gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

斎藤寅次郎監督『私は嘘は申しません』

2021-12-31 07:15:00 | ノンジャンル
 斎藤寅次郎監督の1961年作品『私は噓は申しません』をDVDで観ました。

サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「“所得倍増、一千億減税”、池田総理は言う“私は嘘は申しません。”処世術にたけた生田隼人は、大学生を装い学校にもぐりこみ、欠席者のために講義録や試験問題の解答、卒論の代作で無線電話ピジョン研究費の金を稼いでいた。ある日、実験が成功したので、近所に住む芋川氏のところに持っていった。が、突然ピジョンが爆発、芋川氏を怒らせた。下宿の親爺伝助(大宮敏光=デンスケ)が土地ブローカー鶴岡に、借金のことで無理難題をふっかけられた。隼人は研究費の一部を貸してやろうとしたが、金は助手の美子が持ち逃げしてしまった。隼人は先輩でサギ師の近藤(和泉和助)と金集めに懸命になった。芥川賞作家深川八郎(和泉和助・二役)の贋物になったり、外国人に大仏様を売りつけたり……しかし、いずれも失敗、二人はペテン師廃業を考えた。頭をひねったあげく、交通地獄緩和用の町駕篭、ボロ化粧品会社の建て直し、野良犬のドッグレース、ようやく運が二人にむいてきた。そこに、大仏事件の外国人が現われた。二人をペテンにかけたところで警察にあげられた。これが縁で、隼人の研究が認められ外国の宇宙学研究所に招かれた。隼人は盛大な見送りを受け、ピジョンを活用しロケットに乗って任地に出発した。が、上昇中の状況を知らせるロケットからの映像には、いつまでたっても隼人の姿が映らなかった。それもそのはず、隼人は一人取り残されて、地上で機械をいじっていたのだった。」

 食堂でのスラプスティックなシーンにだけ、ドタバタの喜劇の残滓があったと思います。

斎藤寅次郎監督『浮かれ狐千本桜』

2021-12-30 09:45:00 | ノンジャンル
 斎藤寅次郎監督の1954年作品『浮かれ狐千本桜』をDVDで観ました。

 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「頼朝派に追われて義経は愛妾静と別れ、弁慶(益田喜頓)、亀井、駿河を連れて吉野山へ逃れる。梶原の家来逸見の藤太は静御前を捕えようとしたが、狐忠信(伴淳三郎)に散々な目に会わされて失敗。山伏に変装した義経達は大物浦で台風に遭い、洞爺丸事件でこりた船頭が船を出さないので、止むなく渡海屋の一室にかくれる。渡海屋銀平は平知盛の仮りの姿だったが、彼は義経と平和を締結し、一行を頼朝の追手から逃してやった。一方、静御前と狐忠信はいがみの権太(花菱アチャコ)に金をゆすられる。ならず者の権太は父彌左衛門が義経一行をかくしているのを知ると、女房おせんを静に仕立てて、義経の偽首を出して捕手の目をごまかした。危機を逃れた一行は吉野の川連法眼の館についたが、そこへ忠信が現われると、間もなく静御前が狐忠信と一緒に到着する。狐忠信は静御前の持つ初音の鼓の皮が自分の両親なので、恋しさについて来たのだ。義経はその孝心を賞でて鼓を狐に与える。法眼の女房飛鳥が一行の密告を企んでいるのを知って、義経等は姿を消し、ついに安宅関にかかる。狐忠信が関所の役人を買収し、首尾よく通り抜けようとした時、意地悪そうな富樫が呼びとめる。然し狐の援助で弁慶が珍答をくりかえし、見事に難関をきり抜ける。そして狐の家に招待され、一同は飲めや歌えの大騒ぎとなる。」

 ギャグらしいところは、ワニワニパニックのように敵を倒していくところと、弁慶が巨大化するところ程度で、これまた安手のミュージカル映画でした。

斎藤美奈子さんのコラム・その102&前川喜平さんのコラム・その63

2021-12-29 12:50:00 | ノンジャンル
 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず11月21日に掲載された「人事院の堕落」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「森友問題に関する公文書を改竄(かいざん)させられ自殺した赤木俊夫さんの公務災害補償関係文書を、人事院が11月8日やっと妻の雅子さんに開示した。
 雅子さんが開示請求をしたのは二年以上も前の2019年9月だ。人事院は同年12月、約70ページの文書を「開示」したが、大部分を具体的な理由を示さず黒塗り(つまり不開示)にした。これに対し雅子さんが審査請求を行い、総務省の情報公開に関する審議会が今年9月「不開示は違法」と結論づけたため、人事院は黒塗り部分の開示に応じたのだ。
 問題は、そもそもなぜ人事院は19年当時大部分を不開示にしたのかだ。不開示の理由がないことは人事院も十分承知していただろう。それでも不開示にした背景には当時の安倍官邸との関係が疑われる。人事院側が忖度(そんたく)したのか、官邸から指示されたのか…。
 人事院は三人の人事官(うち一人が総裁)からなる合議制の独立機関だ。内閣の所轄の下にあるが、内閣の指揮命令は受けない。それは人事行政の政治的中立性を確保するためだ。しかし人事院が独立性や中立性を失っていることは、20年2月に人事院が国家公務員法の解釈を曲げ、黒川東京高検検事長(当時)の勤務延長を認めた時に露呈した。今回の文書開示の経緯も、近年の人事院の堕落を示す一事例と言えるだろう。」

