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斎藤美奈子さんのコラム・その107&前川喜平さんのコラム・その68

2022-02-28 18:42:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず2月20日に掲載された「無為無策と美辞麗句」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「岸田文雄首相は去年の自民党総裁選のとき「政治の根幹である国民の信頼が崩れている」と言ったが、あれは何だったのか。嘘(うそ)ばかりついていた安倍元首相。ほとんど言葉を持たなかった菅前首相。国民にまともに説明しな点では共通だった。岸田首相も同じだ。「丁寧な説明」をしているように見せているが、語る言葉はほとんど空っぽで中身がない。「しっかりと検討してまいりたい」は「特に何もする気はありません」としか聞こえない。
 新型コロナウイルス対策について、岸田首相は昨年末「先手先手で対応する」と言っていた。年頭所感では「最悪を想定し、慎重にも慎重を期す」とも述べていた。1月17日の施政方針演説では「新型コロナに打ち克つことに全身全霊で取り組む」と語った。
2月17日に久しぶりに行った記者会見で「本当に最悪の事態を想定していたのか」と問われた岸田首相は「感染のペースは落ち着いており、病床には余力がある」と答えた。全く危機感が感じられない。全国の死者は連日200人を超えている。ワクチン三回目接種の圧倒的な遅れは隠しようもない事実だ。自宅療養者は57万人を超え、療養先調整中の患者は20万人を超えた。これは医療崩壊だ。無為無策を美辞麗句で覆い隠すことはやめてくれ。」

 また、2月23日に掲載された「北海道の2月の事故」と題された斎藤さんのコラム。
「今年の雪は例年になく厳しいようだ。五日・六日の大雪に続き、二十二日も雪。除雪作業が追いつかず、新千歳空港の発着便は全便欠航。札幌駅を発着する列車のほとんどが運休となった。
 地震や台風や豪雨に比べ、首都圏以外の豪雪のニュースは手薄だと感じるのは、雪国で育った者のヒガミだろうか。
 北海道の雪と聞いて思い出すのは官設鉄道天塩線(現在の宗谷本線)で起きた列車事故だ。
 1909(明治42)年2月28日、名寄駅を発って旭川へ向かう列車が塩狩峠を上り、頂上に近づいたとき、最後部の客車の連結が外れ峠の下に向かって逆走しはじめた。このままでは転覆する! 車内が騒然とする中、ひとりの青年がデッキに走って力いっぱいハンドブレーキを回した。だが客車は止まらず、彼は線路に飛び降りた。客車は彼の身体に乗り上げて停止した。
 三浦綾子『塩狩峠』(1968年)が伝える事故のようすだ。作者の解釈が多分に入ったフィクションとはいえ、この小説のおかげで、くだんの事故は有名になった。
彼が線路に降りたのは転落事故だったのか、小説がいうようにキリスト教徒としての自己犠牲の精神ゆえだったのか、真相は今も謎。が、読み直して気がついた。事故当日は快晴だったらしい。雪が止(や)んでも危険は去らない。それは今でも変わらない。」

 そして、2月27日に掲載された「独裁者は戦争をする」と題された前川さんのコラム。
「プーチン大統領がウクライナへの侵略戦争を始めた。国連憲章違反の暴挙、平和に対する罪として指弾されるべき蛮行だ。1931年の日本軍閥による満州事変や39年のヒトラーによるポーランド侵攻にも匹敵する侵略戦争が、まさかこの二十一世紀に堂々と行われるとは思わなかった。
 プーチンの頭の中は、旧ソ連が56年にハンガリー、68年にチェコスロバキアに軍事介入した頃のままなのだろう。ウクライナが独立国だとは思っていないのだ。こんな人物に「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と呼びかけ、北方領土を返してもらおうとした安倍元首相の愚かさには今さらながらあきれる。
 逆に今は「ウクライナは弱いからやられた。日本がウクライナになってはいけない」と軍事力強化を主張する声が高まっている。しかし軍事均衡で真の平和は創れない。カントは永遠平和のために、常備軍の廃止や国際連合の創設とともに、自由で平等な国民が政治に参加する共和政(民主政)が必要だと考えた。
 独裁者は戦争をする。独裁者プーチンの戦争を止めるため、まずは民主的な国々が返り血を覚悟で強力な経済制裁を行うべきだろう。しかし最終的にプーチンの蛮行を止める力はロシア国民にしかない。ロシア国民が自ら民主主義を勝ち取るしかないのだ。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

