集』に所収)を読みました。
 ジョンとわたしは由緒正しく、夏の休暇にうってつけの家を見つけた。植民地風の邸、世襲の地所、最高に美しいところで、近くの村からも3マイルはゆうに離れている。わたしは自分が神経の病気にかかっていると思っているが、信仰や迷信には我慢できない医者である夫は、それを信じようとしない。
 夫はわたしのためにここへ来たと言い、良い空気を好きなだけ吸い込めるために、わたしたちは階上の子供部屋を使うことにした。その部屋の壁紙の模様は目で追っているうちにわたしを混乱させ、疲れさせ、ほぼ確実に気持ちを苛立たせる。色はくすんだ、不潔な感じの黄色で、胸が悪くなるようだ。
 ジョンは壁紙を気にしないようにならなければだめだと言う。また強い想像力と物語を空想する癖を備えた弱い神経は、過度の興奮をともなう様々な空想に走るきらいがあるとも言う。
 しかし壁紙には繰り返し現れる模様がある。それは夕方の光、ランプの光、最悪なのは月の光なのだけれど、夜にはどんな光の下でも、模様は鉄格子に変わる。わたしが言っているのは、表面の模様のことだ。そしてその向こうにいる女は、やがてものすごくはっきり見えるようになる。太陽の光の下では彼女はおとなしくさせられている。模様が彼女をそんなふうに静かにさせているのだと思う。それは不思議で、わたしは何時間も静かにそのことについて考える。
 やがてわたしは夜あまり眠らなくなった。模様の成行きが気になって眼が離せなかった。壁紙にはとても妙な特徴がひとつある。ずっと下、床に近いあたり、そこに筋があって、その筋は部屋をぐるりと回っている。何度も何度もこすったみたいな筋だ。
 そしてわたしはついに発見した。夜、ずっと監視していると、変わるのが判るのだ。表面の模様は動く―それもそのはずだ、向こうの女が揺らしているのだ。女たちはいつも模様を通り抜けようとしている。でも誰も通り抜けられない。
 昼間、女が外に出ているのをわたしは見た。どの窓からも女が見える。いつも同じ女で、なぜなら彼女はいつも這っているからだ。
 もし外側の模様を内側の模様から引き離すことができたなら。わたしは休暇の最後の日に夫が外出したことをいいことに、ドアに鍵をかけてから、その鍵を邸の前の小径に向かって放りなげると、ついに手が届くかぎりの壁紙をぜんぶ引き剥がした。窓の外には女がいっぱい這っている。けどわたしはうまく隠しておいたロープで今しっかりと体を固定している。だから、わたしを外の道に連れだすことをあなたはできない。夜が来れば、わたしは模様の後ろに戻らなければならないだろう。外を這う人は土の上を這わなければならない。でもここだったら床の上を楽に這うことができる。それにわたしの方は部屋の壁をぐるりと回る長い筋とちょうど同じ高さだ。だから迷わず進める。
 なぜだろう。ジョンがドアの向こうにいる。わたしに教えられて鍵を拾ってきた彼は、わたしが「やっと外に出られたの。もう壁紙はほとんど剥ぎとったから、もう戻そうとしてもだめよ」と言うと、気を失った。ちょうどわたしの通り道をふさぐ壁際のところに倒れたので、わたしはその場所にくるたびに、かれの体を乗りこえなければならなかった。

 最後近くになると主観と客観が混然となっていくという希有な小説でした。本を読みながら実際にイメージを膨らませられれば、より楽しめると思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/