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日々の暮らしのなかで

ガバって出てくるアレ

2008年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム
約50日ぶりに散髪に出掛けた。
 
約50日前に散髪に行った時には
“髭剃り時に目全開の人はいる?”って言う、
たわいもない疑問が浮かんで、このブログにも書いたが、
今回も小さな疑問が浮かんだ。
 
散髪も終り洗髪へ。
濡れないように大きなエプロンを掛けてもらうと、
前方から飛び出てくる洗髪台へ
 
「どうぞ!」
 
と、誘導される。
促されるままに、上体を倒していく。
頭を洗ってもらっている時間は、
散髪屋で過ごす時間の中でも一・二を争う
気持ちのいい時間だ。
 
そんな何も考えていないような至福の時に
ふと疑問が浮かんだ。

(洗髪台は、どこまで頭を出せばいいのか?)
 
なんともたわいもない疑問だ。
ただ、浮かんでしまった事は仕方がない。
あれを洗髪台と言うのかは、この際置いておいて、
あれ、一番手前のところが凹んでいる。
いかにも、“首”を置く所的に凹んでいる。
しかし今、僕はそのくぼみに鎖骨を置いている。
 
(もしかして出すぎなのか?)
 
これは滑稽な状況ではないのか?
突然、そんな恐怖が僕を襲う。
頭を洗い終わるまで、じっとしていた。
恐怖に震える子猫のように、じっとしていた。
顔を洗い呼吸を整えたあと、鏡越しに
聞いてみた。
 
「えぇ、いまぐらいで丁度ですよぉ!」
 
よかった。間違ってなかった。
で、ついでに聞いてみた。
 
「浅い人とか、深い人いる?」
 
すると、
 
「えぇ、くぼみにアゴを乗せる人は居られます。」

そうか、人それぞれなんだな、って思った。
この洗髪、実は小さい頃は苦手だった。
洗髪台以外を濡らさないようにと心掛けたのか、
前へ前へ、強気なスポーツ選手のように、
とにかく、深く深く、洗髪台へ頭を突っ込んだ。
当然、椅子から腰は浮き不自然な形。
おまけに洗髪台に充満するシャンプーの匂い。
子どもながらに
 
“大人のシャンプー”
 
と命名するほど、耐え難い刺激だ。
 
あのトラウマを払拭すると共に、
大人である余裕を見せようと、洗髪台には
努めて浅めに頭を出していたが、
人それぞれと聞いて、なんだか気持ちの張りが消えた。 
 
で、あれ、
 
洗髪台って名前であってるのかな?
 
次はこれを聞いてこよう。