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増村保造監督『セックス・チェック 第二の性』

2021-08-31 18:17:00 | ノンジャンル
 増村保造監督の1968年作品『セックス・チェック 第二の性』をDVDで観ました。

 サイト「MOVIE WALKERPRESS」のあらすじに加筆修正させていただくと、

「電気会社専属の医者・峰重(滝田裕介)は、優秀な陸上選手を育てて会社の宣伝に利用しようと考える社長の意思を受け、大学時代の陸上のライバル、宮路(緒方拳)にコーチを引き受けてくれるように頼む。乗り気でない宮路だったが、コーチに反抗的な態度で接していたバスケットボール部の南雲ひろ子(安田道代)に、陸上百メートルのスプリンターとしての資質を見出し、毎日一対一で猛訓練をつづけることとなる。
 コーチを引き受けることを峰重に報告した宮路は、峰重が外出すると、以前から好きだった峰重の妻・彰子(小川真由美)を犯す。
 帰ってきた峰重に、彰子はそのことをすぐに報告するが、峰重が宮路に対し怒りを感じないのを見て、彰子は峰重がもう自分のことを愛していないのね、と言い残し、家を出る。
 彰子は宮路の部屋を訪ねるが、そこにはひろ子がいて、宮路も今の恋人はひろ子で、スプリンターは女のことなど次から次へと忘れていくものだと豪語する。峰重のもとに帰った彰子は睡眠薬を大量に飲んで、自殺未遂を起こす。
 一方、宮路は、ひろ子が好記録を出すためには、女の中に潜んでいる男の能力をゆり起すこと、徹底的にエゴイストになることをアドバイスしていく。その指導通り、ひろ子は毎朝、ひげ剃りを欠かず、男性になり切ろうと努める。
 第一回の記録会の日、ひろ子は日本記録に〇秒一せまる十一秒七の好記録を出した。ひろ子をメキシコ・オリンピックで優勝させようとする宮路は、この結果に喜んだ。かつては、宮路自身も百メートルの名スプリンターで、十秒〇の壁を破るためには獣になって走れ、というコーチの言葉に従って猛訓練をつづけていたのだが、戦争でオリンピック出場を断念したのだった。
 自分の夢をひろ子にかける宮路だったが、そのひろ子が予選会のセックス・チェックで、半陰陽と診断され、女でないと峰重に宣告されたことは大きな衝撃だった。ひろ子はそのショックで育ての親である伊豆の伯母の家にひきこもってしまった。
 しかし、宮路は諦め切れず、ひろ子を迎えに行った。砂浜で二人は口論となったが、宮路はそんなひろ子を毎晩抱くことによって、本当の女にしてやるとひろ子に約束するのだった。そしてある日、ひろ子に生理が起こり、彼女は本当の女となった。
 峰重のもとを訪ねた宮路は、ひろ子が今では完全に女の体になったことを認めろと言い、嫌がる峰重の前でひろ子とセックスを始めた。ことが終わった後、峰重はついに宮路の希望をかなえ、ひろ子が今では女性になっていることを認めた。何度も自殺未遂を起こし、今では気がふれてしまった彰子を冷徹に見つめる宮路。
救われたおもいのひろ子は、その日から、再び、猛訓練を始めた。それは奇妙な生活だった。昼の訓練では、宮路はひろ子を少しでも男に近づけようとし、夜、ひろ子は宮路の胸の中でより女になろうとするのだった。しかし、やがて行なわれたオリンピック予選会で、ひろ子の記録は十二秒八。彼女はあまりにも女になり過ぎたのだ。もはや宮路の夢は終りだった。二人は黙って競技場を去っていった。

