恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず2月20日に掲載された「無為無策と美辞麗句」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「岸田文雄首相は去年の自民党総裁選のとき「政治の根幹である国民の信頼が崩れている」と言ったが、あれは何だったのか。嘘(うそ)ばかりついていた安倍元首相。ほとんど言葉を持たなかった菅前首相。国民にまともに説明しな点では共通だった。岸田首相も同じだ。「丁寧な説明」をしているように見せているが、語る言葉はほとんど空っぽで中身がない。「しっかりと検討してまいりたい」は「特に何もする気はありません」としか聞こえない。
新型コロナウイルス対策について、岸田首相は昨年末「先手先手で対応する」と言っていた。年頭所感では「最悪を想定し、慎重にも慎重を期す」とも述べていた。1月17日の施政方針演説では「新型コロナに打ち克つことに全身全霊で取り組む」と語った。
2月17日に久しぶりに行った記者会見で「本当に最悪の事態を想定していたのか」と問われた岸田首相は「感染のペースは落ち着いており、病床には余力がある」と答えた。全く危機感が感じられない。全国の死者は連日200人を超えている。ワクチン三回目接種の圧倒的な遅れは隠しようもない事実だ。自宅療養者は57万人を超え、療養先調整中の患者は20万人を超えた。これは医療崩壊だ。無為無策を美辞麗句で覆い隠すことはやめてくれ。」
また、2月23日に掲載された「北海道の2月の事故」と題された斎藤さんのコラム。
「今年の雪は例年になく厳しいようだ。五日・六日の大雪に続き、二十二日も雪。除雪作業が追いつかず、新千歳空港の発着便は全便欠航。札幌駅を発着する列車のほとんどが運休となった。
地震や台風や豪雨に比べ、首都圏以外の豪雪のニュースは手薄だと感じるのは、雪国で育った者のヒガミだろうか。
北海道の雪と聞いて思い出すのは官設鉄道天塩線(現在の宗谷本線)で起きた列車事故だ。
1909(明治42)年2月28日、名寄駅を発って旭川へ向かう列車が塩狩峠を上り、頂上に近づいたとき、最後部の客車の連結が外れ峠の下に向かって逆走しはじめた。このままでは転覆する! 車内が騒然とする中、ひとりの青年がデッキに走って力いっぱいハンドブレーキを回した。だが客車は止まらず、彼は線路に飛び降りた。客車は彼の身体に乗り上げて停止した。
三浦綾子『塩狩峠』(1968年)が伝える事故のようすだ。作者の解釈が多分に入ったフィクションとはいえ、この小説のおかげで、くだんの事故は有名になった。
彼が線路に降りたのは転落事故だったのか、小説がいうようにキリスト教徒としての自己犠牲の精神ゆえだったのか、真相は今も謎。が、読み直して気がついた。事故当日は快晴だったらしい。雪が止(や)んでも危険は去らない。それは今でも変わらない。」
そして、2月27日に掲載された「独裁者は戦争をする」と題された前川さんのコラム。
「プーチン大統領がウクライナへの侵略戦争を始めた。国連憲章違反の暴挙、平和に対する罪として指弾されるべき蛮行だ。1931年の日本軍閥による満州事変や39年のヒトラーによるポーランド侵攻にも匹敵する侵略戦争が、まさかこの二十一世紀に堂々と行われるとは思わなかった。
プーチンの頭の中は、旧ソ連が56年にハンガリー、68年にチェコスロバキアに軍事介入した頃のままなのだろう。ウクライナが独立国だとは思っていないのだ。こんな人物に「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と呼びかけ、北方領土を返してもらおうとした安倍元首相の愚かさには今さらながらあきれる。
逆に今は「ウクライナは弱いからやられた。日本がウクライナになってはいけない」と軍事力強化を主張する声が高まっている。しかし軍事均衡で真の平和は創れない。カントは永遠平和のために、常備軍の廃止や国際連合の創設とともに、自由で平等な国民が政治に参加する共和政(民主政)が必要だと考えた。
独裁者は戦争をする。独裁者プーチンの戦争を止めるため、まずは民主的な国々が返り血を覚悟で強力な経済制裁を行うべきだろう。しかし最終的にプーチンの蛮行を止める力はロシア国民にしかない。ロシア国民が自ら民主主義を勝ち取るしかないのだ。」
