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末永和之『金子みすゞのまなざしとホスピス すべては「宇宙」の中に 回生、再生 心一つに』

2018-07-31 07:41:00 | ノンジャンル
 7月22日の東京新聞に、末永和之さんの文章『金子みすゞのまなざしとホスピス すべては「宇宙」の中に 回生、再生 心一つに』が掲載されていました。ここで全文を転載させていただくと……

「ホスピスは、人の傍らにたたずむことから始まります。
 ホスピスの現場で、患者や家族のすべてのつらさに寄り添う時に、最も大切なことは患者や家族が『つらい』と言えることです。
 そのつらさに寄り添い、耳を傾け、そのつらさをわかってあげる人が必要なのです。『こだます』ことが大切なのです。
 スキルス胃がんになった二十七歳のお母さんが、山口赤十字病院でがんの治療を続けていました。ある日の午前四時ごろ、本当につらくなって大パニックになりました。私は病棟に駆けつけ、そっと抱いてあげ『大丈夫だよ、大丈夫だよ』と包み込んであげました。
 その時、彼女は『先生、あのね、わたしは頑張り続けてきました。いろいろな治療をやり続けてきました。もうこれ以上頑張れません。でもね、家族のみんなの期待が大きいので、弱音が吐けません。それが一番つらいのです』
 と言って、号泣されるのです。
 窓の外を二人で眺めながら、
 『窓の外のあの山々の麓の家々の灯りをみてください。あの灯りは人びとの生活、変遷によって移り行くものです。でも、あの山々の稜線は悠久の昔から変わりません。生きとし生けるものは、移り逝き、素に戻って、抱かれていくのです。自分の夢を娘さんに語ってください。それが宝物になりますよ』
 と伝えると、次第に落ち着いていかれたのです。
 私たちの『いのち』すなわち自己の存在は、肉体、精神・こころ、家族・社会、魂の世界の中での存在であり、『まるごといのち』なのです。みすゞは、すべての『いのち』は宇宙(神様)の中にあると言っています。
 私たちが二度とない人生を『生き抜いて逝く』というとき、自分の人生が無駄ではなかったという会話、最後の瞬間までその人の存在を感じられるような会話が必要です。そして、どんな人生も肯定することが肝要だと思います。ここに存在していることに意味があるのです。
 人は最期の時、将来への希望が消え、愛する人との別れが訪れ、自分で自分のすることができなくなり、すべて削ぎ落とされていきます。最期に残るのは、自分の生きてきた人生の意味、価値、納得、和解、懺悔、後に託すること、そして安寧な気持ちになれるかということです。
 逝く人も残される人も、最期の祈りの会話は『ありがとうね』『おかげさまで』。そんな言葉を交わすことで、新たに『いのち』の連続を感じ、心が一つになって『いのち』の共生、回生、再生に思いが至るのです。
 『もう、いいよ』といえる人生の生き方、終え方を考える時、やはり『死』と正面から向き合うか否かによって、患者や家族の『生』の最終章が大きく左右されます。
 『生き抜いて逝く』ということは、ゆらぎの中の諦観であり、最期まで生きる希望を持ち、受容(受け身)だけでなく、実存(役に立つこと)を感じることであると考えます。
 ホスピスで、傍らに立つ人は、恕(じょ。思いやり)や醸し出す雰囲気(温かさ、丁寧さ、やさしさ、明るさ、包容力、広い心)が求められます。患者の言葉を傾聴するためには、自らの死生観を持たなければいけません。悩み迷える患者や家族の方の足下にそっと灯りをかざすことで、薄明るい歩むべき道筋が見えてくるのではないでしょうか。
 そして、『いのち』は最後に家族に返さなければなりません。『看取り』とは残される人、愛する家族、友人が、その人と共に歩んだ全人生を看取ることです。
 老い、そして『いのち』を終えていくことは誰しもが避けることのできない事実です。すべての人が、その人生を穏やかに、隅に追いやられず、尊厳を持って、尊重され、人生を『生き抜いて逝く』ことが、とても大切なのです。」