 安田道代の鋭い目つきが印象的な映画でした。

斎藤美奈子さんのコラム・その93&前川喜平さんのコラム・その54

2021-08-30 18:11:00 | ノンジャンル
 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず8月25日に掲載された「感染拡大最優先」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「昨年来のコロナ禍を振り返り、新聞の世論調査をたどると、民意は政府より冷静に判断していたことがうかがえる。
 昨年七月。22日から始まるGoToトラベルに民意の七割は反対だtった。(朝日74%、毎日69%)。しかし政府はGoToトラベルを決行。第二波は開始二週間後の8月7日にピークを迎えた。
 12月、三たび感染が拡大する中、GoToの延長に民意の七割は反対していた。(読売77%、毎日67%)。しかし政府は年末までGoToを停止せず、第三波は1月8日にピークを迎えた。
 一月、五輪の中止か再延期を求める声は八割に達していた(共同通信80%、朝日80%)。この傾向は多少増減しつつも六月まで続き、開催が決定された七月でも民意の七~八割は開催を不安視していた(朝日68%、共同通信87%)。しかし五輪は決行された。市民の反対がなければ無観客にすらならなかっただろう。第五波は今なおピークアウトの気配がない。
 こういうのを世間では「だから言わんこっちゃない」と表現する。
 17日の会見で菅首相は「感染拡大を最優先にして考えていきます」と述べた。言い間違い? いやいや首相にしては珍しく正しい認識である。この一年、政府は事実、感染拡大最優先で動いてきたんじゃないのか。パラリンピックだけは大丈夫だと誰が保証できるだろう。」

 また、8月22日に掲載された「東京都教育長の法律違反」と題された前川さんのコラム。
「東京都教育委員会(都教委)で、教育長による法律違反の会議運営が行なわれている。
 8月18日の都教委の臨時会でパラリンピックへの学校連携観戦を実施する方針を示したが、出席した4人の教育委員は反対の意見を述べたという。
 これは「議決を要しない報告事項」なので「実施の決定に影響しない」という報道があったが、都教委として学校連携観戦への都立学校の参加の可否や都市町村教委への指導・助言の内容を決めるのだから、これは単なる報告事項ではない。教育委員5人に教育長を加えた6人の合議で意思決定すべき事項であって、教育長が専権で決めてよい事項ではない。
 「都教委と教育委員が異例の衝突」という報道もあったが、この表現は間違っている。正しくは4人の教育委員と教育長との間で意見が分かれたということだ。十分論議した上でなお意見が分かれる場合には多数決で議決しなければならない。教育長は教育委員会の会務を総理する(地方教育行政法13条1項)が、議決の際は教育委員と同じ一票を持つにすぎず、可否同数の場合のみ教育長の決するところによる(同法14条4項)。
 6人中4人が反対する中で議決を行わず、学校連携観戦を実施する方針を撤回しなかった藤田教育長の会議運営は、法律違反である。」

 そして、8月29日に掲載された「岸田文雄氏の頼りなさ」と題された前川さんのコラム。
「26日、岸田文雄氏が自民党総裁選への出馬を表明した。「信なくば立たず」「民主主義を守りぬく」。その口調はいつもより力強かったが、どうしてもこの人には頼りなさを感じてしまう。
 新型コロナ対策で法改正を検討するというのだが、それは今すぐではないという。ウィズコロナの社会経済活動を検討するというのだが、それは長期的な検討だという。今現在苦しんでい人々に訴える力がない。
 「令和版所得倍増」「デジタル田園都市構想」と、池田勇人や大平正芳の言葉を織り込んで、宏池会の衣鉢を継ぐ保守本流を印象づけたが、宏池会は再び自民党の本流になれるのだろうか。
 岸田氏は2015年に「当面憲法9条の改正は考えない」と発言して、当時の安倍晋三総裁の怒りを買ったと言われるが、今でhあすっかり安倍氏に同調し、26日の記者会見でも、9条改正を含む4項目について「改正をしっかり考えていくべきだ」と発言した。今年三月にはツイッターで敵基地攻撃能力の保有も主張している。
 宏池会の「護憲・ハト派・リベラル」の看板はすでに壊れてしまっている。岸田氏が自民党総裁になれたとしても、それが安倍氏にすり寄った結果である限り、安倍・菅体制の下で右傾化した自民党を宏池会保守本流に戻すことができるとは思えない。」

