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打海文三『そこに薔薇があった』

2009-02-28 18:28:19 | ノンジャンル
 昨日、neco★さんの歌を聞きに、原宿アストロホールに行ってきました。何度聞いても、その圧倒的な音の迫力にシビレます。曲もいいですが、アレンジもすごい! 誰のアレンジなのでしょうか。そして、その前に歌った加藤ひろあきさんも、メッセージ性の強い迫力ある歌を歌っていて、印象的でした。こうした方たちが早くメジャーデビューすることを心より祈っています。

 さて、打海文三さんの'99年作品「そこに薔薇があった」を読みました。打海さん最初の短編集です。
 一つめ「はしゃぎすぎてはいけない」は、若い男性が3人の女性と親しくなっていき、そのうちの一人と肉体関係を持とうとして殺されてしまうという話。
 とこれを読んだ(というか飛ばし読みした)段階で、肉体関係を迫っただけで主人公が殺されてしまうという、あまりの話のひどさに先を読む気力を失い、他の作品の最後だけ見てみました。すると2作目「結婚式までカウントダウン」では「シンクに鎮座している頭部には、顔がなかった。」、3作目「お家へ帰ろう」では「高志の頭部が、フロントガラスを突き破って、月の光を浴びていた。」、4作目「街で拾ったもの」では「斧を打ちつけられていた人間のことを、康雄は考えた。」、5作目「みんな我慢してるんです、と彼女は言った」では、「死体が出れば話はべつだが‥‥。」、6作目「ふたりのメアリー」では「稲葉愛子は列車に轢かれて死亡している。享年十二だった。」、7作目「美しい年齢」では「十二月の青い空に、小気味よい音がひびいた。」といった感じ。最後の作品以外は、猟奇的なものばかりでした。しかも最後の作品にしても、
ページを手繰っていくと、ゴシック体で「深まる謎 いわき猟奇殺人事件」との文字が。やっぱり読むのは止めにしました。
 こういう本はあまり世の中に流通してほしくないと思い、オークションで売るのも断念し、古紙としてリサイクルに出すことにしました。私のこうした行為には賛否両論あると思いますが、世の中に流通してほしくない物とか人(?)というのはある、もしくはいると私は思います。ということで、猟奇的事件がお好きな方にはオススメです。

『都市鉱山』から資源を発掘

2009-02-27 15:42:27 | ノンジャンル
 昨日発行のフリーペーパー「R25」に、「『都市鉱山』から資源発掘 ゼロエミッション工場の凄テク」と題する記事が載っていました。
 都市鉱山とは、ゴミとして処分される家電や電子機器類に含まれる、金や銀、イリジウムなどのリサイクル可能な希少金属を鉱山に見立てた言葉だそうです。記事を引用させていただくと「すでに、家電、電子機器類の処分には回収、リサイクルが義務づけられているが、携帯電話の回収も義務づける方針との報道もあり、にわかに注目されはじめた。
 この都市鉱山、廃棄物に含まれるとはいえその量はバカにできない。例えば銀は全世界の現有埋蔵量の約22%にもおよぶといわれている。独立行政法人 物質・材料研究機構の発表では、対象となる金属をすべてリサイクルすると、日本は世界有数の資源国になりうるとか。そのために重要な役割を担うのが『ゼロエミッション』と呼ばれる考え方。これは、ゴミとして処分された家電などを徹底的に分解してリサイクル。全体で排出される産業廃棄物をゼロにする取り組みだ。」
 実際に「東京エコリサイクル」という工場では、回収物の98%を再資源化し、未処理のまま埋める直接埋め立て率は0.1%だとのこと。まだこうした工場はほんの一部だそうですが、期待大です。
 しかし、この記事で一つ疑問が。世界の現有埋蔵量に対する日本の都市鉱山の比率です。銀は22.4%、金16.4%、半導体の材料インジウム15.5%とのことですが、これは1年間の都市鉱山からの埋蔵量なのか、それともこれまで埋められてしまったものを含めての積算量なのかがよく分かりません。おそらく後者なのでしょうが、その点をはっきりと書いてもらいたかったと思います。どちらにしろ、これからの成長分野であることには変わりありません。今後に注目です。

ユーキャン『日本名所大地図』

2009-02-26 16:54:24 | ノンジャンル
 今日、鎌倉ガイド協会主催の「梅の香りに誘われて『鎌倉古道・旧江ノ島道』を歩く」というイベントに行ってきました。鎌倉古道というのは、鎌倉時代に鎌倉と各地を結んでいた道のことですが、現在は山に50mほど残っているだけで、後は全て住宅地と化していました。見事だったのは常立寺のしだれ梅で、一見の価値ありだと思いました。お近くにお住みの方は是非どうぞ。

 さて、新聞の広告でユーキャンの「日本大地図」というのを衝動買いしてしまいました。以前、入院した友達に地図帳を送ったという話を聞いたことがあり、そんなこともあっての買い物でした。
 家に届いたのは縦40cm、横30cmという巨大な本。その時点で「失敗した!」と思いましたが、中身を見てビックリ。1册目の「日本大地図帳」という平凡社発行のものは、ただの大きな地図帳なのですが、もう1册のユーキャン発行の「名所大地図」というのが当たりでした。
 日本各地の名勝51ケ所の地図、31の山とその周辺の地図、35の島の地図、16の湖の地図、31ケ所の花のきれいな場所の地図、30ケ所の古い街並を見られる町の地図、15ケ所の古い街道沿いの地図、7つのローカル線の地図、25の日本庭園の地図、21の城の地図などが掲載されており、そのボリュームと内容の濃さにびっくりしました。中でも、福井県の三方五湖や、ご存じ天橋立の面白い地形、和歌山県・高野山の寺の密集した様子、どでかい鳥取砂丘、あまりにも小さい出雲大社、なぜか名古屋の街のど真ん中にある熱田神宮、対馬・壱岐・平戸島・五島列島の見事なリアス式海岸など、多くのことを地図を見ることによって知ることができました。母の故郷である大分県・竹田の町が、古い街並を見られる町の一つとして取り上げられているのもうれしい驚きでした。
 税込で2万9千円もするものですが、お金に余裕のある方にはオススメです。