 大変ためになる文章でした。私の母も今年で86となり、「遺影を決めておかなきゃね」とか、「私が死んだら、あんた自分でしなきゃならないのだから」と細かいことに一々アドバイスをするようになってきているので、この文章は自分の死を意識し始めた母とどう接すればいいのか、それを教えてくれるような文章でもありました。幸い私の母はすこぶる元気で、排便も一日に何回もし、以前に腸のレントゲン写真を撮った時、医師から「この大腸は表彰ものだ」と言われ、一番最初に老いが来るという腸も元気なようなので、病気になるのはまだ先だと思っているのですが、人生一歩先には何があるか分からないので、今のうちから母といい関係を築いていかなきゃなあ、と思ったりもしました。皆さんも年老いたご両親、そしてとくに病気持ちのご両親がいたら、この文章を参考にして日頃から接してあげてほしいと思ったりもしました。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で教室長だった伊藤さん、連絡をください。福長さん黒山さんと首を長くして待っています。また、伊藤さんの近況を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)

グリゴリー・コージンツェフ監督『マクシムの帰還』

2018-07-30 08:05:00 | ノンジャンル
 先日読ませていただいた石坂敬一さんの自叙伝『我がロック革命 それはビートルズから始まった』の中で語られていた、ビートルズの『赤盤』(1962-1966のベスト盤)と『青盤』(同じく、1967-1970)、及びビートルズの『ロックンロール・ミュージック』を聴きました。私は1959年生まれなので、ビートルズの最盛期にはまだ小中学生だったため、自分でレコードを買うことはなく、高校生になっても、同級生からピンク・フロイドやディープ・パープルなどを借りてプログレッシブ・ロックに触れ、毎週土曜日の夜に湯川れいこさんがDJをされていた『全米トップ40』を愛聴していたので、そこからジェリー・ラファティやビリー・ジョエル、そして当時はやっていたディスコ・ミュージックを浴びるように聴き、私の洋楽人生は始まったのですが、今回改めてビートルズの曲を聞き直してみると、やはりもう「素晴らしい!」の一言で、完全にノックアウトされました。
 特に気に入った曲は『Love Me Do』、『I Feel Fine』、そして『Get Back』で、これからカラオケ用に練習しようと思っています。石坂さんはもうお亡くなりになっているのですが、私をビートルズに導いてくださり、感謝の念に堪えません。遅くなりましたが、ご冥福を申し上げたいと思います。

 さて、話は変わりますが、先日、東京の国立映画アーカイブまで行き、グレゴリー・コージンツェフ監督・共同脚本、ショスタコーヴィチ音楽の『マクシムの帰還』を観てきました。
 第一次世界大戦前夜、武器を作る工場への抗議を示した労働者がクビにされたことに対し、ストライキを打って対抗しようとするマクシムらボルシェビキ。しかし国会の大多数を占めるメンシェヴィキ(金持ちや、小作人を雇って財を成している地主、宗教者ら)は、警察力や軍隊を使って、ボルシェビキのストとデモを弾圧します。(現在に例えれば、ガザ地区の人々が石つぶてでイスラエルの軍隊に対するようなものです。)しかし第一次世界大戦で労働者や農奴たちに武器が渡されると、マクシムはメンシェヴィキとロシア皇帝を守るために戦うと言って、敵を欺き、前線へと運ばれる貨車の中で、プラウダを他の兵士たちに読ませ、敵に銃を向けるのではなく、今まで自分達の労働力を搾取してきたメンシェヴィキ、地主、コサック、そしてロシア皇帝へと銃を向けようと主張するところで、映画は終わるのでした。

 チラシから転載させていただくと、
「『マクシム三部作』の第二部。党の有力活動家となったマクシム(チルコフ)の、第一次世界大戦直前の闘争が描かれる。マクシムは多くの革命家の特徴や経験を基に創作された架空の人物であるが、当時の観客には実在していると信じられ、マクシム宛てのファンレターや相談の手紙が殺到したという。」