フレデリック・ワイズマン監督『ボストン市庁舎』

2022-02-18 11:02:00 | ノンジャンル
 あつぎアミューの最上階にある「あつぎのえいがかんkiki」にて、フレデリック・ワイズマン監督・撮影・音声・編集の『ボストン市庁舎』を観ました。
 民主主義を最初に始めた国だけあって、その行政システムの素晴らしさに目を奪われました。市長も人格者で、「弱者を助ける」「マイノリティを守る」「人種の多様性を認める」ことを何よりも優先事項として発言していました。映画自体は会話劇で固定したカメラでのカットでほとんどをしめられていたものでしたが、時折見せる屋外での撮影が、お墓に野鳥が飛んできたり、道をネコが通りすぎたりと、これまた素晴らしく、ラストシーンでの国歌斉唱も見事で、思わず私も映画の観客と同じように拍手してしまいました!!
 4時間を超えるドキュメンタリーでしたが、騙されたと思って見て下さい。映画好きの人であれば、絶対に気に入るはずです!!


斎藤美奈子さんのコラム・その106&前川喜平さんのコラム・その67

2022-02-17 13:26:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず2月9日に掲載された「無責任な追悼」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「石原慎太郎氏は暴言の多い人だった。「文明がもたらしたもっとも有害なもおはババア」「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」。暴言の多くは、女性、外国人、障害者、性的マイノリティーなどに対する差別発言だったが、彼は役職を追われることも、メディアから干されることもなかった。そんな「特別扱い」が彼を増長させたのではなかったか。
 彼は生涯現役の作家だった。晩年に至ってもベストセラーを連発した。だが、作家としての石原慎太郎の姿勢にも私は疑問を持っている。
 朝日新聞の文芸時評を担当していた2010年2月。「文学界」三月号掲載の『再生』には下敷き(福島智『盲ろう者として生きて』。当時は書籍化前の論文)があると知り、両者を子細に読み比べてみたのである。
と、挿話が同じなのはともかく表現まで酷似している。三人称のノンフィクションを一人称に書き直すのは彼の得意技らしく、田中角栄の評伝小説『天才』も同様の手法で書かれている。これもまた「御大・石原慎太郎だから」許された手法だったのではないか。
各紙の追悼文は彼の差別発言を「石原節」と称して容認した。二日の本紙「筆洗」は「その人はやはりまぶしい太陽だった」と書いた。こうして彼は許されていく。負の歴史と向き合わず、自らの責任も問わない報道って何?」。

 また、2月13日に掲載された「コミットメントは約束」と題された前川さんのコラム。
「安倍元首相は九日、自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」設立総会でスピーチし、首相在任中に2025年度中の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標を設定したのは「国際約束ではなく、コミットメント(決意)だ」と述べたという。
 久しぶりにこの人の詭弁(きべん)的言辞を聞き、どっと疲れる既視感を覚えた。20年1月、衆議院予算委員会での桜を見る会をめぐる質疑。宮本徹議員が、首相の地元事務所が桜を見る会を含む観光ツアーへの参加を募集していることをいつから知っていたのかと質問したとき、安倍氏は「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と珍答弁をした。それを思い出したのだ。
 試みに僕が長年愛用してきた「カレッジクラウン英和辞典」(三省堂)を開いてみると、comm9tmentの訳語は「約束、、言質、言明、誓約、公約」とあり、同義語としてpromiseという単語も掲げられている。つまりコミットメントとは約束のことなのである。とこにも「決意」という意味はない。
 一万歩譲って彼のコミットメントが約束ではなく決意だったとしても、決意ならいくらでも反故(ほご)にそいていいわけがない。こんな無責任な人物を八年間も首相の座にとどまらせた日本の不幸を改めて痛感した。」

