歳相応って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
歳を取ったと言うことなのかも知れない
きょぉおは、めぇり!くりっますぅ!
いつまでも若いつもりでいるし
精神的には、高校時代となんら変わりのないオッサン
確かに、成人式を迎えたときには
『もう、大人なんだから』
と、自分に言い聞かせ
大人らしい、20歳として相応しい行動を取ろう!と
誰もが思うかも知れない
しかし
1年2年と経つ内に、今までと変わりがないことに気づく
周りの30代、40代は確かにオッサンに見える
自分も歳を重ねれば
森羅万象を乗り越えた大人になりえるはずだ!と
更なる成長を期待するのだが
やっぱり、高校時代さながらの
少年のあどけなさを残す人格がそこにある
精神的には高校生と言ってみたが
誤解を恐れずに言うのなら
考え方は、小学生時代から
何も変わっていないように思える
自分では、確かに数字的にはオッサンになってはいても
精神的や気持ち的には、まだ若いつもりでいる
若者の輪の中に入っていって
同じように冗談を言いながら、騒ぎたいのである
しかし、こっちは溶け込んだと思った輪でも
取り囲む若者の戸惑いは
どうしても、伝わってくるものだ
「何してんねん、オッサン!」
口には出さないまでも
目は確実にそういった台詞を刻んでる
でも、歳相応の行動とはどんなものなんだろう
カラオケに行って
ソファーの上に立って、飛び跳ねて唄うのは
若者の特権?だろうか
そんな事をするオッサンは
大人気ないのだろうか?
喫茶店でクリームソーダを注文できるのは
何歳までなんだろうか?
いや、そんなモノに歳は関係するだろうか?
クリームソーダは、歳相応の飲み物では
ないのだろうか?
(これは、無理してるって写ってる?)
何気ない仕草やファッションひとつとっても
歳相応の落ち着きが欲しいところだと
思いながらも
自分で自分の年齢を決めていいのか?と
抗う自分もいる
年齢とは、生きてきた歳月の長さでもあるが
その数字が表すものは、誰もが同じでは
ないはずだ
僕は大人か?それとも幼稚なオッサンか?
周りに流されることなく
自分の考えるとおりに生きていってこそ
楽しい人生が待ってるとするなら
僕はまだまだ幼稚なオッサンでいいや
でもそれを考えようとすることがもう
歳を取ったと言うことなのかも知れない
きょぉおは、めぇり!くりっますぅ!
いつまでも若いつもりでいるし
精神的には、高校時代となんら変わりのないオッサン
確かに、成人式を迎えたときには
『もう、大人なんだから』
と、自分に言い聞かせ
大人らしい、20歳として相応しい行動を取ろう!と
誰もが思うかも知れない
しかし
1年2年と経つ内に、今までと変わりがないことに気づく
周りの30代、40代は確かにオッサンに見える
自分も歳を重ねれば
森羅万象を乗り越えた大人になりえるはずだ!と
更なる成長を期待するのだが
やっぱり、高校時代さながらの
少年のあどけなさを残す人格がそこにある
精神的には高校生と言ってみたが
誤解を恐れずに言うのなら
考え方は、小学生時代から
何も変わっていないように思える
自分では、確かに数字的にはオッサンになってはいても
精神的や気持ち的には、まだ若いつもりでいる
若者の輪の中に入っていって
同じように冗談を言いながら、騒ぎたいのである
しかし、こっちは溶け込んだと思った輪でも
取り囲む若者の戸惑いは
どうしても、伝わってくるものだ
「何してんねん、オッサン!」
口には出さないまでも
目は確実にそういった台詞を刻んでる
でも、歳相応の行動とはどんなものなんだろう
カラオケに行って
ソファーの上に立って、飛び跳ねて唄うのは
若者の特権?だろうか
そんな事をするオッサンは
大人気ないのだろうか?
喫茶店でクリームソーダを注文できるのは
何歳までなんだろうか?
いや、そんなモノに歳は関係するだろうか?
クリームソーダは、歳相応の飲み物では
ないのだろうか?
(これは、無理してるって写ってる?)
何気ない仕草やファッションひとつとっても
歳相応の落ち着きが欲しいところだと
思いながらも
自分で自分の年齢を決めていいのか?と
抗う自分もいる
年齢とは、生きてきた歳月の長さでもあるが
その数字が表すものは、誰もが同じでは
ないはずだ
僕は大人か?それとも幼稚なオッサンか?
周りに流されることなく
自分の考えるとおりに生きていってこそ
楽しい人生が待ってるとするなら
僕はまだまだ幼稚なオッサンでいいや