 『マクシムの帰還』は国立アーカイブがフィルムを持っているので、そのうちま見ることができると思います。現在、東京の京橋にあるフィルムセンターで行われているロシア・ソビエト映画祭で上映される映画にかぎっては、今日の映画以外だと8月5日の午後3時30分からアレクセイ・ゲルマン監督の作品『フルスタリョフ、車を!』をやるそうなので、私はまたちょっと遠いですが、東京まで行って観ようと思っています。チケットはチケットぴあで扱っているようなので、興味のある方にはおススメです。(前売りだと一般は520円です。)

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福岡伸一さんのコラム・その6

2018-07-29 07:05:00 | ノンジャンル
恒例となった、朝日新聞の木曜日のコラム「福岡伸一の動的平衡」の第6弾。

 まず、7月26日に掲載された「スマホの文字 脳に緊張?」と題されたコラム。その全文を引用させていただくと、
 「文章を読むとき、特に長い小説や込み入った論考の場合、紙に印刷された活字の方が安心して読めるし、その方が頭によく入ってくる。しかし最近は科学論文もほとんど電子化されていて、発表も、保管も、検索も格段に便利なのは確かなのだが、読むことに関してだけは紙の上で読みたい。だから私はめんどうだが電子ファイルをいちいち紙にプリントアウトしている。新聞も本も紙の方が好きだ。
 これは、我ら年寄り世代の古い哀愁にすぎないのだろうか。必ずしもそうではない。生物の視覚は動くものに敏感だ。それは敵あるいは獲物かもしれない。反射的にすぐ行動必要がある。身体も緊張体制に入る。一方、じっくり観察し、分析し、思索を深めるためには、対象物が止まっている必要がある。動き続けているもの、絶え間なく変化するものをずっと見続けることはできない。
 コンピューターやスマホの画面の文字は、止まっているようでいて実はたえず動いている。電気的な処理でピクセルを高速で明滅させているから、文字や画像はいつも細かくは震えているのだ。このサブリミナルな刺激が、脳に不要な緊張を強いているのではないか。だから落ち着いて読むことができない。もちろんデジタル・ネイティブの新しい世代はそんなこと気にならないのかもしれないが、生物の特性はそう簡単には変わらないはずだ。」

 今回も大変勉強になるコラムでした。特に今回のコラムは、日ごろから私も感じていることだったので「我が意を得たり」という感じでした。今、わたしたちは電気を大量に消費して生きていますが、日本の一般の家庭に電気が普及したのは、電気事業連合会がホームページで公開しているのを見ると、第一次大戦(1914~1918年)から太平洋戦争(1941~1945年)にかけてのことだったらしく、そうすると私たちが電気を日常で使うようになったのはつい100年、もしくはそれ以下ということになります。それまでは朝のご飯は練炭で炊いて作り、レトルト食品もなかった時代なので、料理はすべて前日や数日前に買っておいた食材を使ってその場で作り、昼は腐らないように梅干しが入ったものを作って家族に渡し(まあ外食で済ます人もいたようですが)、今よりはるかに高い値段だったようです)、夜になったらロウソク(それも菜種油は高価だったので、大勢を示す貧乏な家は魚から取れた油(これは臭いがかなり強烈だったようです)で灯りをとり、もちろんテレビはなく、かろうじてラジオを聴きながら、やはり時間を要して作られた夕食を食べ、灯りがもったいないので早めに寝る、という生活を送っていたことになります。人は朝起きて朝日を浴びるとメラトニンというホルモンを分泌し、それが体内時計となって、分泌されてから14~16時間すると眠くなってくるので、電気のない日常を送っていた人は夜になると早めに寝て、朝日の昇る時間あたりにもう起きだしていたのだと思います。人間の生活リズムを司るホルモン、すなわちメラトニン、コルチゾール(これは覚醒ホルモン)、セロトニン(体内時計の調整役)の分泌に関しては、今で人間の身体的システムを考えた場合、100年前と今とではそれほど違いはないと思うので、夜の電灯はなるべく間接照明など、暗めの照明にして夕食を食べるなどの工夫をして早めに寝て、早めに起きるのが健康的な生活なのだと思います。(特に夜にパソコンをいじったり、テレビを見たりして明るい画面を見る習慣をつけてしまうと、メラトニンがまた分泌したりして、生活のリズムが崩れる原因ともなるそうです。)
今の生活から電気をまったく使わないで生活にシフトするのはもう無理ですだと思いますが、電気を上手に利用しながら、健康で質素な生活ができたらいいな、と私は常日頃から思っています。
 それから昨今の異常気象の原因となっている二酸化炭素の大量放出(エンジン型自動車、火力発電所などなど)を防いで人類が生き残るためには、水素自動車の導入、風力発電やソーラーパネル、地熱発電や水力発電、潮力発電などを利用して(原子力発電は大量のプルトニウムを生み出すので、それの処分が問題)、二酸化炭素を放出せずに電気を作っていく工夫を今からすぐにやらないと、地球温暖化による人類の滅亡はわりに近くに来るような気がしています。関係省庁、関係会社の方々、是非やるべく早く、それらの実現をめざしてがんばって研究をし、多額の予算を組んで本格的に取り組んでもらいたいと思う今日この頃なのでした。

