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斎藤美奈子さんのコラムその112&前川喜平さんのコラムその73

2022-04-30 06:23:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず4月17日に掲載された「モリカケサクラは続く」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「十一日に記者会見した赤木雅子さん。自殺した夫の俊夫さんが文書改竄(かいざん)の指示に逆らえなかったことについて「上が白と言えば黒いものでも白」「すごい圧力の中で改竄したと思う」と話し、改竄を指示した佐川宣寿元理財局長には「夫の墓に手を合わせてほしい。無理なら法廷で自分の口から何があったか語ってほしい」と訴えた。
 森友学園事件に比べると加計学園事件は、文科省文書と愛媛県文書により事実がかなり明らかになっているが、まだ不明な点もある。加計学園から文科省に提出された理事会議事録などの開示が求められた裁判で東京高裁は十四日、その一部の開示を国に命じた。
 「桜を見る会」前日に安倍晋三後援会が催した夕食会の費用補填(ほてん)問題を告発した弁護士らは十三日、安倍氏を不起訴とした検察の処分を不服とし「起訴相当」の議決を求めて検察委員会に審査を申し立てた。
 モリカケサクラは安倍氏とその周辺による権限の濫用(らんよう)であり国政の私物化だった。その真相を究明し責任を追及することは、国民の信託を受けている政治家が本来やらなければならない仕事だ。しかし岸田首相は何も説明しないし、野党も追及を諦めたかに見える。ならば国民自身が司法と言論の場で真相究明と責任追及を続けていくしかない。終わったことにはできないからだ。」

 また、4月20日に掲載された「大学案内に美女?!」と題された斎藤さんのコラム。
「二十日にはもう、ニュースになっているだろうか。十八日、近畿大学教職員組合のアカウントが気になるツイートを流した。〈近畿大学の広報について、組合は以前より苦言を呈していますが、大学案内で「美女図鑑」等、品性を疑う…〉
 問題の大学案内は「2023 近大グラフィティ」と題する受験生向けパンフレットで、ウェブ上にアップされた資料を見ると、たしかにこれは目を疑うものだった。「美女図鑑」「美男図鑑」には「身長」「好きなタイプ」という項目が最初にあり、各学部を代表する学生の写真にも「今日のポイント」と称するファッション紹介(値段まで!)が付く。
 教職員組合のツイートは〈この特集だけではなく、ここに載せる学生を教員に推薦させる際、平然と「ビジュアルのよい学生を推薦してください」などと言ってくる広報室には呆(あき)れるほかない〉とも記している。
 あまりにも露骨なルッキズム(外見至上主義)。
 おりしも吉野家の常務が早稲田大学主催の社会人向け講座で「生娘がシャブ(薬物)漬けになるような企画」と発言。吉野家と早大は謝罪する事態に至った。近大の場合は大学当局が発行する公式の大学案内である点でよりタチが悪い。今日の認識ではルッキズムはれっきとした人権侵害だ。大学はイメージダウンどころか差別に加担してどうする。」

 そして、4月24日に掲載された「自公政権のマッチ・ポンプ」と題された前川さんのコラム。
「教員免許更新制(更新制)は1990年代に自民党の中で「問題教員」排除の方策として主張され始め、2000年12月に森喜朗内閣の教育改革国民会議が提言した、当時僕は教員免許制度担当の課長だったが、文科省はこぞって反対し、中央教育審議会(中教審)は02年2月に導入を見送る答申をした。
 しかし自民党の熱は冷めず、04年十月当時の中山成彬文科相が再び中教審に諮問。06年七月中教審は教員の資質能力の刷新(リニューアル)のため更新制が必要だと答申した。07年一月安倍晋三内閣の教育再生会議は、更新制で不適格教員への激しい対応を求める提言をした。
 07年六月に法改正が行われ、09年度から更新制が始まったが、現場教師たちからは不評だった。うっかりミスによる失効も続発した。09年九月に成立した民主党政権も廃止せず、失望が広がった。教師の負担感は高まり、教員の人材不足が全国で起きた。
 ところが今国会、自公政権が更新制廃止法案を出した。会期末までに成立するだろう、火をつけた本人が火を消す、これを「マッチ・ポンプ」と言う。施行日は七月一日。参院選に合わせたのだ。教師たちは「自民党、公明党、ありがとう」などと思ってはいけない。そもそもこんな馬鹿な制度を作った張本人なのだから。」

