おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

笑顔

2006年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム
日に日に涼しくなる此の頃、秋を感じる事がまた一つ。

地元の秋祭り。壮麗なフトン太鼓が勇壮に練り歩く。
お神輿じゃなく、フトン太鼓ね。
中に釣り下げられた和太鼓を、小学生の“乗り子”が叩く。
僕達“氏子”の祭り囃子に心地よい太鼓の音色。

その乗り子たちの練習の音が、涼しくなった秋の夜に聞こえてくる。

当然、僕も昔は乗り子だった。

毎日2時間。合計8人の乗り子が4人ずつ分かれて練習をする。
1人あたりの練習時間は1時間だ。

指南役は“青年団のおにいさん”が担当する。
上手い具合に役割分担もあり、

「こらぁー!ちゃんとやらんかぃ!」

何時も怒っている人もいる。その人が練習場に入ってくるだけで
緊張感がピーンと張り詰める。

もの静かな人もいる。
練習の合間に休んでいる僕達の所へ来ては、
“大人な話”
を聞かせてくれる。

まだまだガキだった当時、その話は物凄く楽しかった。

一日置きに“お菓子”が貰える事が練習の中で一番嬉しいことだった。

練習時間も終盤に差し掛かると、当番の青年さんが段ボールを抱え入ってくる。
8人分のお菓子が詰まった段ボール。

「ありがとう!」

一列に並んでお菓子を貰っている時が一番嬉しかった。

後に自分自身、青年団の一員となったとき、
この“お菓子”が青年さんからの“御褒美”じゃない事を知った。

乗り子の親達がお金を集め、青年さんに渡していたのだ。
一応、青年さんへの“謝礼”と言う意味合いもあったが、
青年さんはその金で“お菓子”を買って、子供達に配った。

僕も青年さんになった時、子供達にお菓子を配った。

「ありがとう!」

時代が変わっても、お菓子を貰う時の笑顔は一緒だ。

一日置きに貰えるお菓子は、僕1人で食べる事が出来なかった。
家には幼い弟と妹が待っている。お腹を空かして待っている。
まぁ、そんな大袈裟じゃないが、
僕の持って帰るお菓子を待っているのだ。

でも、イヤじゃなかった。
兄貴としての威厳と言うか、練習に行っている“代償”としてのお菓子を
兄弟で分けて食べている時は、満足感を得る事が出来た。

弟も練習に行く年頃になった時には、オカンが気を利かせて、
妹の分を買ってきていた。
それでも妹は、僕達が貰ってきたお菓子を欲しがった。

弟も僕も、兄貴として誇らしげにお菓子を妹に渡す。

秋の夜。

あの音が聞こえてくると“祭り”への興奮が徐々に盛り上がると同時に
幼い時の記憶と、あの

“笑顔”が甦る。

 





繁華街

2006年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
集合時間は午後2時。念願の小旅行に旅立つ時がやってきた。

「もう、みんな集まってますけど、どうですか?」

真の幹事であるTから電話がかかる。時計に目をやると2時だった。

(どんだけ楽しみにしてんねん!)

普段、飲み会でも時間通りに来るヤツはいない。
それが“旅行”となると、これだ。

待ち合わせ場所に着くと、すでに車に乗り込み臨戦態勢。
久し振りに出会うデンちゃんなんか、一点集中で精神統一をはかっている。

(どんだけ楽しみにしてんねん!)

運転手のマンタローさん(ブログ初登場)も、気合入ってます!
飛ばしに飛ばした車は、予定よりも早くホテルに到着。
早く着いた事と、今回の最大の目的である

“おとなの楽しみ”

の為に、宴会時間を早めて食べ放題の夕食が始まった。

「おかわり!」

担当のおネエちゃんをからかいながら、宴会が始まった。
まずは、サラダ盛りを平らげ、おもむろに“主役”の肉へと取りかかる。
焼いては食い、食っては焼く。
まさに“戦場”のごとく、しばらく会話は無かった。

(フードファイターかぁっ!)

一通り食べ終ると、ビールやワインで語らいの時間が始まった。
その間も、真の幹事であるTはポケットから取り出した雑誌の切れ端を
頻繁に確認している。
二次会(?)のセクキャバの場所を念入りに記憶しているようだ。

肉を食らい酒をあおり、野獣の目へと変わって行くのを感じる。

マンタローさんは、頻りに股間を弄っている。

今回のメインイベント会場へと電車で移動。
デンちゃんの“ウンチク”は誰も聞いていなかった。

二次会会場は遂に発見出来ずに、それぞれ単独行動を取る事にした。
六人がそれぞれ任務遂行の為、繁華街の人波に自分の姿を紛れこます。
集合場所を決め、それぞれの腕時計の時間をあわせる。


「幸運を祈る!」


アイコンタクトで交す会話は、長年の戦友だからこそ共有できる感情だ。
そして遂に念願の時間を向かえ、テンションは最高潮!

