愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

仁木城跡(2) 豊田市

2017年12月05日 05時26分14秒 | 豊田市
城の概要
標高 440m
城主 「三河国二葉松」では「仁木村篠平砦」の項があり、城主不知と記載されています。ネットでは、春日井与左衛門と伝えられるとのことです。
なお、地元の人の話では、「城ケ峰城」とも呼ばれているそうです。

仁木城跡概念図(「愛知県中世城館跡調査報告書Ⅱ(西三河地区)参照」

登城記
仁木城へと山道を進んでいきますと、まず堀切にぶつかりました。堀切から腰曲輪に沿って切岸が見られました。

堀切と切岸(南側から撮影)

主曲輪の周囲はぐるっと腰曲輪がありました。そして、腰曲輪と主曲輪の間は、浅い横堀が掘られていました。

主曲輪を取り巻く腰曲輪と横堀

主曲輪に上がりますと、土塁がありました。本来は主曲輪の周囲をぐるっと回っていたものと思われますが、北の方と、西の方に若干痕跡がありました。この土塁には石が点在しており、石積みであったことが想像されます。

主曲輪北の土塁

また、腰曲輪の北と西に竪堀がありました。

腰曲輪北の竪堀

仁木城跡は、詳しいことは分かりませんが、単郭のお城で周りを腰曲輪が囲むという形でした。整備されていれば堀や土塁も立派によみがえると思いました。
また、ところどころに石積みの跡を思わせる石が散在していたことや、ネットで徳川家康によって改修されたとの記事もありましたので、近世の山城として位置づけられるかもしれません。
登城路なども含め、さらに整備されたらなあと思いました。

仁木城 終わり