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斎藤美奈子さんのコラム・その77&前川喜平さんのコラム・その38

2021-02-21 12:45:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず2月17日に掲載された「お辞め下さい」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「愛知県の大村秀章知事のリコールに向けた署名運動は「不正署名問題」から「署名偽造事件」に移りつつある。十五日には愛知県選管が警察に告発して受理され、十六日には中日新聞が「署名偽造、バイト動員か」というスクープを放った。
 時給九百五十二円。広告関連会社の下請けがアルバイトを募集。佐賀市内の貸会議室に数十人が集められ、名簿を書き写す仕事をしたという証言は生々しい。四十三万五千筆の83%が無効と報じられた時点でそんなに大量(三十六万ですからね)の署名をどおうやって偽造したのかと思っていたが、賃金が発生するバイトまで雇っていたとは!
 問題は誰がどんな目的でこの仕事を発注したからだ。リコール反対派の妨害とは考えにくい。反対派に偽造してまで署名数を増やす理由はない。
 署名を主導した高須クリニックの高須克弥院長も、支援した河村たかし名古屋市長も関与を否定し、被害者みたいな顔をしているけど、たとえ直接関与していなくても、ご自分たちの運動で犯罪に等しい行為が発覚したのだ。事務局長の維新の会・田中孝博氏も含め謝罪するのが筋だろう。
 こうなるともう河村市長のリコールを求めたほうがいいような事態である。四月の市長選に氏は立つのだろうか。「お辞め下さい」というリコール運動のキャッチフレーズをそのままお返ししたい。」

また2月14日に掲載された「政官業の昭和的な癒着」と題された前川さんのコラム。
「「政」は菅首相の子息である菅正剛元総務大臣政務秘書官。「官」は総務省の総務審議官、情報流通行政局長、同局担当官房審議官。「業」は衛生放送事業を行う東北新社と子会社の社長たち。日本橋や六本木の料理屋での接待は、昭和を思い出させる絵に描いたような政官業の癒着の姿だ。
 十二日の衆院予算委員会での総務省答弁によると、正剛氏らと総務官僚の「会食」は、2016年から20年までの間に、四人の幹部について延べ十二回だったという。しかし、正剛氏の東北新社入社は08年だというから、今回の四人以外の総務官僚も含めて、接待の回数は十二回にとどまらない可能性が高い。
 明らかな公務員倫理法違反で、懲戒処分は免れない。それがわかっていながら、彼らはなぜ危ない橋を渡ったのか。それは彼らの人事を握る菅首相の不興を開拓ないからだ。菅首相の子息の接待は断れないという心理が働いたのだろう。
 この事件は贈収賄事件に発展する可能性もある、18年に文部科学省で起きた汚職事件ではJAXAの理事が大学の講演会に宇宙飛行士を派遣したことなどが特別な便宜だとして逮捕・起訴され有罪判決を受けた。もし衛星放送事業の許認可をめぐって便宜を図ったのなら宇宙飛行士の派遣どころの話ではない。検察にはしっかし調べてもらいたいものだ。

 そして2月21日に掲載された「髪の色は個人の自由だ」と題された前川さんのコラム。
「高等学校学習指導要領解説公民編には「尊厳をもつかけがえのない人格として、一人一人が尊重されなければならないことが理解させる」「法の支配が…政府を含めてすべての者を等しく法に服させるようにより、その自由と平等を確保させる」「各人が自己の個性を発揮し、また同時に他者の人格を尊重し共に協働して生きていくことが大切…であることについて自覚を深めさせる」などの記述がある。そこに「これらは学校には適用されないことを理解させる」と付け加える必要があるだろう。
 茶髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして大阪府立高校の元生徒が府を訴えた裁判で大阪地裁は、学校側に「教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかった」と判断。校則は華美な頭髪や服装の制限で非行行動を防止するためだとし、社会通念に照らし合理的だとした。
 茶髪を禁止する法はない。髪の色は個人の自由だ。茶髪を診療しない病院や茶髪は入館できない図書館があったらおかしい。なぜ学校でだけ「社会通念に照らして合理的」となるのか。非行防止という説明にも合理性は全く見いだせない。
 人権救済のためには裁判所の介入が必要だ。しかしこの判決を書いた裁判官は、きっと校則に何の疑問も抱かない優等生だったのだろう。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