作戦開始!

足音をたてる事もなく、振り向きもせず、
それぞれが目的地へと一直線に歩を進める。

(どんだけ楽しみにしててん!)

2時間経過した時、次々と“作戦完了”の報告が入ってくる。


「リョウカイ! シュウゴウバショデマテ!」


会話を傍受されないために、また、暗号を解読されないようにと
簡潔な会話を続け、集合場所を目指す。通信班も大変だ。

再び集まった僕達は、野獣の目から、善良な小市民の目へと変わっていた。
みんな笑顔だ。平和な顔だった。

「ほな、ラーメン食いに行こかぁ!」

マンタローさんが恒例の“反省会”の開催を提案した。

(まだ食うんかい!)

と思ったが、乙女の“ベツバラ”のように、この際のラーメンは
食事と言う感覚ではないので、なんとなく食べられるのだ。

ラーメン屋を探し彷徨っていると、
目の前からヤマンバメイクの女の子が歩いてくるのが視界の端に映る。

「わぁ~、初めて見たぁー! チョー感激!」

テレビで見るメイクと比べると、少し“おとなしい”印象だったが、
実物を見られた事に感激した。

ラーメンを食いながら、次の日の作戦が発表される。
店内で僕達の笑い声は、ひときわ響いていた。


つづく






ワンピース

2006年09月08日 | テレビ番組
毎週、結構楽しみにしている番組がある。

日曜日に放送されている“ワンピース”だ。
スポーツ番組があったら削られるし、日曜日と言う事もあって、
毎回見れないのだが、時間のある時には必ず観る。

僕は常々自分の事を“設定フェチである”と公言している。
この“ワンピース”にハマったのも、その細やかな“設定”にあった。

悪魔の実の設定やアイディア、そして物語の中の“世界観”
すべてに置いて、僕の“気持ちのいい部分”を刺激するものだ。

物語の設定というか、“裏側”に興味が注がれる傾向は昔からあった。

「ウルトラ怪獣大図鑑」や「仮面ライダーのすべて」なんて本が
当時の愛読書だった。
仮面ライダーの解剖図を見ては、

「すんげー! 中はこうなってるのかぁ!」

目をキラキラ輝かせ、一日中見ていても飽きない子供だった。

ただ、いくら“設定フェチ”だと言っても、ここまでハマる作品も少ない。
それは何故か?
やっぱり

「最後には主人公が勝つ!」

ってのが、“気持ちいい”からだ。

どんな強敵が現れようとも、一度は完負なきまで叩きのめされても、
最後には勝つ!

思えば、ジャッキーチェンの映画にハマったのも、そう言う点が爽快だったからだ。

「正義は勝つ!」

ってのは、日本人に限らず万国共通だと感じる。
ジャッキー映画に限らず、ハリウッドのアクション映画でも、
憎たらしい悪役は、主人公を苦しめる。感情移入した僕達も、

「そいつをやっつけてくれ!」

って思うようになる。そして最後には、豪快にやっつけてジ・エンド。

(あぁ、よかった)

大量に分泌されたドーパミンも落ち着きを取り戻す。

もう一つ“設定フェチ”として避けて通れない作品がある。
今なお、その人気を保ち続けている

“ガンダム”

である。
これも様々な設定が張り巡らされている。作品中に登場しない設定まで
事細かに決められている。人となりから、生い立ちまで。

ただ、“ワンピース”ほどはのめりこむ事はなかった。
設定は惹かれる要素満載だが、
そこに“正義”を見つける事が出来なかった点と、主人公の活躍に

“爽快感”

が少なかったからだろう。

とまぁ、ここまで書いておきながら失礼な話ではあるが、
実はこの“ワンピース”は原作を読んだ事はない。

週刊少年ジャンプ。記憶に残っている最古の作品は
“ドーベルマン刑事”“すすめ!パイレーツ”
だろうか?
その後も、“Dr.スランプ”“キン肉マン”“北斗の拳”“ろくでなしブルース”
“スラムダンク”“ドラゴンボール”……
小学生の時は“チャンピオン派”だった僕もいつしか“ジャンプ派”となった。

毎週買っていたジャンプだったが、
次々と最終回を迎える作品の中、ある作品の連載が始まった。
それが

“ワンピース”

だった。
絵が僕の好みではなかった。それ以来、“ジャンプ”を買う事はなくなった。

そして、今。
ジャンプを買わないきっかけになった作品に夢中なのである。
連載が続いて“副読本”も発売され、その“設定”を目にするようになった
事も、ハマった理由だ。

“絵よりも設定”

まさに設定フェチの醍醐味である。

 



食欲の秋

2006年09月07日 | 食・レシピ
グルメリポーターって、“おいしい”仕事かな?

