愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

城の会旅行(兵庫県)(10)篠山城(3)

2017年12月15日 05時48分45秒 | 兵庫県
大書院には、いろいろなものが展示してありました。その一つ、篠山城の復元模型です。

篠山城復元模型

また部屋は豪華絢爛で、格式が高いものでした。

上段の間

次の間

これは上段の間の次にある部屋です。襖絵は、狩野派の画家が描いたそうです。さすがは天下普請。ちなみに名古屋城も狩野派でした。これも天下普請。

これは孔雀の間。その名の通り孔雀の絵が掛けられていました。

孔雀の間

立派な大書院を出ると、二の丸には当時の建物の実物大の間取りが描かれていました。(岡山城にも同じような間取り図があったのを思い出しました)

二の丸から見た大書院。手前は間取り図。

篠山城 続く

城の会旅行(兵庫県)(9)篠山城(2)

2017年12月14日 05時25分30秒 | 兵庫県
さっそく篠山城に入城です。その前にボランティアガイドの方から概要の説明をしていただきました。

篠山城前で説明を聞く城の会の方々(北廊下門前)


篠山城縄張り図(赤い番号は以下の写真の番号です)

内堀にかかる北廊下から左側にジグザグの堀が見えました。また、堀と石垣の間には犬走りがあります藤堂高虎の縄張りの特徴だそうです。

①北東の内堀と犬走り

門の石垣には、いろいろな刻印が刻み込まれていました。天下普請であることの証でもあります。

②石垣の刻印

内堀の中に入ったら、ひとまず「大書院」を見学することにしました。大書院は、二の丸に建ち、主に来賓の接待用に使われたそうです。昭和19年、失火により残念ながら焼失してしまったそうです。平成12年に再建されました。再建されたのは、慶長14年(1609)のものだそうです。

③大書院入り口

篠山城 続く

城の会旅行(兵庫県)(8)篠山(ささやま)城(1)

2017年12月13日 05時56分23秒 | 兵庫県
興禅寺を後にして、もう一度戻る感じで篠山城へ行きました。

篠山城の位置(yahoo地図から作成)

前身は八上城
全身は八上城と言います。

篠山城と八上城の位置関係(Google地図から作成)

篠山城天守台から見た八上城

天下普請で建てられた篠山城
八上城は、波多野氏、明智氏、前田氏と城主が続きます。
関ヶ原の戦いの後、慶長13年(1608)に松平康重が八上城から現在の篠山城に移転します。
この移転築城の目的は、豊臣秀頼の大阪城包囲網の一つとしての築城でした。それで、天下普請になり、藤堂高虎が縄張り担当をし、池田輝政が普請総奉行になり、山陰、山陽、南海道17か国、21の大名が夫役を務めたそうです。(城の会資料)天守台は建てられましたが、天守閣は造られませんでした。
江戸時代は、元和5年(1619)藤井松平氏の松平信吉、慶安2年(1748)に形原松平氏松平康信、そして寛延元年(1748)青山忠朝が入り、幕末まで続いたそうです。(城の会資料より)

篠山城縄張り図(城の会資料より)

正方形の篠山城
図のように、ほぼ正方形の外堀に囲まれて本丸、二の丸、三の丸があります。堀の外には、馬出が造られています。本丸と二の丸は、さらに内堀に守られています。北東部は、折れ曲がっていて防備を強化してあります。二の丸には大書院が復元され、本丸には天守台が他より一段高く造られています。

篠山城 続く

城の会旅行(兵庫県)(7)興禅寺

2017年12月12日 04時46分43秒 | 兵庫県
黒井城を降りたら次は、興禅寺です。
興禅寺は、黒井城を落とした明智光秀の家臣斎藤利光が館を構えた場所です。
ここで春日局が生まれたとして、有名になりました。NHK大河ドラマ「春日局」(大原麗子主演)のときは、多くの観光客が訪れたと旅館の人もおっしゃっていました。

NHK大河ドラマ「春日局」の大原麗子さん


七間堀と高石垣

まず目に入るのは、立派な石垣と堀です。「七間堀」というそうです。
石垣としては、中央部石橋付近が野面積みでその他は切り込みはぎの工法で造られているそうです。いかにも元武士の館という感じがしました。

お福(春日局)関連の「史跡」がありました。

お福産湯の井戸


お福腰かけ石

黒井城関連では、寛永3年に黒井城の門材を使って建てたといわれる惣門がありました。

惣門

春日町と春日局について、春日の出だから春日局と言われたのか、春日局が出たからこの辺りを春日というのか、どちらが先だろうと話し合いながら見学しました。もしかしたら、ただの偶然かもしれませんが、どっちでしょうか。

城の会旅行(兵庫県)(6)黒井城(4)

2017年12月11日 07時28分36秒 | 兵庫県

黒井城縄張り図

本城で一番高い本丸に入りました。石垣で虎口が造られていました。

⑥本丸虎口
本丸には「保月城址」という石碑がありました。

⑦本丸

また、本丸には、ここに建物があった後として柱の礎石もありました。

⑦本丸の礎石跡(なお、礎石は数か所ありました)

本丸からの眺めは、最高でした。
「竹田城に人気があるが、ここは眺望という点では竹田城に引けを取らない。」
と、城の会の方が言って見えましたが、その通りでした。

黒井城本丸からの眺望

本丸の周りには腰曲輪がぐるっと回っていました。本丸の裏側(城下町から見えない部分)に回ると、石垣はなく、切岸になっていました。石垣の役割が「権威のシンボル」であるということが分かりました。

⑧本丸の裏側

黒井城 終わり