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キン・フー監督『迎春閣之風波』その6

2018-07-28 10:12:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
親王「女将と親しいようだな。男女の仲か?」行政官「お恥ずかしい」「口出しする気はない。まめに役所に顔を出せ。諸君の暮らしに気を配るのだ」「ツァオ様です」「入れ」「支度が整いました」「よし、ワンアル、店に金5両を」「はい」ツァオ「私が支払いました」「払った? 誰の命令で?」「親王様に気を遣わせまいと」「気が回る奴だ。誰かが歌を」「出納係の使用人です。止めるように言ってきます」「ちょっと待て。止めるな」。「眼に別れの涙をため♪」。郡主「上手ね」親王「これはクワン・ハンチンの別れの曲だ」「お二人との別れを惜しんでいるんでしょう」「ここで唄わせたら?」「店の者をここに呼ぶのは適当ではないと」「私たちが下へ行きましょう」「そうだな」。
歌。
 突然2階で激しい物音。親王と郡主が駆けつけると、自分たちの部屋の中に女給仕が。郡主「誰に命じられた?」。女給仕、殴られる。「ここで何を?」「お布団をお持ちしようと」「布団はどこに?」「忘れました」親王「いい度胸だ」と言い、女給仕を斬り殺す。
「ツァオ、明日の出発はやめだ」。
 親王「箱に開けた跡がある」「首飾りが目的?」「違う」(中略)「手紙を盗むため?」「違うな」。(中略)2人、同時に「戦略図!」。腰袋に戦略図が入っているのを確かめる親王。
 親王「座れ。行政官」「はい」「至らぬところもあるものの、お前は本分を守っている。昇進させてやろう。どうだ?」「ありがとうございます」「女将!」「はい」「この店の儲けは大体どのくらいだ?」「銀十数両ほど」「ツァオは何両くれた?」「銀5両です」「節約したな。商売の邪魔をしたな。(中略)行政官、店に銀200両を与えろ。礼を言え」「感謝します」「ワンアル、お前からも礼を」「この首飾りをあげて」「死んだ娘を手厚く葬るために銀100両も。出納係、来い」「はい」「皆を下がらせろ」「下がってよい」「出納係、名を何と言う?」「ワン・ジュンと申します」「どうやらお前は学があり道理をわきまえているようだ。科挙は?」「昨年合格しました」「ここでは役不足だろう」「身分不相応な願望は抱きません」「謙虚だな。この世には才能が埋もれてしまう者と才能を見出せない者、その両方がいる」「その通りで」「朝廷には優秀な人材が要る。お前には公務を任せたい」「私の力では力不足だと」「ハラクの仕事を引き継ぎ、ここの行政区をしてはどうだ?」(中略)「私は漢人です。それに…」「私に逆らうのか?」「しかし…」「早く礼を言え」「ありがとうございます」。膝まずくジュン。「よし、立て。今後は私の厚意をムダにするな」「はい、恩に報います」「さっそく公務を与えたいが、いいかな?」「もちろんです。何なりと」「よし、ワン・ジュン、知ってるか? この店に朱元璋の密偵がいることを」「いいえ、存じません」(中略)「そうだろう。ツァオ、お前は?」「知りません」「お前も見逃したか。この密偵は賢いようだからな。ワン・ジュン、(中略)密偵はお前の使用人シャーだ! 来い」シャー「俺は2階に行ってません。(中略)」「黙れ! ワン・ジュン、来い。お前は今や役人でシャーは反逆者だ」。
 親王、赤い縄をジュンに渡し、「シャーを殺せ」ジュン「考え直して下さい。シャーとは長年連れ添った仲です。(中略)」「十分調べた。刑を執行しろ、いいな」。親王去る。各自、目くばせ。「俺は無実だ」「黙って刑を受けなさい」。乱闘に。親王「やはり思っていた通りだ」。 ツァオ、親王にヒソヒソ話。親王「武器を捨てろ。改心する者には仕事を与える。よく考えた方がいい。ワン・ジュン、どうだ?」「信用できない」「そうか、なら仕方ない」。また乱闘。親王、逃げる。ツァオ「親王様をお守りしろ。(ジュンらに)戦略図は腰袋の中だ。必ず盗み出せ。私は郡主を捕まえる」。郡主とツァオの一騎打ち。「恩知らずの裏切者!」。郡主は攻撃してきたシャオシュンズを斬り殺す。
 岩山。ジュン「刀を奪え」ワンの弓矢攻撃で護衛が全員殺される。足に矢が刺さる親王。傷を負ったシャー「俺に構うな」。親王は女給仕を人質に取る。「弓を捨ててこっちへ来い。刀を捨てろ。(中略)」郡主を人質に取ったツァオ。親王「裏切り者め」ツァオ「リー・チャーハン、悔い改めれば殺されないぞ」「郡主を放せ」「先に戦略図を渡せ」(中略)「同時に放そう」。解放される郡主。女給仕も解放するが、戦略図を盗まれたのに気づく親王。また乱闘に。郡主の背中に矢。「ワンアル、行くぞ」。親王もツァオに倒される。
燃やされる迎春閣。馬上で見つめるジュン、ツァオ、ワンと罪人。ジュンらが馬でその場を去って、映画は終わる。