どれも一読に値する文章だと思いました。
まず2月20日に掲載された「無為無策と美辞麗句」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「岸田文雄首相は去年の自民党総裁選のとき「政治の根幹である国民の信頼が崩れている」と言ったが、あれは何だったのか。嘘(うそ)ばかりついていた安倍元首相。ほとんど言葉を持たなかった菅前首相。国民にまともに説明しな点では共通だった。岸田首相も同じだ。「丁寧な説明」をしているように見せているが、語る言葉はほとんど空っぽで中身がない。「しっかりと検討してまいりたい」は「特に何もする気はありません」としか聞こえない。
新型コロナウイルス対策について、岸田首相は昨年末「先手先手で対応する」と言っていた。年頭所感では「最悪を想定し、慎重にも慎重を期す」とも述べていた。1月17日の施政方針演説では「新型コロナに打ち克つことに全身全霊で取り組む」と語った。
2月17日に久しぶりに行った記者会見で「本当に最悪の事態を想定していたのか」と問われた岸田首相は「感染のペースは落ち着いており、病床には余力がある」と答えた。全く危機感が感じられない。全国の死者は連日200人を超えている。ワクチン三回目接種の圧倒的な遅れは隠しようもない事実だ。自宅療養者は57万人を超え、療養先調整中の患者は20万人を超えた。これは医療崩壊だ。無為無策を美辞麗句で覆い隠すことはやめてくれ。」
また、2月23日に掲載された「北海道の2月の事故」と題された斎藤さんのコラム。
「今年の雪は例年になく厳しいようだ。五日・六日の大雪に続き、二十二日も雪。除雪作業が追いつかず、新千歳空港の発着便は全便欠航。札幌駅を発着する列車のほとんどが運休となった。
地震や台風や豪雨に比べ、首都圏以外の豪雪のニュースは手薄だと感じるのは、雪国で育った者のヒガミだろうか。
北海道の雪と聞いて思い出すのは官設鉄道天塩線(現在の宗谷本線)で起きた列車事故だ。
1909(明治42)年2月28日、名寄駅を発って旭川へ向かう列車が塩狩峠を上り、頂上に近づいたとき、最後部の客車の連結が外れ峠の下に向かって逆走しはじめた。このままでは転覆する! 車内が騒然とする中、ひとりの青年がデッキに走って力いっぱいハンドブレーキを回した。だが客車は止まらず、彼は線路に飛び降りた。客車は彼の身体に乗り上げて停止した。
三浦綾子『塩狩峠』(1968年)が伝える事故のようすだ。作者の解釈が多分に入ったフィクションとはいえ、この小説のおかげで、くだんの事故は有名になった。
彼が線路に降りたのは転落事故だったのか、小説がいうようにキリスト教徒としての自己犠牲の精神ゆえだったのか、真相は今も謎。が、読み直して気がついた。事故当日は快晴だったらしい。雪が止(や)んでも危険は去らない。それは今でも変わらない。」
そして、2月27日に掲載された「独裁者は戦争をする」と題された前川さんのコラム。
「プーチン大統領がウクライナへの侵略戦争を始めた。国連憲章違反の暴挙、平和に対する罪として指弾されるべき蛮行だ。1931年の日本軍閥による満州事変や39年のヒトラーによるポーランド侵攻にも匹敵する侵略戦争が、まさかこの二十一世紀に堂々と行われるとは思わなかった。
プーチンの頭の中は、旧ソ連が56年にハンガリー、68年にチェコスロバキアに軍事介入した頃のままなのだろう。ウクライナが独立国だとは思っていないのだ。こんな人物に「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と呼びかけ、北方領土を返してもらおうとした安倍元首相の愚かさには今さらながらあきれる。
逆に今は「ウクライナは弱いからやられた。日本がウクライナになってはいけない」と軍事力強化を主張する声が高まっている。しかし軍事均衡で真の平和は創れない。カントは永遠平和のために、常備軍の廃止や国際連合の創設とともに、自由で平等な国民が政治に参加する共和政(民主政)が必要だと考えた。
独裁者は戦争をする。独裁者プーチンの戦争を止めるため、まずは民主的な国々が返り血を覚悟で強力な経済制裁を行うべきだろう。しかし最終的にプーチンの蛮行を止める力はロシア国民にしかない。ロシア国民が自ら民主主義を勝ち取るしかないのだ。」
どれも一読に値する文章だと思いました。