 どれも一読に値する文章だったと思います。

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』その9

2022-04-29 00:50:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

(中略)

 七月になり、早瀬君の仕事が土日に入ることが多くなってきた。結婚式は九月の第三日曜日に予定しているのに、これでは森宮さんを説得できなくなってしまう。(中略)
「いいや、俺」
 森宮さんは視線を外すとそう言った。
「いいって何が?」
「どうせ、みんな賛成してるんだろう」
「そんなふてくされたようなこと言わないで」
「ふてくされてはいないけどさ。あ、忘れないうちに渡しておく」(中略)
「何?」
「泉ヶ原さんが三百万円送ってきた。結婚祝いにって、自分からだということは黙って二人に渡してほしいってさ」(中略)
「泉ヶ原さんはこんなに大金を出して、二人を応援してる。水戸さんは連絡を取らなくたって、優子ちゃんの幸せを願ってるのは明らかだ。梨花は大喜びだろう? それなのに、俺が反対するとかおかしいもんな」(中略)
 計画どおりだ。(中略)だけど、全然違う。森宮さんが心から「いいよ」と言ってくれなければ、意味はない。(中略)私がそう言おうとすると、
「お父さんに認めてもらわないと結婚はできないです」
 と早瀬君がきっぱりと言った。(中略)

(中略)

 私は何も知らなかったけれど、早瀬君は二度目の訪問で断られてから、三、四日に一度、森宮さんに手紙と自分が弾いたピアノを録音したCDを送りつけていた。
 それがわかったのは、結婚式場や日取りが決まり早瀬君の家にあいさつに行った時だ。(中略)お母さんは「先日、被害届が届いたの」と一通の手紙を私に差し出した。

 三日に一度、早瀬賢人(はやと)君からピアノ曲と暑苦しい手紙が送られ、困っています。結婚がうまくいくまでは続くようです。これ以上こんな目に遭わされては平穏な暮らしができません。どうか、二人が何も気に留めることなく、結婚できるようにしてください。 森宮壮介

(中略)

(中略)
 優子ちゃんが読まないと決めた水戸さんからの手紙は、ざっと百十二通あった。勝手に読むのも気が引けたけど、誰にも読まれずしまわれている手紙はむなしい。それに、子ども時代の優子ちゃんがどんなふうだったか知りたくて、手に取らずにはいられなかった。(中略)
 優子ちゃんはブラジルにいる間の手紙だと言っていたけれど、日本に帰ってからも手紙は続いていて、新しい住所が知らされ、なんとかして会えないだろうか。顔だけでも見たい。と必死な願いが書かれていた。(中略)
 百通を超える手紙を読んで、優子ちゃんの幸せになろうとしtげいる姿を見ることが、この人にとって何にも代えられない大きな喜びだということを、想像するのは簡単だった。だから、水戸さんに手紙を書いた。(中略)ただ結婚式の場所と日時だけを知らせた。
 今朝、優子ちゃんには、水戸さんが来ることを伝えた。(中略)
 十三年ぶりの父娘の再会は想像していたよりもあっさりとしたもので、二人とも時間の隔たりなど何もないように、お互いに近づき言葉を交わしていた。(中略)

(中略)
「最後の親だからバージンロード歩くの、俺に回ってきちゃったんだろう」
「まさか。最後だからじゃないよ。森宮さんだけでしょ。ずっと変わらず父親でいてくれたのは。私が旅立つ場所も、この先戻れる場所も森宮さんのところしかないよ」
 優子ちゃんはきっぱりと言うと、俺の顔を見てにこりと笑った。(中略)
「笑顔で歩いてくださいね」
 スタッフの合図に、目の前の大きな扉が一気に開かれた。
(中略)本当に幸せなのは、誰かと共に喜びを紡いでいる時じゃない。自分の知らない大きな未来へとバトンを渡す時だ。あの日決めた覚悟が、ここへ連れてきてくれた。
「さあ、行こう」
 一歩足を踏み出すと、そこはもう光が満ちあふれていた。