 どれも一読に値する文章だと思いました。

増村保造監督『大悪党』

2021-08-29 17:45:00 | ノンジャンル
 増村保造監督・共同脚本の1968年作品『大悪党』をDVDで観ました。

 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のあらすじに加筆修正させていただくと、

 洋裁学校の生徒芳子(緑魔子)は、ボウリング場で安井(佐藤慶)と知りあい、バーに誘われた。安井がやくざとは知らずに、勧められるままに酒を飲んだが、それは睡眠薬の入ったカクテルだった。
 習朝、芳子は安井のマンションで目を覚ましたが、すでに身体を奪われ、そのうえ、ヌード写真を撮られていた。一度は安井の許を逃げ出した芳子も、つきまとう安井の手から逃がれられず、再びマンションに監禁されてしまった。
 ある日、安井は人気歌手島輝夫(倉石功)に芳子を抱かせ、それを十六ミリに収めた。それをネタに島を恐喝しようというのだ。島のマーネージャー(内田朝雄)は五百万円を要求されて驚き、一件を弁護士の得田(田宮二郎)に任せた。
 得田が安井のマンションを訪ねたあと、芳子はその得田に救いを求めた。得田は芳子に、安井の手から逃れるためには彼を殺すほかはない、と説得して、その善後策を練った。
その夜芳子は、酔って眠り込んだ安井の首にネクタイを巻きつけ、締め殺してしまった。早速、連絡を受けた得田は現場に着くと手なれた行動で殺人現場の偽装工作を行ない、その上で芳子を自首させた。得田の策略は、法廷で芳子が殺人を自首したあと弁護に立ち、殺人現場に第三者が存在した物的証拠を提出して、芳子を無罪にしようというものだった。偽装工作は第三者の存在を示すためのものだった。
 裁判が始まった。得田の鮮やかな弁論は、芳子の無罪を裁判官に納得させるに十分だった。芳子が釈放されると、得田は一変した。島のマネジャーに、安井の部屋から手に入れた十六ミリを見せ、五百万円をせしめたのだ。得田の努力はすべてこのためだったのだ。しかし、芳子も今はただの純情な女ではなかった。彼女は得田に偽装工作の一件を警察に密告するとおどし、金を手にすると呆然とした得田を残して、去っていった。

 佐藤慶の残忍さと田宮二郎の非情さ、緑魔子のか弱さがよく描けていた映画だと思いました。

斎藤美奈子さんのコラム・その92&前川喜平さんのコラム・その53

2021-08-24 12:41:00 | ノンジャンル
 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず8月11日に掲載された「退場相当案件」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「席に着くなり「でかいな、やっぱり」。(メダルを)持ちますかと問われ「せっかくなので、かけてちょうだい」(メダルをかむ)。さらに…「体つきはもう一人の昔からおるピッチャーの…」「体は割と小ぶりに見えるけど、こうやって見えるとでかいでね」「どえらい、かわいいお嬢さんだからびっくり」「女のソフトボールやっとるやつは中学生でもみんななんとなく色が黒くて」「ええ旦那をもらって。旦那はええか。恋愛禁止かね」「びっくりしました。テレビのたくましい雰囲気と、えらいキュートな雰囲気と」
 以上、東海テレビが七日に公開した、選手訪問時の河村たかし名古屋市長の発言の一部である。
 女子選手の容姿に何度も言及する。結婚や恋愛を話題にする。相手の持ち物を口に入れる。セクハラとパワハラで完全にアウトである。その場で拒否すればよかった、なんていうのは無理。彼女の立場で考えれば、笑顔で耐える以外にない。だからこそ、それはハラスメントなのだ。
 メダルの交換で幕引きしちゃダメだろう。五日には名古屋市議会四会派(自民・名古屋民主・公明・共産)が議員団長の連名で市長に「明確なけじめ」を求める「抗議ならびに要請書」を、減税日本は「謝罪を求める要望書」を提出している。辞職勧告決議に値する案件。議会の見識も問われている」。