最近、テレビを観ていて思う事がある。
色んな御馳走を前に、レポートするグルメリポーター。
しかし、ちっとも

“旨そう”

には見えないのだ。
味音痴の僕だけなのだろうか?

肉を食べれば、「やわらかぁ~いぃ!」
果物を食べれば、「あまぁ~いぃ!」
スイーツの時は「見た目と違って、さっぱりしてますね!」

まぁ、味の表現なんてどれも同じって事は理解しますけど、
やっぱり伝わらないって言うか、

(お前、本当にわかってんのか!)

って感じてしまう。
時には口に入れた瞬間に

「うわっ! う、うまいぃっ!」

大開の口で絶叫!汚いですね。

「ウワァァァ! 宝石箱や!」

は、ギャグとしても赤点だが、僕の中ではもはや「論外」な存在だ。
レポートの極意と称して、いろんな裏ワザ(?)紹介でテレビに出たり
してるけど、やっぱり食べてる姿が

“旨そう”

ではない。

実際食べてみないとワカラナイものを表現するんだから、
難しいのは分かる。
時には“マズイ”料理だって食わなきゃならないらしいから、
結構ツライ仕事ではあるんだろう。

そんな中でも、すべてのリポートが僕の食欲を刺激しない訳でも無い。

ラーメン。

どうしてラーメンの時は、何を観ても

“旨そう!”

と感じるんだろうか。

また、ラーメンに限らず
アニメに出て来る“御馳走”を見ると、無性に食べたくなる事がある。

小池さんの食べるラーメンは実に旨そうである。
ハクション大魔王が食べる山盛りのハンバーグに憧れた。
ハイジとペーターがむさぼり食うパンと溶けたチーズを
どれほど真似しただろう。
ギャートルズの

“骨付きマンモスの肉”

が売っていたら、速効ゲットを目指すだろう。


ここまで来ると、ひとつの結論が導き出される。

僕が旨そうに思えない理由。
それはやっぱり“リポーター”に問題があるんだろう。

だって、画面に映った瞬間は

“旨そう”

だと感じても、食べはじめた姿を観てその気持ちが
ちょっとずつ消えていくんだから。

小池さんのように、言葉はしゃべらずとも

“食べている姿だけで納得させられる”

そんなグルメリポーターが出現しないものだろうか?
 
 



肝試し

2006年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
車で走っていると、面白い光景を目にする事がある。

一番不思議に思うのは、

“片方だけの靴”

が、落ちている事。何故、片方だけなのか?
落ちたのか?それとも、投げ捨てられたのか?

最近では見かけなくなったが、よく駐車場でキチンと並んで
置き忘れられた靴を見かけたものだった。
今でも“土禁”ってあるんだろうか?

僕が住んでいる近くにダムがある。
たまに

“この世に未練の無い人”

がやってくる、迷惑な場所だ。

そこにもたまに“キチン”と靴が並べて置いてある事があった。

消防団に居た頃、年末には村の中を見回りする。
当然、ダムも村の中にあるから、見回りをする。

すっかり静まりかえった丑三つ刻。

「そろそろ、行こかぁ!」

恒例行事の様に、時間帯を見計らって出動する。

当時の消防車は、運転席と助手席にはドアがあったが、
後部座席は、“チェーン”がかかっているだけで、
“車中”とは言えない雰囲気。
そんな後部座席にも乗せてもらえない、いわゆる“ペーペー”の頃、
消防車の最後尾につかまって、ダムへと向かった。

「気色悪いですね」

もう一人の先輩と、何とも言えない暗闇の中、名所へと到着した。

大きな橋がかかるダム。

演出なのか、それともびびっているのか。運転手がゆるゆると車を進める。

橋を渡ろうとした時、ヘッドライトに何かが浮かび上がる。

揃えてある靴。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

車中から男の野太い、悲鳴と歓声が聞こえてくる。

しかし、本当に怖いのは僕達である。
車外にいるんだから。
先輩の顔を見ると引きつっている。

好奇心なのか、やっぱりびびっているのか、運転手がゆるゆると車を進める。

(やめてくれ~)

恐怖心と最年少って事で、心の叫びが言葉にならない。

そして、車は橋のど真ん中で停車する。

車中はギャーギャーと怖がっているようで、騒いでいる楽しげな声が聞こえる。

(それどころちゃうで、はよ、行ってくれぇ~!)


振り返る事も出来ず、ただただ車につかまっていた僕に先輩がポツリと呟いた。


「えっ? 今、何言うたん?」


(・・・・・僕、何も言ってませんけど)

僕の視線が、先輩の問いかけを否定している事に気付いたんだろう。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

普段大人しい先輩が急に大声を出した。

僕は勿論だが、その声に一番びっくりしたのは、車中にいた運転手だった。

 
 
たまに見かける“片方だけの靴”って何なんでしょうね。