 いつもの瀬尾さんの小説のように、典型的な青春小説でした。

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』その8

2022-04-28 00:10:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

(中略)
「森宮さんはいいや」
「どうして?」
「私、親がたくさんいるんだよね。森宮さん以外の親全員に賛成してもらったら、森宮さん一人で反対し続けられないでしょう」(中略)

(中略)
存命の私の親は、(中略)四人で、(中略)居場所がわかるのは、森宮さんと泉ヶ原さんだけだった。(中略)

 四月の下旬。泉ヶ原さんに手紙を書いた。
(中略)いろいろ考えた結果、変わらず元気でいるということと、結婚を考えている相手とあいさつに伺いたいということだけを書いた。泉ヶ原さんは「ぜひおいで」とすぐに返事をくれた。

(中略)
 高校に進学した時も、就職した時も、どの親にも知らせなかった。それでも、結婚は知らせるべき大きな転機のような気がした。(中略)
「ああ、知らせてもらえてよかったよ。めでたいことは、知りたいもんな」
 泉ヶ原さんがうれしそうな笑顔を見せるのに、私はほっとした。(中略)
「そうだ、……あの、泉ヶ原さん、梨花さんの連絡先ってわかりますか?」(中略)
「知ってるといや、知ってるんだけど……」(中略)
「そうだよな。こんなめでたいことだもんな。きっと梨花は喜ぶよな」(中略)

(中略)

(中略)206号室。泉ヶ原さんに聞いた番号をたどっていくと、廊下の突き当りに見つかった。(中略)ドアが開いた。
「ちょっと。三時に来るって聞いたから、待ってるのに」
「ああ、梨花さん」(中略)
 七年の間に泉ヶ原さんと離婚して、森宮さんと結婚して離婚して、また泉ヶ原さんと再婚して。(中略)
「森宮君と結婚したのはさ、健康診断に引っかかって入院してる時に、中学の同窓会で会った彼のことを思い出したからなんだよね。東大出て、大手で働いてて、ついでに金魚を十年も育ててたって話してた堅実な人がいたなって」
「それで?」
「森宮君、優子ちゃんの親に向いてるって思ったの。(中略)」
(中略)
「まあね。手術一年後に、また悪いところが見つかって再手術することになって。こりゃ、さっさと優子ちゃんと自分の身の上をなんとかしなきゃって、焦ったんだよね。(中略)」
(中略)
「再手術が決まって、森宮君との関係を一気に結婚まで持って行ったの。(中略)」
(中略)
「これ、梨花さんに」
「何これ?」
「お金、なんだけど」(中略)
「あの時住んでたアパートの大家さんにもらったの。(中略)大家さん、このお金が必要なときがいつか来るって言ってた。なんとかしたいことが起きたとき、このお金を使えばいいって。梨花さんお金に困ってはないだろうけど、私のなんとかしたいときは今だから」(中略)
「なんか御利益がありそうなお金だね。ありがたくもらっておく。ありがとう」(中略)
「(中略)……あの、もしかして、お父さん、水戸秀平の居場所ってわかるかな」(中略)
「そう、梨花さんの最初の夫だよ」(中略)
「うん、……知ってる」(中略)
(病院の)談話室には早瀬君の姿はなかった。(中略)待合室横にはロビーが作られ、(中略)早瀬君はそこでピアノを弾いていた。(中略)
「早瀬君、ピザ焼いてる場合じゃないってこと」(中略)
「ピアノ、弾かなきゃ。(中略)ごたごた言ってないで、早瀬君は真摯にピアノを弾くべきだよ」(中略)
「そうかな」
「そうだよ。ハンバーグもピザも私が焼く。だって、私のほうが料理うまいもん」
 私がきっぱりと言うと、
「俺もそれ、うすうす気づいていた」
 と早瀬君は静かに笑った。