斎藤美奈子さんのコラム・その76&前川喜平さんのコラム・その37

2021-02-10 11:38:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず去年の2月3日に掲載された「数のマジック」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「東京都の新型コロナウイルス新規陽性者数は減少を続け、二日は五百人代だった。緊急事態宣言が奏功したのだとしても減り方が急すぎる。ちょっとおかしくない?
 検査方法が変わったためだという意見がネット上では取りざたされている。一月二十二日、保健所の負担軽減策として、東京都は「積極的疫学調査の規模を縮小する」との方針を保健所に通知した(神奈川県も同様の通知を出している)。それが関係していると。
 積極的疫学調査とは、陽性者からの聞き取りで濃厚接触者を追跡する調査のこと。市区町村をまたぐ濃厚接触者も、勤務先の濃厚接触者も調査しない。感染の疑いが濃い部分の検査をやめたら無症状の感染者はノーカウント。見かけ上の陽性者はそりゃ減るよね。
 以上を私は都の保健所員の悲鳴のようなツイートで知った。PCR検査態勢が不十分な上、濃厚感染者の調査まで放棄したら、無症状の市中感染はさらに広がる。このままでいいのか、と。
 見かけ上の陽性者の減少は人々を安堵(あんど)させる。GoTo事業を再開させたい、東京五輪も開催したい、そのためには感染者を一人でも少なく見せたい。為政者のそんな思惑とも一致する。
 疑心暗鬼かもしれないが、それでもやはり事実を知りたい。都の検査方針の変更と陽性者減の間に因果関係はないのだろうか。」

 そして、2月10日に掲載された「女は黙ってろ」と題された斎藤さんのコラム。
「さすがに「わきまえた」方たちだ。本紙九日の報道によると、五輪組織委員会で森喜朗会長の辞任を求める理事は一人もいなかったそうだ。よほどみなさま鈍感か、率直な意見が言えない空気に支配されているのだろう。
 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言を要約すれば「女は黙ってろ」である。性差別に当たるだけでなく、これはあらゆる異論うや反論を封じる言論弾圧効果を持つ。
 森氏が会長職にとどまるデメリットは計り知れない。「女は黙ってろ」が今後もまかり通る。抗議しても無駄なんだという無力感を若い人や子どもたちに植えつける。日本は性差別を容認する社会だというイメージを国際社会にまき散らす。
 逆に森氏が辞任するメリットは大きい。日本社会は性差別を許さないという強いメッセージが共有される。「女は黙ってろ」が通用しなくなる。今まで黙っていた人に勇気を与える。市民が声をあげれば変わるのだというレガシーが残る。
 余人をもって代えがたい? そんなの「だから何?」である。代替不能な要人なら差別も許されるなんて理屈が通用するわけないだろう。
  「世界中の人々の多様性と調和」を謳(うた)う組織のトップが性差別主義者であるという、笑えない事実。私たちが変えようとしているのは、この組織委のような社会の慣習なのだ。」

 また、2月7日に掲載された「偉大なる過去の遺物」と題された前川さんのコラム。
「病と闘いつつ、東京オリ・パラに向け尽力する森喜朗氏。その情熱には頭が下がる。首相も務めた大政治家。自民党の大派閥、清和政策研究会の領袖(りょうしゅう)だった森氏は、文教・スポーツ分野のドンとして君臨してきた。安倍・菅政権の文科大臣六人中五人が清和研。スポーツ庁長官も二代続いて森氏に近い人物だ。
 日本の教育は森政権を境に右傾化した。森政権の教育改革国民会議が2000年に提言した教育基本法の改正と道徳の教科化は、それぞれ第一次安倍政権、第二次安倍政権で実現した。安倍政権は森政権の戦前回帰的な教育政策を忠実に継承したと言ってよい。
 「女性のいる会議は時間がかかる」などの発言で女性蔑視を露呈した森氏には、もともと失言が多い。「日本は天皇と中心にする神の国」「教育勅語には時代を超えて普遍的哲学がある」「子どもをつくらない女性を税金で面倒を見るのはおかしい」「国家も歌えない選手は日本代表ではない」など。そこに露呈した森氏の信条は、神話的国体観念、滅私奉公、忠孝の道徳、家父長制秩序、男尊女卑など、恐ろしく復古的だ。個人の尊厳に根ざす日本国憲法の精神とは全く相容(あいい)れない。
 森氏は謝罪会見で自らを「粗大ごみ」に例えたが、僕は「偉大なる過去の遺物」と呼びたい。現代に存在しうる余地はないからである。」

 どれの一読に値する文章だと思いました。