 そして、2月16日に掲載された「チョコと恋愛」と題する斎藤さんのコラム。
「バレンタインデーの夕方の街。直前の駆け込み組なのかな、チョコレート売り場にはやっぱり行列ができていた。
 2月14日はかつて女性にとって重要な日であった。「唯一女子から告白していい日」と喧伝(けんでん)されていたからだ。すると残る364日は「女子から告白しちゃダメな日」なのか!? たぶんそうだったのだろう。
 小笠原祐子『OLたちの〈レジスタンス〉』によると、仕掛け人は予想通りチョコレートメーカーで、「女性が好きな男性にチョコを贈る日」としてそれが定着したのは1970年代だったようだ。が、この習慣もまもなく形骸化し、この本が出た1998年当時は儀礼的に職場でチョコを配る義理チョコ文化の最盛期。愛の告白的な意味はかなり薄れていた。
さらに時間がたった現在では、非正規雇用者の急増などでOLという語もほぼ死語と化し、友チョコ、自分チョコなど、バレンタインデー文化も多様化している。
 恋愛の作法自体も変わった。恋愛も文化だから時代時代のジェンダー規範に縛られる。「告白するのは男子から」という過去の習慣は「慎み深い女性は自分から好きだなんて言えません」という馬鹿げた刷り込みによるものだったのだろう。
 チョコの数が人気のバロメーターになったのもすでに過去の話である。一喜一憂なさいませんように。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

石井隆監督『フィギュアなあなた』

2022-02-16 07:59:00 | ノンジャンル
 石井隆監督・共同製作・原作・脚本の2013年作品『フィギュアなあなた』をWOWOWシネマで観ました。

 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと、
「サラリーマンの内山健太郎(柄本佑)は、部長(竹中直人)に業績の悪さを追及され、その上恫喝までされます。しかし何も言えない健太郎は、上司に逆らい反抗する妄想を見るくらいしかできません。
 デスクに戻った健太郎がパソコンを見ると、「総務部へ異動を命じる」とのメールが来ていました。(中略)
 翌日、健太郎が出社すると自分のデスクを片付ける同僚たちがいました。異動は来週の予定にもかかわらず、みんなで邪魔者扱いすることに腹を立てた健太郎は、うっぷんをはらすために一人で飲みに出かけることにします。そして、泥酔状態の健太郎はガラスバーに入店し、ダンサーに抱き着き店を追い出されてしまいました。
 完全に酔いが回った健太郎は、店を出た後もヤケになり当り散らして、オナベでヤクザのヨっちゃんに絡んで喧嘩になってしまいます。怒ったヨっちゃんが追いかけてきました。ヨっちゃんから逃げるために廃墟ビルに逃げ込んだ健太郎は、放置された大量のマネキンを見つけます。
 その中に人間そっくりなマネキンを見つけた健太郎。マネキンの股間や乳房に触れ、しまいには行為に及びます。その後、追いかけてきたヨっちゃんと彼女の宏美に健太郎は見つかってしまい、ボコボコに殴られ血だらけで倒れ込んでしまいます。
 健太郎を殴った後、ヨっちゃんはビルの一室にいた麻薬密売のヤクザに喧嘩を売って、銃で撃ち殺されてしまいます。怖くなった宏美が、健太郎がいた部屋へと逃げてきました。
 しかし、宏美も銃ですぐに殺されてしまい、隠れていた健太郎もヤクザに見つかってしまいました。健太郎が殺されかけたその瞬間、マネキンが動きだしてヤクザ達を撃退してしまいます。
 ヤクザ達を倒した後、マネキンは元のマネキンのように動かなくなりました。翌朝、目覚めた健太郎は、マネキンを抱えて自分の部屋に戻ることにします。健太郎は、マネキンに『ココネ』という名前を付けて、この日からマネキンとの奇妙な共同生活が始まりました。
 会社を辞めた健太郎は、動かないココネとお風呂に入り、ココネに愚痴を聞いてもらい、楽しい日々が続きました。
 しかし、健太郎にとってココネとの生活は楽しい事ばかりではありませんでした。次第にお金が無くなり、困った健太郎は首をつって死のうとします。するとココネが動き出し、健太郎が首にかけていたネクタイをとってしまいます。
 ココネが人間のように動き出したことで健太郎はうれしくなり、自分が好きなフィギアの格好をさせることになりました。そしてこの日から、ココネと毎晩交わる生活を続ける健太郎。
 金が底をつき、健太郎は麻雀で賭けに出ることにします。ココネと『九蓮宝燈』で上る約束をした健太郎が雀荘に行き、「愛しているよココネ…」とつぶやきながら勝負をしていると、ついに『九蓮宝燈』の手役が回って来ました。
 大金を手にした健太郎が、ココネの待つ部屋に急いで帰ろうと道路を横断していると、目の前にココネそっくりの女性が現れます。彼女を助けようと健太郎は、女性に近づきますが、目の前に車が迫ってきました。
 健太郎が急いで部屋に戻ります。しかし部屋にはココネの姿はありません。落ち込む健太郎の耳に、ココネの歌が聞こえてきます。急いでマンションの屋上に行くと、そこにはバレエダンサーの格好をして、ピアノを弾きながら歌を唄っているココネの姿がありました。
 ホッとする健太郎の前で、ココネはバレエを踊り出します。健太郎は大金を手にしたことをココネに伝え、「運が巡ってきたんだよ!」と嬉しそうに話しました。ココネは「お役に立ててうれしい。」と言い、健太郎と一緒に踊り始めます。
 健太郎は、帰る直前にココネに似た人に出会ったことを話しました。その女性に助けられたと話す健太郎。するとココネが、「女の人と一緒にいたの?」と焼きもちを焼きます。その後も手を取り合い踊る二人の目の前に、突然会社の元同僚やダンサー、オナベのヤクザ、麻薬密売のヤクザたちみんなが現れて、健太郎とココネの結婚を祝福してくれました。
 幸せいっぱいの健太郎でしたが、集合写真を撮るフラッシュをあびた時に、車ではねられる瞬間のことを思い出します。ココネそっくりの女性と車に撥ねられそうになった健太郎が、ふらつきながら自分の部屋に戻ると、部屋の中には本物のマネキン人形が横たわっていました。
 健太郎は大勝ちしたことを伝え、何か欲しいものはないかたずねます。すると「あなたさえいればいい…」と、ココネの声が聞こえました。」