ルネ・クレマン監督『禁じられた遊び』

2009-02-25 16:46:41 | ノンジャンル
 山田宏一さんの「恋の映画誌」での文章に「挑発」されて、ルネ・クレマン監督の'51年作品「禁じられた遊び」をDVDで約40年ぶりに見ました。
 あまりにも有名なこの映画のあらすじを、改めてここで述べることは差し控えさせていただこうと思います。ただ、久しぶりに見て確認したのは、二人が十字架を集めるそもそものきっかけは、両親とともにドイツ機の機銃掃射で死んだ自分の犬の墓を水車小屋に作るのに、一匹だけでは可哀想と感じたポーレットに対し、ミッシェルが彼女の気を引こうと、他の動物の死骸を一緒に埋めようとしたこと、そして有名なラスト、一人駅の雑踏に置かれたポーレットが、「ミッシェル!」と女が叫ぶのに導かれ、「ミッシェル、ミッシェル」と言いながらその女の方に行き、その女が脂ぎった男と抱擁しているのを見て「ママ」と泣きながら一言もらし、そしてまた「ミッシェル、ミッシェル、‥‥」と言いながら雑踏の中に迷いこんでいくのをカメラが上昇しながら俯瞰で捕らえていく(ここは意外にあっさりしていてすぐに「FIN」の文字が重なる短いショットでした)ということでした。しっかりと覚えていたのは、ミッシェルが十字架を川に投げ込むショット、そしてせっかくミッシェルが苦労して飾り立てた水車小屋の墓地を、ポーレットが一目も見ることなく連れて行かれてしまうストーリーの理不尽さに対する自分の怒りでした。5歳のブリジット・フォッセー演じる幼いパリジェンヌが10歳のジョルジュ・プージュリー演じる田舎の少年を翻弄する様子(「お腹が減った」というブリジットにジョルジュがリンゴを渡すと、「私、リンゴ嫌い。カフェオレがいい。」などと言うおしゃまぶり!)がおかしく、また純真なだけに笑顔や泣き顔の訴える力が半端ではないこともこの映画の魅力だと思いました。
 この映画を語る最も美しい言葉は、私の知るかぎり、山田宏一さんの本「恋の映画誌」に掲載されている「小さな恋のメロディ」と題された文章であり、実際に本を買ってその文章を読んでいただきたいのですが、その一部を紹介させていただくと、「やがて来るべき日がやってくる――少年から少女が奪われていく。少年は泣きながら水車小屋の二人だけの思い出の場所に走る。そして、十字架を次々に抜き取って川に投げ捨てるのだ。
 無理解な大人への不信と怒りの表明以上に、愛する者を奪われた悲しみがよく出たシーンだ。人が――それが愛する人ならなおのこと――突然目の前から姿を消してしまうことがまるで死と同じように感じられる瞬間があることを教えてくれる。束の間の幸福が、その思い出とともに、いっきょに奪い去られる。それが死につらなる危険な儀式――禁じられた遊び――であり、あまりにも無邪気に興じた小さな恋人たちへの残酷なむくいでもあるかのようだ。愛とは禁じられた遊びなのだ。
 見るたびに胸をかきむしられるような感動をあらたにする悲痛な愛の映画だ。」
 映画も本も文句無しにオススメです。

第81回アカデミー賞授賞式

2009-02-24 21:49:41 | ノンジャンル
 WOWOWで、第81回アカデミー賞授賞式を見ました。
 私が一番注目している、数年前まで行なわれていた過去の映画人へのオマージュのコーナーは今年もありませんでした。それっぽかったのは、主演助演賞のプレゼンターが、その賞の過去の受賞者5人によって行なわれたことでしたが、その中では、助演女優賞でのエヴァ=マリー・セイントに「北北西に進路を取れ」の頃の面影が全くなかったこと(それでも美しいことには変わりがありません)、そして主演女優賞でのソフィア・ローレンが、終始右手を腰に当てて、貫禄十分だったことが印象に残りました。ジーン・ハショルト賞に選ばれたジェリー・ルイスは、さすがに少し太ったものの、表情は現役時代と全く変わらず、ビックリしました。そして、昨年に亡くなった映画人のコーナーでは、「雨に唄えば」で見事な脚線美を見せたシド・チャリシー、アルドリッチ映画の常連だったヴァン・ジョンソン、フランス映画の名監督であり名プロデューサーでもあったクロード・ベリが亡くなっていたことを再確認しました。
 肝心の受賞作ですが、第三世界を描いたイギリス映画が最優秀作品賞など8部門で受賞し、最優秀主演男優賞はホモを演じたショーン・ペンが取るといった具合で、グラミー賞に続き、ここでもリベラル派の台頭が見られました。一番好感を持てたのは、最優秀女優賞をやっと取れ、涙ぐんでいた「タイタニック」の主演女優(きれいな女優さんですが、名前は忘れました。)でしょうか。日本映画が2つ受賞したことも話題になっていますが、ハリウッド映画の衰退は隠しようもなく、アカデミー賞も過渡期であることを感じました。
 映画の世界で見れば、あくまでローカルな賞(英語が話されている映画しか受賞対象にしていないのですから)なので、それほど大騒ぎすることもない賞なのですが、来年は過去へのオマージュをきちんとしてほしいと改めて思った次第です。