 また、11月24日に掲載された「なぜに少女」と題された斎藤さんのコラム。
「「温泉むすめ」は「日本全国の温泉地や地方都市の魅力を国内外に発信する」目的で民間企業が2016年に立ち上げた「地域活性化プロジェクト」だ。運営会社は内閣府からクールジャパン企業に認定され、観光庁の後援も付いている。
 その温泉むすめが「性差別的ではないか」として炎上騒ぎとなった。特に批判された箇所は修正されたらしいが、そもそも全国の有名温泉地を擬人化した美少女キャラクターによる「萌えビジネス」ですからね。これまで問題視されなかったのが不思議な話。
自衛官募集のポスターから環境省の地球温暖化対策キャンペーンまで、萌えキャラをめぐる騒動は十年ほど前から繰り返されてきた。日本の企業や官公庁はなんで二次元の美少女に頼るのか。
 何かの宣伝に際し「ならば若い女の子を前面に出すべきだ」「もちろんセクシーで可愛(かわい)い子で」と広報担当者や組織のトップが考えているのだとしたら、恐ろしい国だ。たとえ二次元キャラでも十代の少女にボディーラインを強調した服を着せ、思わせぶりな表情や台詞(せりふ)でお客を誘わせたら、児童ポルノと紙一重と判断されても仕方がない。
せめて温泉ボーイと温泉ガール半々にすりゃよかった? というより、オタク迎合的な宣伝法自体をそろそろ考え直す時期だろう。萌えキャラはオワコンでしょ。発想が古いよ。」

 そして、12月29日に掲載された「芸能のパリテ制」と題された斎藤さんのコラム。
「大みそか恒例の紅白歌合戦が揺れているようだ。性別二元論に基づいて出場者を男女別に分ける形式はさすがにもう古い。NHKにはかつて「連想ゲーム」など、男女別で勝敗を争う番組があった。が、「連想ゲーム」が終了したのは1991年。紅白だけが昭和の遺物として残ってしまったのかもしれない。
 もっとも太田省一『紅白歌合戦と日本人』によると、そもそも男女別対抗戦は男女平等を実現するための形式だったらしい。なるほどこれなら出場者は男女同数。〈歌だからこそ、「男女平等、ハンディなしのゲーム展開」が可能となる〉。いわば今日でいうポジティブ・アクションである。
 今年10月31日の衆院選での候補者に占める女性の比率は17.7%。選挙後の衆院の女性比率は9.7%。2018年に施行された「政治分野における男女共同参画推進法」はほぼ機能しなかった。各国の女性議員の比率が上がったのは、クオータ制(候補者の一定の割合を男女に割り当てる)やパリテ制(候補者を男女平等にする)の成果である。すると、日本の政治は紅白以前!?
 それでも21年はジェンダー平等元年ともいえる年だった。紅白にまでその余波が及んでいるのが、何よりの証拠だろう。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

斎藤寅次郎監督『歌くらべ荒神山』

2021-12-28 12:35:00 | ノンジャンル
 斎藤寅次郎監督の1952年作品『歌くらべ荒神山』をDVDで観ました。

 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただいくと、
「左官職人の三太(田端義夫)は、やくざ渡世にあこがれて、桑名の安濃徳(柳家金語楼)の乾分になった。安濃徳は欲深い男で、みいりの良い神戸の長吉の荒神山の縄ばりをねらっていた。たまたま彼のところへ草鞋をぬいだ榛名の梅七という旅人に、長吉の乾分で腕利きの加納屋利三郎を斬らせた上その梅七は用心棒の角井門之助(伴淳三郎)に殺させてしまった。しかし梅七が頼んでおいた千代という盲目の娘は、三太と、同じく三下のベロ八の二人をつけて、その母親お光の芸者をしている清水まで送らせた。そのお光は、千代の眼をなおす治療費のため吉良へ鞍がえをしていた。その頃次郎長の一の乾分大政は、縄張りを荒した鯛屋の鶴太郎に殴り込みをかけたが、その時親分の命にそむいて民家まで焼いたので清水へは帰れず吉良の仁吉(高田浩吉)の許へころがり込んでいた。これを聞いて次郎長は怒って吉良へ乗り込んでくるが、折から安濃徳に荒神山を奪われた神戸の長吉と女房のお安が助けを求めに来たので、次郎長は仁吉と大政にその応援をまかせた。こうして荒神山の決戦となったが、仁吉は弾丸に当って、安濃徳の娘故に離縁した女房のお菊に抱かれて死んだ。三太はつくづくやくざ商売に愛想をつかしてベロ八と一緒に盃をかえして正業につくのだった。お光が娘と知って安濃徳は改心して坊主になった。」