 それから一週間もしないうちに、梨花さんから荷物が送られてきた。お父さんの連絡先を知りたいだけなのに、届いたのは小さなダンボールだ。ずいぶんおおげさだなと開けてみると、輪ゴムで止められた何通もの手紙が入っていた。
 なんだろう、これは。と、まずは一番上に置かれていた紙を手に取ると、梨花さんから私にあてたものだった。

(中略)同封したのは優子ちゃんのお父さんからの手紙です。ブラジルに旅立ってから十日に一度ほど送られてきました。優子ちゃんがやっぱりお父さんのところへ行きたいと言い出すのが怖くて、渡せずにいました。(中略)
 お父さんは、二年後には日本に戻り、優子ちゃんに会いたいと何度も私へ連絡してきました。でも、そのころには、私にとって優子ちゃんより大事なものは一つもなかったから、失うのが不安でどうしても合わせることができなかった。(中略)
 水戸さんは、その三年後に再婚したそうです。(中略)
 水戸さんは娘が二人でき、新しい家族と幸せに暮らしているようですが、優子ちゃんのことは忘れるわけがないし、結婚のことを聞いたら喜ぶはずです。
 では、結婚式、楽しみにしています。

 というメッセージと、最後にはお父さんの住所が書かれていた。(中略)
「じゃあ、もしかして、お父さんに会いにも行かないつもり?」
 森宮さんはうかがうように私の顔を見た。
「うん。そうだね。もう新しい家族ができて子どももいるみたいだし」

(また明日へ続きます……)

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』その7

2022-04-27 01:12:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

森宮さんと梨花さんと私の生活が始まってたった二ヶ月で、梨花さんは出て行った。「探さないでください 梨花」というありきたりな手紙を置いて。(中略)
それからしばらくして、梨花さんから一通の手紙が届いた。
 手紙には、
「再婚をするので、早急に確実に手続きをしてください」
 とだけ、書いてあって、離婚届が同封されていた。(中略)(森宮さんはすばやく離婚届に記入した。)
「梨花さんのこと好きじゃないの?(中略)」
「梨花さんのことは好きだけど、大事なのは優子ちゃんだ。俺、人である前に、男である前に、父親だからね。この離婚届出したら、結婚相手の子どもじゃなく、正真正銘の優子ちゃんの父親になれるってことだよな。なんか得した気分」(中略)

第2章

(中略)
昨日の夜、「明日会ってほしい人がいる」と話した時、森宮さんは大喜びだった。

(中略)
「優子ちゃんまだ二十二歳だし少し早い気もするけど、そろそろそうなりそうな気がしてた。いつもはよくしゃべるのに、今の彼氏のこと、オープンにしてなかっただろ? その分本気で慎重に付き合ってるんだと推測してたんだ」(中略)

 ところが、いざ、早瀬君を目の前にすると、森宮さんは渋い顔をした。(中略)
「(中略)どこの親がふらふらあちこちに旅立ってる男との結婚に賛成する? どうせまたすぐどこかに飛んで行くんだろう」(中略)

 高校の時に付き合っていた脇田君とは、大学に進学して一ヶ月足らずで別れた。脇田君に好きな女の子ができたと、ふられたのだ。(中略)
短大を卒業し栄養士の資格を取った私が就職したのは、山本食堂という小さな家庭料理の店だ。高齢者用の宅配弁当も行っていて、その献立を考えるのが仕事内容。(中略)