 また、8月18日に掲載された「ほんとの姿は?」と題された斎藤さんのコラム。
「十五日、米軍が撤退したアフガニスタンの首首都カブールをタリバンが制圧した。日本のメディアは悪夢が復活するといわんばかりの書きようだ。
 みなが恐れるタリバンとはどんな組織なのか。参照すべきは現地で長く活動してきた故・中村哲さんの言葉だろう。
 2001年、米国がアフガニスタンを爆撃した直後のインタビューで中村さんは答えている。
 「日本の論調では、ひと握りの悪の権化タリバンが力をもって罪のない民衆を抑圧するという図式が成り立っていたわけですけど、それはちょっと違うんです」
 タリバンはソ連撤退後のアフガニスタンに平和と秩序をもたらした地域集団の集合で、人々は歓迎していた。そこに英米軍が侵攻してきてグチャグチャにされた。それが現地の庶民の感覚で、女性に教育を受けさせないといってもカブールには何十もの女学校があって「かなりの規制は緩んでいたんです」。西側の報道がいかに一面的か、目が覚める思いがする。
 02年1月号から9回に渡って行われたこのインタビュー記事は、現在ロッキング・オンのウェブサイトで公開されている(「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」。)
 二十年後のいまもワシントン発の情報だけで判断はできない。平和を乱したのは誰だったのか。いまこそ考えるべきだろう。」

 そして8月15日に掲載された「入館行政の人権侵害」と題された前川さんのコラム。
「名古屋の入館施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさん。監視カメラ映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われ殺された」「入管は人の道を外れている」と訴えた。
 外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自著で言い放った言葉だ。入管行政における人権侵害は再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。日本政府がこれほどまでに外国人の人権を蔑(ないがし)ろにするのはなぜなのか。その答えは日本国憲法の制定の経緯の中に潜んでいる。
 GHQ草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象といsていた。「外国人は平等に法律の保護を受ける権利を有する」という内外人平等の規定もあった。しかし日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と書き直され、内外人平等規定は削除された。衆議院の審議では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された。人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には、日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓(ざんし)があった。それは今も日本人の潜在意識に根深く残っている。この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう。」

 どれも一読に値する文章だと思います。

増村保造監督『積木の箱』

2021-08-10 10:51:00 | ノンジャンル
 増村保造監督の1968年作品『積木の箱』をDVDで観ました。

 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のあらすじに加筆修正させていただくと、

 北海道の観光王佐々林豪一(内田朝雄)の息子一郎(内田喜郎)は、ある日、父と長姉の奈美恵(松尾嘉代)が抱きあっているのを見て仰天した。実は奈美恵は、少女時代に豪一に拾われた娘で、豪一の女だったのだ。それを姉のみどりから知らされた一郎は、みどりも母トキも、妻妾同居を平然と受け入れているのに憤激し、それ以来すっかり変ってしまった。
 家で食事もしなくなった一郎は、毎日パンを買う店の久代(若尾文子)の優しさに惹かれていった。久代は子供の和夫とつましく暮している女だった。一方、決活で成績のよかった一郎の変化に気づいた教師の杉浦(緒方拳)は、家庭訪問して佐々林家の乱脈ぶりに気づき、一郎のこころの成長を気づかった。
杉浦は久代に好意を持ち、一郎が久代の家を訪れるとよく談笑していた。一郎は杉浦にライバルめいた意識を持ち、久代の肌着を杉浦のロッカーに入れておくという悪戯をやったが、軽くいなされてしまった。
 一郎はみどりに、奈美恵を父から奪うと宣言したが、それから間もなく、挑発する奈美恵を抱いた。そして、彼女に二度と父と寝ないと約束させたのだ。しかし、豪一と奈美恵の部屋は仕掛けドアでつながっていた。その事実を知った一郎が詰問すると、奈美恵は久代もまた豪一の女だという。久代に詰め寄る一郎は、久代が豪一の秘書だった頃暴行を受け、和夫を生んだことを知った。
 豪一の獣のような数々の振舞いに、一郎はナイフを手にして父に迫った。だが、もちろん刺せなかった。その夜、一郎は父の名を汚すため、学校に放火した。宿直の杉浦は、現場に落ちていた帽子から、犯人が一郎だと知ったが、責任をとって辞職した。豪一も一郎の仕業と察してあくまで否認するよう、一郎に厳命した。だが、みどりは一郎に自白するように言い、虚飾にみちた佐々林家から出ていった。一郎は、当夜杉浦の許にいて火傷した和夫を見て、さすがに良心の呵責に駆られた。そして、豪一の面前で警察へ自白の電話をするのだった。

 主役の15歳の青年を演じた内田喜郎の屈折した多弁さが目立った映画でした。