 清川虹子の雑巾がけの早回し以外は、これといったギャグもなく、平凡なミュージカル映画となっていました。

マイケル・ムーア監督『ボウリング・フォー・コロンバイン』

2021-12-27 23:57:00 | ノンジャンル
 マイケル・ムーア監督・製作・脚本・出演の2002年作品『ボウリング・フォー・コロンバイン』をNHKプレミアムで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」のあらすじに加筆修正させていただくと、
「1999年4月20日、アメリカ・コロラド州コロンバイン。この町の高校で全米を震撼させた銃乱射事件が勃発しました。12名の学生と教師1名が犠牲となり、数十人の負傷者を出したこの事件は、実行犯2名の自殺によって幕を閉じました。凶器となった銃はいずれも鉄砲店で合法的に入手可能なものであり、銃弾の多くは全米大手のスーパーマーケットチェーンであるKマートで購入されたものでした。事件を受け、銃規制に反対する全米ライフル協会は改めて「我々は銃を手放さない」と宣言、世論は銃規制賛成派と反対派に二分しました。銃乱射事件以降、アメリカ中の学校は厳重な非行対策を実施、荷物検査は徹底され、危険分子とみなされた学生はことごとく停学や退学に追い込まれていきました。
 マイケル・ムーア監督が生まれ育ったミシガンは銃の愛好家が多く、人々は銃を持つことは国民の権利だと主張を繰り返し、どれだけ銃犯罪や戦争で犠牲者が出ようとも銃が自分たちの生活を守ってくれるものだと信じて疑いませんでした。ムーア監督自身も子供の頃から玩具の銃に親しんで育ち、自らも全米ライフル協会の生涯会員になっていました。
ムーア監督は銃乱射事件の犯人の同級生たちに話を聞きましたが、そこから浮かび上がってきたのは誰しもが銃によるトラブルに絶えず付きまとわれているという現実でした。
 かつては保養地だった南デンバーの町リトルトンも、今や犯罪多発地帯へと変貌していました。そして町の外には世界最大の核兵器工場があり、近隣の空軍施設からはミサイルがデンバーの反対側の空軍基地に運ばれ、世界各国の紛争地帯で敵兵や民間人問わず殺戮していくのです。1999年4月20日、コロンバイン銃乱射事件の1時間前、アメリカはコソボに爆撃をしかけ、数多くの民間人が犠牲になりました。ビル・クリントン大統領(当時)は記者会見で標的はセルビアの弾圧機関であったと主張、民間人の被害は最小限だったと説明しましたが、コロンバインの事件を受けるとコソボの民間人には無関心だったクリントンはコロンバインの住民に哀悼の意を述べ始めました。相次ぐ銃犯罪の背景について、専門家はサブカルチャーや両親の教育、暴力映画、テレビゲーム、ヘヴィメタルなどの音楽などからの影響を示唆しています。ムーア監督はコロンバインの実行犯が大ファンだったというロックアーティストのマリリン・マンソンへインタビューを敢行します。マンソンは、テレビは洪水や殺人事件、性犯罪といった報道で視聴者に恐怖を植え付けたうえで画面をコマーシャルに切り替えて恐怖から逃れたい視聴者に消費を促し、これらのアメリカ経済を支える“恐怖と消費の一大キャンペーン”が根本的な原因だとの見解を示しました。一方、テレビ局関係者は、怒りや暴力、恐怖は視聴率を稼げる一方、平和的で進歩的な番組は誰も見ないし自分にはそういうものを作る力がないと逃げの姿勢を魅せました。
 ムーア監督は、アメリカ以上に銃器が流通し、アメリカと同様に暴力的な映画やゲームが溢れ、アメリカ以上に失業者が多い隣国カナダを訪れました。しかし意外なことに、カナダではどの地域でも、銃による殺人は3年に1人未満と、アメリカとは比べ物にならないほど銃犯罪の割合が低い国でした。カナダの人たちは家に鍵をかけない人が多く、カナダ人の一人にその理由を尋ねると、アメリカ人は近所の人を恐れてり、家に鍵をかければ他人を締め出せると考えている、しかしカナダ人は相手を拒まないのだと答えました。ムーア監督はカナダの報道番組の内容から、カナダ人が寛容な理由について独自の解釈で紐解いていきます。カナダの報道は視聴者に恐怖を植え付けようとする意図は見当たらないのです。そしてアメリカ、特に当時のブッシュ政権は同時多発テロを口実に軍備を拡張する一方で社会的弱者の救済がおざなりになっている現状とは対照的に、カナダの政治家は社会的弱者を救うことに重点を置いていました。ムーア監督はこれまでの取材を総括し、テロ以前もそれ以降も、怒りや恐怖で不安定な者の傍に銃を置くべきではないと警告を発しました。」
 そして映画の最後に、ムーア監督は当時の全米ライフル協会会長で俳優のチャールトン・ヘストンへのインタビューを敢行、事件と銃所持の関連性などについて問いかけましたが、ヘストンは明確な回答を避けて退席していきました。ムーア監督は6歳の男の子に撃たれて死んだ6歳の少女の写真を置いて、ヘストン邸を去るのでした。」

 自分の疑問を明らかにするために取材対象へグイグイ食い込んで行くマイケル・ムーア監督の迫力に圧倒されました。