 『大酔侠』や『女侠』に比べ、格闘シーンは2つしかなく、グランドホテル形式の楽しくもスリルもある会話ドラマでした。特にドラマが高揚してきた時の鳴り物(ドラ?)の音が印象的でした。

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キン・フー監督『迎春閣之風波』その5

2018-07-27 07:07:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
「なぜ人を雇った?」「人手不足で」「なぜ親王様が来る時に男を2人も」「偶然です」。雨が降って来る。「どんな関係だ? 茶をくれ」「従弟と彼の使用人です」「リュウが反逆者だとは当然知りませんでした」「古い付き合いなのに?」「ええ」「嘘をついてやがる。女給の経歴も不明だ。あとでじっくり絞ってやるから。(中略)行政官、出納係を」「行け」「入れ、どこから来た?」「大都です」「なぜ来た?」「親戚なので」「それまでは何を?」「商人を」「嘘つけ!」「商いをしていました」「正直に言え。武術の心得は?」「いいえ」「連れていけ」。部下、ジュンの手をひねり「来い」。「行政官、挨拶を」「大丈夫かしら」「大丈夫だ。仲間が来た」「本当?」(中略)
 親王「次の3つを守れ。1つ、店の者は2階に行くな。2つ、私の許可なく店を出るな。3つ、誰も店に入れるな。リーを殺し、戦略図を奪いシェンを捕えろ。いいな」部下「分かりました」。
 部下「2階は立入禁止だ。親王様、郡主様のご命令だ。立て。疑わしい人物はいたか?」「詳しく調べました」「新入りたちは?」「干害に遭ってここへ来た女将の従弟と使用人です」「行政官に道案内をさせろ」。
 騎馬5頭。
 丘の上。騎馬一頭。「あの人よ」「郡主様」「シェン殿、こちらへ」「親王様、シェンです」「ご苦労。例の物は持ってきたか?」「はい。お目通しを」「よし、戦略図だ。朝廷のため、大きな手柄を立てたな。明日大都に戻ったら、褒美を取らせよう」「感謝します」「この辺りは密偵が多い。行くがよい」「では失礼します」「どう思う?」「生かしておくのは危険です」。ツァオ、馬に乗り、追いかける。弓矢を射ると、シェンが乗っていた馬はシェンを乗せたまま疾走して去ってしまう。(中略)
 「シェンには逃げられました」(中略)ワン「はい。戦略図は箱の中にあります」「任せてください」「どこかにシェンを匿わなければ」ジュン「私が」「チャーハンは明日発つつもりです。部屋の外に長く連れ出して」「よし」。
