愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

城の会旅行(兵庫県)(1)竹田城

2017年12月06日 05時31分42秒 | 兵庫県
11月17日(金)から20日(日)は、恒例若越城の会の城めぐり旅行です。
今回は、以下の日程でした。
1日目 竹田城
2日目 姫路城、大阪市立東洋陶磁資料館
3日目 黒井城、篠山城

東洋陶磁資料館は、知っている人には素晴らしい企画だったようですが、私には全く分かりませんでした。陶器や磁器の価値が分かるようになりたいとは思いますが、現段階では猫に小判の状態です。

さて、一日目の竹田城は以前にも訪れたことがあり2回目の訪問ですが、やはり素晴らしかったです。
 「竹田城 兵庫県」

竪堀発見
2回目には新しい発見がありました。まずは、竪堀です。

駐車場付近の竪堀

中腹でも見つけることができました。これはおそらく南千畳から延びている竪堀だと思われます。

中腹で見つけた竪堀

登城口
前回は気づかなかった階段です。ボランティアの方が「ここが以前の登り口です。」と教えてくれました。大手門のすぐ下にありました。大手門がどうして北千畳にあるのか不思議でしたが、登城ルートが以前にはここにあったと聞いて納得しました。

以前の登り口

算木積み
北千畳から三の丸に上がる時に枡形虎口がありますが、その石垣は隅が算木積みになっていました。これも発見でした。

算木積みの石垣について説明しているガイドの方(黄色い線は画像を加工したものです)

鉄砲狭間
また、花屋敷の北側の石積みですが、あれは鉄砲狭間だそうです。ふつうは壁などに穴をあけて狭間を作るのですが、花屋敷では石垣をヨーロッパの城のように凸凹状にして狭間を作ったそうです。

花屋敷の鉄砲狭間

そういえば、名古屋城にも「南蛮たたき鉄砲狭間」と呼ばれるものが二の丸にあったことを思い出しました。
「名古屋城二之丸 名古屋市中区」

扇の勾配
最後、南千畳への虎口の石垣ですが、「ちょっと雑ですね」とボランティアの方が言っておられましたが、確かにそういわれるといい加減に見えます。

南千畳の石垣

この時代にはない「そり(扇勾配)」が入っているのもおかしいそうです。ちょうど西尾城(愛知県)の復元した二の丸丑寅櫓台のように見えました。(西尾城関係の人、ごめんなさい。でも改めてみると、西尾城にもお扇の勾配が入っていました。)どうして、こんなふうに復元したのか疑問に思っていらっしゃいました。
「西尾城(2) 西尾市」

城めぐり旅行 続く