恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず去年の1月27日に掲載された「杖の使い方」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「毎日午後三時に発表される東京都の新規陽性者数を一喜一憂しながら見ている人は多いと思う。そんな数字は目安にすぎぬといわれても、増えればショックを覚え、減れば少しほっとする。
しかし、それ以上に衝撃的だったのは、警察庁が発表した「感染後、病院に入院せずに死亡した人」の数である。全国でじつに百九十七人。PCR検査などで感染が確認された後、自宅や高齢者施設、宿泊療養施設などにいた人が五十九人。死亡後の検査で感染が確認された人が百三十八人。医療体制が整っていたら救えたかもしれない人たちだ。しかもそのうちの三分の二は十二月と一月に集中している。
もうひとつは大阪府の死者数である。東京都の死者数は累計七百九十六人。大阪府はそれより多い全国最多の八百四十三人(二十五日現在)。大阪府の死者数が東京を抜いたのは十四日だ。
こうなると、第三波が来る前の昨年の行状がやはり気になる。GoTo事業にウツツをぬかしていた政府。大阪府構想をめぐる住民投票なんかをやっていた大阪府。
転ばぬ先の杖(つえ)どころか転ばすための杖を差し出していたとしか思えぬリーダー。で、その人たちが今度はワクチンという魔法の杖に頼ろうとしているらしい。だが、魔法の杖も運用次第だ。ほんとにそれをちゃんと扱えるのか。きわめてあやしい。」
また、1月24日に「核兵器禁止条約の発効」と題された前川さんのコラム。
「二十二日、核兵器の開発、保有、使用を国際法上違法化する核兵器禁止条約が発効した。未来の世界史の教科書に必ずや記載される出来事だ。
悲しいことに、唯一の戦争被爆国日本は条約に反対し、条約交渉会議にすら参加しなかった。空席には「WISH YOU WERE HERE(あなたにいてほしかった)」と書かれた折り鶴が置かれていた。二十二日の参議院本会議でも、菅首相は「当条約に署名する考えはない」と言い切った。それは無法者の仲間でいたいということにほかならない。
米国の核抑止力が日本の安全保障に必要だという「現実論」が根強く存在する。しかし米国が日本のために核兵器が使うという想定こそ非現実的だ。理想を求める人々の方が、むしろ現実を直視し、一歩一歩進もうとする。1975年生物兵器禁止条約発効。97年化学兵器禁止条約発効。99年対人地雷禁止条約発効。2010年クラスター弾禁止条約発効。非人道的兵器を禁止する国際法の進化は、人類の理想への歩みだ。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則。佐藤栄作元首相は、この政策によりノーベル平和賞を受賞したが、それは彼の業績ではない。人々の切なる願いが彼にそうさせたのだ。ならばもう一度、政治を動かそう、今度は核兵器の禁止に向かって。」
そして、1月31日に「あの学長とこの学長」と題された前川さんのコラム。
「旭川医大の吉田晃敏学長は昨年十一月、クラスターが発生した吉田病院からのコロナ患者の受け入れを拒否し、派遣していた非常勤医を一斉に引き揚げたという。同大の古川博之病院長は患者を受け入れようとし、吉田学長は「受け入れてもいいがその代わりお前がやめろ」と言ったという。彼は学内会議で「コロナをなくすためにはあの病院が完全になくなるしかない」などとも発言。10月25日には学内情報の外部漏洩(ろうえい)などの理由で古川病院長を解任した。
旭川医大のこの状況は旭川市民及び周辺住民の不幸である。学長の責任は厳しく問うべきだ。
一方、東京歯科大学の田中雄二郎学長は、昨年三月以来「世のため人のためやるしかない」と、延べ約千六百人のコロナ患者を受け入れてきた。丁寧に情報供給をしつつ「力を合わせて患者さんと仲間をコロナから守ろう」「試行錯誤を大事にしよう」「責めるより応援しよう」と呼びかけ、職員の心を一つにしてきた。「コロナ基金」には、すでに一億二千万円が集まった。他の病院との信頼関係も築いた。田中学長の人徳によるものだ。彼のホームページで卒業生らのメッセージを読むと、彼がいかに慕われているかが分かる。
東京医科歯科大学に田中学長がいることは、東京都民の僥倖(ぎょうこう)である。こういう友を持つことは、僕の喜びである。」
