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ロベール・ブレッソン監督『田舎司祭の日記』

2007-01-31 17:20:16 | ノンジャンル
 久しぶりに DVDで、ロベール・ブレッソン監督の'50年作品「田舎司祭の日記」を見ました。もしかしたら、日本語の字幕入りで見たのは初めてかもしれません。
 神学校を卒業し、派遣された教区は閉鎖的な社会で、若い司祭は村人たちから嫌われます。先輩の司祭は彼らから一日たれとも目を離さず、常に堕落しないよう気をつける必要がある、と言いますが、若い司祭は反発を感じます。彼の愉しみは子供達を相手にした教義問答でしたが、優秀な少女セラフィータは、先生の瞳がきれいだから勉強しているのだ、といい、他の生徒と高笑いを上げながら走り去ります。また、ミサに領主の娘の家庭教師の女性が必ず出てくれるのも心の支えでしたが、しばらくして送られてきた「司祭をやめさせろ」という匿名の手紙の筆跡は彼女のものでした。領主は彼の味方になってくれますが、結果を急がずに待て、と言います。セラフィータは相変わらず司祭を挑発し、道で会うとカバンを放り投げて逃げ出し、彼にカバンを彼女の家へ届けさせます。領主の娘は両親と家庭教師への憎しみを語りますが、それを慰める手立てを司祭は持っていません。領主の妻は彼と話し、死んだ息子の写真の入ったペンダントを暖炉に投げ入れ、翌日死んでしまいます。彼への非難が高まり、彼は健康を害し、町の医者に行きますが、胃ガンだと宣告されます。近くの友人を訪ね、そこで気を失い、彼は祈りながら死んでいきます。
 全編、主人公のナレーションと日記に字を綴る手のアップがきっかけとなり、様々なシークエンスが描かれて行きます。この作品は商業映画の「ブローニュの森の貴婦人たち」と、台詞が極端に少なく職業俳優を使わずに撮るようになる「スリ」の間に撮られた作品で、両方の要素が見られます。台詞は多く、職業俳優を使っていますが、俳優の表情は極めて抑制されたもので、瞳に演技をさせている感じです。体の一部(特に手)のアップが多いのは、後者の特徴ですし、台詞が多いのは前者の特徴です。そういった点で非常に興味深い作品でした。

角田光代ほか『いじめの時間』

2007-01-30 16:24:25 | ノンジャンル
 角田光代さんの作品を読もうと買った、彼女を含めて7人の女性作家が「いじめ」をテーマに書いた短編集「いじめの時間」を紹介します。
 江國香織「緑の猫」は、無二の親友が高校生になって精神を病んでいく様子を描いたもの。大岡玲「亀をいじめる」は、動物を虐めるのが好きな高校教師が、娘の同級生のトラブルをあおり、楽しむ話。角田光代「空のクロール」は、泳げないのに強い水泳部に入ってしまったことがきっかけで、いじめを受けるようになる中一の女子生徒と彼女の復讐の話。野中柊「ドロップ!」は、学校を欠席している間に、自分の机が見知らぬ少女ハルカのものになっていて、ドロップをなめてると、クラス中の生徒が「ドロップがほしい」と手を出し、もう無いと言うと、ハルカが「まだカバンの中にある」といい、無いという私と有るというハルカが賭けをして、負けた私の体がバラバラにされるというシュールな話。湯本香樹実「リターン・マッチ」は、いじめられっ子が自分をいじめた生徒を一人ずつ呼んで決闘をし、その一人だった主人公は、いじめられっ子に頼まれて柔道を教え、友情をはぐくむが、最後にはいじめられっ子の母を殺してしまうという話。柳美里「潮合い」は、転校生をいじめ、ケガをさせてしまう、クラスのリーダーの女子小学生の話。稲葉真弓「かかしの旅」は、同級生がイジメで自殺し、自分も足が不自由なので「かかし」と呼ばれていじめられている男子中学生が、先生、母親、かばってくれた女子、自分をいじめた生徒、それぞれへ書かれた手紙です。
 救いようがなく殺伐とした気持ちになったのは、「潮合い」と主人公がサドの「亀をいじめる」で、一方ちょっとほのぼのさせてくれたのは、「リターン・マッチ」と「かかしの旅」でした。角田さんの作品は、日常的ないじめをリアルに描いていて、ドキュメンタリー・タッチなのが逆に読んでてつらい感じがしました。しばらく角田光代さんは追っかけようと思いますので、次に読む作品に期待です。

老後の夫は妻を早死にさせる?

2007-01-29 16:51:47 | ノンジャンル
 今日の朝日新聞の朝刊に面白い記事が載っていました。「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍」というタイトルで、そんな調査結果を発表した愛媛県総合保健協会の藤本弘一郎医長が愛媛医学会賞に選ばれ、28日に松山市で授賞式があったそうです。
 藤本医長は「夫が日常生活の多くを妻に依存している高齢者が多く、肉体的にも精神的にも妻には夫の存在が負担になっている」と指摘しています。
 調査では、96~98年に松山市に隣接する旧重信町(現・東温市)で、60~84歳の男女役3100人に配偶者の有無や喫煙習慣、糖尿病や高血圧の治療歴など17項目を答えてもらい、約5年後の01~02年に対象者の生死を確認したところ、調査中に死亡した男女計約2000人と生存していた約2900人を比べ、配偶者の有無などが死亡に与えた影響を60~74歳と75~84歳(96~09年当時)で分析したとのことです。
 その結果、75~84歳では、女性は夫がいる方が、いない場合に比べて死亡リスクが2.02倍に高まっていた一方、男性は妻がいる場合、いない場合に比べて0.46倍に下がっていたのだそうです。60~74歳でも同様の傾向が見られたとのことです。
 そうだろうな、と思いました。うちが全くそうでしたから。父が定年退職して家にいるようになると、それまで会社でやっていたのと同じように、細かいことまで、あらゆることに母に口出しし、母が好きで植えている花まで植え変えさせたのだそうです。(当時、私は東京で一人暮らしだったので、あくまで聞いた話。)母はストレスをかかえ、ぜんそくになってしまい、3回死にかけました。今は父が認知症になり、ますます手がかかるようになって、母は心ひそかに、父の死ぬのを待っていて、父の死後、自分が今までやりたくてやれなかったことを思いっきりやりたいと思っている事を私は知っています。老後の男性、自分ができる家事はやりましょう!

桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

2007-01-28 16:57:15 | ノンジャンル
 毎度おなじみの朝日新聞の特集記事「2006年 この一冊」の中で、八重洲ブックセンター汐留メディアタワー店の店員さんが、エンターテイメント系として推薦していた桜庭一樹さんの「少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人」を読みました。
 プロローグで、自分を変えるために7人の男と次々に交わり、主人公の七竈が生まれます。一話「遺憾ながら」では、いんらんな女からは美しい子が生まれる、との言い伝えどおり、すばらしい美女に生まれた七竈が語り手で、やはりすばらしく美しい男の子で、鉄道が好きという趣味が合うことから唯一の友人になる雪風とのことが語られます。二話「犬です」では、語り手が七竈の家にもらわれてきた元警察犬です。三話「朝は戦場」では、雪風の母が語り手で、働かない夫と6人の子供を持つ彼女の日常が描かれます。四話「冬は白く」では、七竈が語り手で、母の昔のアイドルで、今は芸能プロのスカウトをしている女性が、七竈をスカウトしようとする話。五話「機関銃のように黒々と」では、雪風が語り手です。結婚式で七竈と雪風は出会い、お互い親戚であることが分かり、二人が異母兄妹であることが暗示されます。二人で映画を見た帰り、高校卒業後、東京に出るという七竈を雪風はぶってしまい、昔の回想にふけります。六話「死んでもゆるせない」では、犬が語り手です。家の前を通って病気の夫を毎日見舞っていた女が家の前でトラックにはねられ、夫も死んでしまいます。雪風の末っ子の女の子が家から逃げてきて七竈の家にきたり、七竈を慕う後輩の緒方みすずを家に上げてしまったり、七竈の母が帰ってきたり、と様々なことが語られます。幕間の「五月雨のような」は、七竈の母が同僚の田中先生と寝る話。七話「やたら魑魅魑魎」では、七竈が語り手。田中先生の葬式に向かう母と七竈の会話が語られ、東京へ行く七竈と雪風との別れで終ります。
 独特の文章で、散文詩を読んでるような部分があり、特に七竈と雪風との台詞のやりとりは言葉遊びのようです。章ごとに語り手が変わるのも面白く、犬が語り手になるのも奇抜で楽しめました。
 それにしてもプロローグで、「辻斬りのように、男遊びがしたい」という文章が出てきて、七人目の男とは夜の学校の校庭で交わるのですが、これ以前に絶対読んだ気がします。どこで読んだのかは思い出せないのですが、どなたか知ってらっしゃる方、教えて下さい!

知的障害者の数

2007-01-27 16:34:53 | ノンジャンル
 昨日の朝日新聞の夕刊に「知的障害者数、食い違い」と題する記事が載っていました。
 国内の知的障害者数をめぐり、厚生労働省と障害者団体の見解が大きく食い違っているというのです。厚生労働省は、約55万人で全人口の0.43%とする推計を24日に発表しましたが、障害者団体側は「先進国では人口の2%前後。日本にも250万人はいるはず、と主張、より精密な調査の必要性を訴えているとのことです。
 厚生労働省は、全国の約6千カ所で、自治体や民生委員が把握している知的障害者の数を調べ、全体の人数を推計した結果、自宅で暮らす知的障害者は41万9千人(05年11月現在)、福祉施設に入所する障害者は12万8千人(04年10月時点)いて、合計54万7千人になるとしています。
 在宅の人数は、00年調査より約9万人増えましたが、これは03年に始まった支援費制度で障害者自身が福祉サービスを選べるようになり、自治体がつかんでいなかった知的障害者がサービスを求め、自治体に把握されるようになったためだそうです。支援費制度は06年に自立支援制度に変わり、事業者がサービスに参入しやすくなり、その結果事業者が増えると、把握される知的障害者数も膨らむと見ています。
 川崎医療福祉大学(岡山県倉敷市)の岡田喜篤学長によれば、海外では教育期間が把握する人数などに基づき、研究者が疫学調査の手法で推計しているそうで、総人口に閉める割合は、おおむね2%だそうです。これは日本の障害者団体の主張と一致しています。
 制度が変わるごとに障害者の数が増えていくというのは、潜在的な障害者が相当数いる、ということです。障害者団体の推計だとその数は約200万人になります。小中学校の特殊学級、養護学校を卒業したあと、知的障害者は、5人のうち4人が家庭でひっそり暮らしてる計算になります。
 なんでこんなことになるのか? これはひとえに知的障害者への差別の結果です。アメリカなど知的障害に理解の進んでいる国では、ホームパーティーを開く時など、知的障害者が主役で、会場の中央に座り、みんなで彼や彼女を盛り上げるそうです。それに引き換え、日本では親が引け目に感じて、知的障害者を家の中に隠そう、隠そうとする傾向があるように思えます。
 私も以前は障害者に偏見を持っていましたが、自分が精神病院に入院するという体験を経て、知的・精神障害者への偏見を克服する事ができました。早く世の中の人々の1人でも多くの人が、そうした偏見を無くして行ってほしい、と思います。