 5騎の馬。ツァオ、ジュンに何事かをささやく。
 ジュン、帳簿を付ける。ワン、女給仕にささやく。女給仕「お役人様、お酒はいかがですか?」「いらない」「女将からお酒を」「我々に酒など出すな」(中略)歌の男「息抜きに碁をしないか?」「忙しい」「シャオシュンズ、碁をしよう。打てる?」「打てない」「話にならん」「教えてよ」「あっち行け」。役人、やって来る。「やります?」。他の役人を指さして「こいつとやる。役人同士で」。ほくそ笑むワン。「あの2人は?」「大丈夫よ。行こう」「行ってくるわ」。
 役人「何する気だ?」「外出よ」「止まれ」「無許可の外出は禁止だ」「お金を届けに」「ダメだ」「2階へ飛ぶ女給仕。「困るわ。ツァオ様はどこに?」「知らない」「母にお金を届けたいの」「ダメだ」「私が家族を養ってるの。皆お腹を空かせている」「そんなこと知るか」「お願いよ。すぐ戻る。1時間で戻る。いいでしょ?」「ダメだ」「行かせてくれたら晩酌に付き合うわ」「うるさい」「聞いて。飲んだ後……」「断る」「本当に頑固な人ね。あなた結婚してるの?」「俺は独身だ」「いい娘を紹介するわ」「そんな事言ってもムダだ。店の者は外出禁止だ」「親王様が戻ったら直訴してやるわ」「親王様に無礼は許さん」「行かせてよ」「ダメだ」。2階の親王の部屋の箱の鍵が外れる。「ツァオ様なら許してくれるはず。お役人の仕事って大変ね。私ならご免だわ。外出してる時も親王様にお仕えするなんて」。2階で箱の中を物色する女給仕。「下らんことを言うな」「あなたも他のお役人さんと碁でも打てばいいのに。サイコロで賭けない? 勝ったら外出させて」。
 女給仕、2階で一通の紙片を手に入れる。
 「絶対ダメだ」「私が外出したって誰も気付かない」「ダメだ」「“ダメ”ばっかり」「あきらめろ」「分かったわよ」「向こうに戻れ」。
 役人と入れ違いに1階に飛び降りる女給仕。
 「いい手だったけど……黙ってろ」。ジュンに目くばせするツァオ。「戦略図は?」「手に入れたわ」「マズイぞ」「何が?」「これは手紙だ」「手紙? 箱の中には手紙しかなかった」「すぐもとに戻せ」「どうやって?」「ツァオ様、親王様がお呼びです」。親王「用事は済んだ。明日大都へ戻る」。ジュン「私にいい考えが」「どんな?」。ヒソヒソ話をするジュンとワン。ワン「危険すぎるわ」ジュン「迷ってる暇はない」。(また明日へ続きます……)

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