どれも一読に値する文章だと思いました。
まず去年の1月27日に掲載された「杖の使い方」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「毎日午後三時に発表される東京都の新規陽性者数を一喜一憂しながら見ている人は多いと思う。そんな数字は目安にすぎぬといわれても、増えればショックを覚え、減れば少しほっとする。
しかし、それ以上に衝撃的だったのは、警察庁が発表した「感染後、病院に入院せずに死亡した人」の数である。全国でじつに百九十七人。PCR検査などで感染が確認された後、自宅や高齢者施設、宿泊療養施設などにいた人が五十九人。死亡後の検査で感染が確認された人が百三十八人。医療体制が整っていたら救えたかもしれない人たちだ。しかもそのうちの三分の二は十二月と一月に集中している。
もうひとつは大阪府の死者数である。東京都の死者数は累計七百九十六人。大阪府はそれより多い全国最多の八百四十三人(二十五日現在)。大阪府の死者数が東京を抜いたのは十四日だ。
こうなると、第三波が来る前の昨年の行状がやはり気になる。GoTo事業にウツツをぬかしていた政府。大阪府構想をめぐる住民投票なんかをやっていた大阪府。
転ばぬ先の杖(つえ)どころか転ばすための杖を差し出していたとしか思えぬリーダー。で、その人たちが今度はワクチンという魔法の杖に頼ろうとしているらしい。だが、魔法の杖も運用次第だ。ほんとにそれをちゃんと扱えるのか。きわめてあやしい。」
また、1月24日に「核兵器禁止条約の発効」と題された前川さんのコラム。
「二十二日、核兵器の開発、保有、使用を国際法上違法化する核兵器禁止条約が発効した。未来の世界史の教科書に必ずや記載される出来事だ。
悲しいことに、唯一の戦争被爆国日本は条約に反対し、条約交渉会議にすら参加しなかった。空席には「WISH YOU WERE HERE(あなたにいてほしかった)」と書かれた折り鶴が置かれていた。二十二日の参議院本会議でも、菅首相は「当条約に署名する考えはない」と言い切った。それは無法者の仲間でいたいということにほかならない。
米国の核抑止力が日本の安全保障に必要だという「現実論」が根強く存在する。しかし米国が日本のために核兵器が使うという想定こそ非現実的だ。理想を求める人々の方が、むしろ現実を直視し、一歩一歩進もうとする。1975年生物兵器禁止条約発効。97年化学兵器禁止条約発効。99年対人地雷禁止条約発効。2010年クラスター弾禁止条約発効。非人道的兵器を禁止する国際法の進化は、人類の理想への歩みだ。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則。佐藤栄作元首相は、この政策によりノーベル平和賞を受賞したが、それは彼の業績ではない。人々の切なる願いが彼にそうさせたのだ。ならばもう一度、政治を動かそう、今度は核兵器の禁止に向かって。」
そして、1月31日に「あの学長とこの学長」と題された前川さんのコラム。
「旭川医大の吉田晃敏学長は昨年十一月、クラスターが発生した吉田病院からのコロナ患者の受け入れを拒否し、派遣していた非常勤医を一斉に引き揚げたという。同大の古川博之病院長は患者を受け入れようとし、吉田学長は「受け入れてもいいがその代わりお前がやめろ」と言ったという。彼は学内会議で「コロナをなくすためにはあの病院が完全になくなるしかない」などとも発言。10月25日には学内情報の外部漏洩(ろうえい)などの理由で古川病院長を解任した。
旭川医大のこの状況は旭川市民及び周辺住民の不幸である。学長の責任は厳しく問うべきだ。
一方、東京歯科大学の田中雄二郎学長は、昨年三月以来「世のため人のためやるしかない」と、延べ約千六百人のコロナ患者を受け入れてきた。丁寧に情報供給をしつつ「力を合わせて患者さんと仲間をコロナから守ろう」「試行錯誤を大事にしよう」「責めるより応援しよう」と呼びかけ、職員の心を一つにしてきた。「コロナ基金」には、すでに一億二千万円が集まった。他の病院との信頼関係も築いた。田中学長の人徳によるものだ。彼のホームページで卒業生らのメッセージを読むと、彼がいかに慕われているかが分かる。
東京医科歯科大学に田中学長がいることは、東京都民の僥倖(ぎょうこう)である。こういう友を持つことは、僕の喜びである。」
どれも一読に値する文章だと思いました。