 幻想的で魅力的な映画でした。

相米慎二監督『翔んだカップル オリジナル版』

2022-02-15 08:04:00 | ノンジャンル
 相米慎二監督の1980年のデビュー作『翔んだカップル オリジナル版』を観ました。

 サイト「movie walker press」のあらすじに加筆修正させていただくと、
「田代勇介(鶴見辰吾)は弁護士になることを夢見て、九州から東京の名門校、北条学園高校に入った。勇介は海外に行っている叔父の留守宅に住むことになったが、一人で住むには家が広すぎるため、男に限るという条件で不動産屋に間借人を頼んだ。ところがなんと、不動産屋の手違いでやってきたのは学校一の美少女と評判のクラスメート、山葉圭(薬師丸ひろ子)だった。
 次の仕送りが来るまでということで、彼女は勇介と住むことになった。
 勇介の入部したボクシング部のキャプテン織田やクラスの秀才中山(尾美としのり)も圭を狙っており、勇介は二人の同居生活がいつバレるかとヒヤヒヤの毎日。
 一年生の遠足の日、学校一の才女、杉村秋美(石原真理子)が他のガリ勉生徒と一味違う勇介に興味持ち、近づいてきた。日頃、圭に挑戦的な勇介も、理知的で大人の雰囲気を漂わす杉村には素直な気持で接してしまう。
 約束の一ヵ月が過ぎたが、織田キャプテンの居候騒動などで、二人の共同生活は、訳が分らなくなってくる。二人とも充分、意識しているのにお互いに好きという言葉が出ない。
 そして、勇介は杉村と、圭は中山とデートを重ねる。意地の張りあいのまま夏休みを迎え、「季節がかわれば……」と勇介は九州へ帰った。新学期、圭は帰省中に知り合った大学生の星田に夢中になり、杉村はアメリカ留学を決意していた。
 一方、圭との素直な生活を夢見て東京に戻った勇介は、新人戦を控え、織田にシゴかれる毎日を送っていた。
 やけくそになった勇介は二人の同居生活を中山に話してしまう。
 圭を慕う中山は、逆上、そのことを教頭に密告してしまった。
 新人戦を翌日に控えたある日、勇介、圭、杉村、中山の四人が集まった。杉村は明日アメリカに発つ予定だ。過ぎ去った事を四人は、暗黙のうちに許し合うように見つめあった。勇介のまわりは何かが急激に変ろうとしていた。
 そして新人戦に向かう勇介が光の中に溶け込んで映画は終わる。」

 ぴょんぴょん跳ねる可愛い薬師丸ひろ子のデビュー作であり、相米慎二監督のデビューでもありました。見事なワンシーンワンカットに満ちた映画で、映画的興奮に満ち満ちた映画でした。