(中略)
森宮さんは、この店に週に二、三度は食べに来た。(中略)
「森宮さんが来ないとなると、もう誰も来ないな。掃除始めちゃおうか」
「そうですね」(中略)
「(中略)おっと、客が来た」
(中略)入ってきたのは早瀬君だった。
 高校卒業以来だから、会わなくなって三年。(中略)広い背中に長い腕を見ると、ピアノを弾くためにかがめられた姿が頭に浮かぶ。(中略)
「(中略)今あちこち食べ歩きしてるんだ」
「食べ歩き?」
「毎日違う店に入っては食べてる。森宮さんは? ここで仕事?」
「そう、ここに就職したんだ。あ、そうだ。いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」(中略)
「すごいよ。森宮さん、音楽もやって料理も作って、まさにロッシーニだ」
 早瀬君はそう言うと、私の手を取って握手をした。
そのとたん、私の中に高校生のころの思いがあふれだした。(中略)手に触れられただけなのに、胸が締めつけられそうで、同時に穏やかな感覚が広がっていく。(中略)本当に好きな人は、こんなにも簡単にはっきりとわかるのだ。(中略)

 それから、何度か会い、私たちは付き合うこととなった。(中略)
「そう、ピザづくりを学びたくて、イタリアのレストランで修行してた」(中略)
「俺、ロッシーニみたいになりたいんだよね」
「それは聞いたことがあるけど」
 が詳細の伴奏練習の時、早瀬君は音楽室の肖像画を見て、ロッシーニが一番いいと言っていた。
「ロッシーニは音楽活動の後、レストランを経営したんだよ。(中略)」(中略)
 そして、出会った翌年、(中略)早瀬君は後五ヶ月で卒業だというのに音大を中退し、「バイト代もたまったし、今度はハンバーグの修行に行ってくる」とアメリカに出向いてしまった。(中略)
森宮さんは、いつもは早瀬君の話をおもしろく聞いていたけど、大学を中退してアメリカに行った話をすると、「そいつはだめだな」と顔をしかめた。(中略)
「目標が変わるのは悪いことじゃないけど、人生ってそんなに気楽じゃないよ」(中略)
 一ヶ月が過ぎ、(中略)アメリカから帰ってきた早瀬君は(中略)山本食堂にやってきた。(中略)
「俺、いろいろ気づいたよ」(中略)
「いろいろ?」
「(中略)俺、ファミリーレストランを作りたい。(中略)チェーン店じゃない、手作りのファミリーレストランを作るって決めた」
(中略)
「だからさ、優子、結婚して」
「は?」(中略)
「優子、栄養士免許持ってるし、ちょっとおいしい料理作るし」(中略)
「(中略)愛と音楽があふれるファミレスって最高だと思わない?」(中略)

 その後、フランス料理屋で働き始めた早瀬君がバイトから正社員になって私たちは本格的に結婚に向けて動き始めることにした。(中略)

 四月の第三日曜日。もう一度、早瀬君を森宮さんに引き合わせることにした。
(中略)
「なんだよ、また来たのか」(中略)
「何度もすみません。お父さん、少しは気が変わられたでしょうか」(中略)
「二週間で変わるわけないだろう。っていうか、一生変わらないから」(中略)
「ああ、もう俺、寝る」と自分の部屋へ閉じこもってしまった。

(また明日へ続きます……)

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』その6

2022-04-26 05:32:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

(中略)
「結婚って、梨花さんと泉ヶ原さん、恋人だったの?」
 泉ヶ原さんは私が思ったより若く四十九歳だということだけど、三十二歳になったばかりの梨花さんとは年が離れているし、どう見たって夫婦に見えなかった。
「まあ、恋人っていえば恋人だけどね。でも、世の中にはお見合いもあるし、恋人同士だけが結婚するってわけじゃないんだよ」(中略)「私は優子ちゃんにピアノをプレゼントしたい一心だったのに」
 梨花さんはそう膨れた。(中略)

 一変する。というのはこういうことだ。
(中略)吉見さんが家事はすべてしてくれるから、しなくたっていい。
 仕事を辞めた梨花さんはすることがなくなり、私も手伝うことがゼロになった。(中略)誰かが厳しいことを言うわけでもないのに、なぜか堅苦しい。そして、そんな戸惑いや窮屈さを消してくれるのがピアノだった。(中略)
 私が来た翌日には、泉ヶ原さんはピアノの先生が家に教えに来るようにしてくれた。(中略)

