サッシャ・ギトリ監督・主演の1936年作品『とらんぷ譚』をDVDで観ました。フランソワ・トリュフォーが激賞していた作品です。
とあるカフェで、一人の中年男性が半生を回想し執筆しながら語りはじめる。
幼い頃12人の大家族の中で育った主人公は、ある日8ペニーを盗んだため、父からきのこ料理を食べることを禁止される。ところがそのきのこは毒きのこだったため、主人公以外の11人の家族は皆死んでしまい、一人12歳で残された主人公は伯父夫婦に引き取られる。
薄情な伯父夫婦と暮らすのにうんざしした主人公は、家を出てホテルのボーイとして働き出す。そしてモナコを訪れた主人公は、カジノの魅力に溺れる。
その後、第一次世界大戦に徴兵され、負傷するが命は助かる。
ある日、食堂で出会った女性と意気投合した主人公は、彼女から宝石泥棒の話を持ちかけられる。まんまと宝石商をだまして、指環を手にする二人。彼らは宝石商を後にして、車で去る。そして二人は結婚する。
しかしこの結婚は形だけのものだった。彼らはすぐに離婚し、主人公はモナコに戻り、ルーレットのディーラーの仕事を得る。やがて変装して客としてカジノを訪れるようになった主人公は、いかさま勝負で、大儲けをする。
そしてある日、彼のルーレットに、第一次世界大戦のときに自分の腕を失いながらも主人公の命を救った男が現われる。主人公は男に話をし、感謝の言葉を語る。
そしてここまで回想録を書いた主人公の元へ、年配の婦人が訪れ、カフェの正面にある家から一緒に宝石泥棒をすることを提案するが、主人公は二つの理由から、その誘いを断る。一つ目はその家が自分のものであること、二つ目は現在の自分は警察官であることを述べる。そして回想録は書き終わられる。
すべてナレーションで語られていく映画で、その軽妙洒脱な語りはとても魅力的なものでした。蓮實重彦氏の語るところによれば「受話器があればそれを握っただけで、男の色気を漂わせ、いったん女性と向かい合うと、小津に劣らぬ大胆な意図的間違いで見るものを魅了するギトリは、文字通りコメディーの王様である。必見!」だそうです。
とあるカフェで、一人の中年男性が半生を回想し執筆しながら語りはじめる。
幼い頃12人の大家族の中で育った主人公は、ある日8ペニーを盗んだため、父からきのこ料理を食べることを禁止される。ところがそのきのこは毒きのこだったため、主人公以外の11人の家族は皆死んでしまい、一人12歳で残された主人公は伯父夫婦に引き取られる。
薄情な伯父夫婦と暮らすのにうんざしした主人公は、家を出てホテルのボーイとして働き出す。そしてモナコを訪れた主人公は、カジノの魅力に溺れる。
その後、第一次世界大戦に徴兵され、負傷するが命は助かる。
ある日、食堂で出会った女性と意気投合した主人公は、彼女から宝石泥棒の話を持ちかけられる。まんまと宝石商をだまして、指環を手にする二人。彼らは宝石商を後にして、車で去る。そして二人は結婚する。
しかしこの結婚は形だけのものだった。彼らはすぐに離婚し、主人公はモナコに戻り、ルーレットのディーラーの仕事を得る。やがて変装して客としてカジノを訪れるようになった主人公は、いかさま勝負で、大儲けをする。
そしてある日、彼のルーレットに、第一次世界大戦のときに自分の腕を失いながらも主人公の命を救った男が現われる。主人公は男に話をし、感謝の言葉を語る。
そしてここまで回想録を書いた主人公の元へ、年配の婦人が訪れ、カフェの正面にある家から一緒に宝石泥棒をすることを提案するが、主人公は二つの理由から、その誘いを断る。一つ目はその家が自分のものであること、二つ目は現在の自分は警察官であることを述べる。そして回想録は書き終わられる。
すべてナレーションで語られていく映画で、その軽妙洒脱な語りはとても魅力的なものでした。蓮實重彦氏の語るところによれば「受話器があればそれを握っただけで、男の色気を漂わせ、いったん女性と向かい合うと、小津に劣らぬ大胆な意図的間違いで見るものを魅了するギトリは、文字通りコメディーの王様である。必見!」だそうです。
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