(中略)

梨花さんは、ここに来て初めの一ヶ月ほどは、「天国のようだ」と言っていたけれど、三ヶ月も経つと、「息苦しい」「窮屈だ」と言うようになった。

(中略)
 アジフライにソースをかけた梨花さんに、
「あ、フライ、そのままで食べてくださいね」
 と吉見さんが言った。
 梨花さんは聞こえなかったかのように、ソースをたっぷりかけると、「やっぱりだめだわ」とぼそりとつぶやいた。
 次の日、学校から帰ると、梨花さんはいなくなっていた。(中略)

 出て行った翌日から、毎日のように梨花さんは夕方に訪ねてきた。
 何度も「一緒に行こうよ」「優子ちゃんがいないとだめだよ」と私を誘い、私が「じゃあ、梨花さんが戻ってきてよ」と言うと、「それはできない」と渋い顔をした。(中略)

(合唱祭の伴奏者の一人、早瀬君のピアノに私が魅了されるエピソードが語られる。そして森宮さんとの関係がぎくしゃくしたことが、勉強の成績にも現れ、向井先生に励まされる。)

(中略)


 合唱祭の帰り、伴奏者の久保田さんと多田さんと打ち上げだと称して、ケーキを食べに行った。(中略)
 その二日後、ピアノを弾ける女子は何割増しかかわいく見えるというのは本当らしく、合唱祭で伴奏したおかげか、三組の脇田君から告白された。(中略)私は脇田君の告白に応えていた。(中略)

(中略)

泉ヶ原さんの家から出て行って一年以上が過ぎても、梨花さんはたびたび私の元を訪れた。(中略)

そんな日々が中学三年生になっても続いた。ただ、梨花さんは仕事が忙しくなってきたのか、頻繁に会いに来ることもあれば、一ヶ月以上来ないこともあった。(中略)

 中学三年生の三学期に入ってすぐ、いつものように夕方にやってきた梨花さんは、私に一枚の写真を見せた。
「この人、どう思う?」
「どうって……」(中略)
「彼、東大卒で今一流企業で働いてるんだ」(中略)
「彼?」
「えへへ。まあね」
「この人と付き合ってるの?」
 梨花さんの好みとは全然違う男の人に、私は驚いた。
「そう、森宮君。(中略)」
「でさ、その人と結婚しようと思って」(中略)
「梨花さんが好きならそれでいいけど」(中略)私の生活は変わらないはずだ。(中略)

 ところが、中学を卒業をした春休み。梨花さんが泉ヶ原さんのいるときにやってきて、私と泉ヶ原さんを前に、森宮さんと籍を入れたこと、そして、私を引き取りたいことをものすごく簡潔に話した。(中略)何よりお届いたのは、泉ヶ原さんがまったく動じることもなく、「わかった」とうなずいたことだった。

「知ってたの?」
 梨花さんが帰った後、私は泉ヶ原さんに尋ねた。(中略)
「まあ、話はちょくちょく聞いてたから……」(中略)

 身をかがめないと外を歩けないような寒さの厳しい日、三学期が始まった。(中略)

「しゅうちゃんとは情熱で一緒になって、泉ヶ原さんは包容力にひかれて、でも最後は常識的な人に落ち着いたって感じかな。(中略)」(中略)
「はじめまて。優子ちゃん。(中略)えっと、僕は森宮壮介(そうすけ)といいます。梨花とは中学の同級生で、三十五歳です」(中略)

(中略)

 一週間後、学校から帰ると、郵便受けに大学の名前が書かれた封筒が入っていた。(中略)中の紙を取り出すと、そこには「あなたは合格と決定しました」とだけ書かれていた。(中略)

 三月一日は、ようやく冬も終わりに近づいてきたかと思っていたのに、また季節が戻ったかのような冷たい風が吹く日となった。(中略)卒業式の日はいつも天気が悪い。(中略)

 今朝のホームルームで、向井先生は一人一人に手紙を配った。(中略)

(また明日へ続きます……)