林芙美子
2020年03月20日 | 人
林芙美子は明治36年12月、下関で生まれた。父は愛媛県生まれの太物の行商人で、母は鹿児島生まれでキクといった。太物というのは呉服の織物であるが、絹ではなく綿や麻の織物であった。父は商売がうまくいくと、芸者を家に入れた。この仕打ちに耐えられなかった母は、7歳になる芙美子を連れて家を出た。明治43年のことである。
芙美子は『放浪記』の冒頭で、子ども頃に習った唱歌を懐かしい思い出として取り上げている。
更け行く秋の夜 旅の空の
侘しき思ひに 一人なやむ
恋しや古里 なつかし父母
この唱歌は、芙美子の幼少のころを思い出させる歌詞になっている。そもそも父母の結婚は他国者とのもので、鹿児島では認められないものであった。そこに住むことを許されず、下関で所帯を持った。芙美子の生い立ちが、その後の人生を決めることになった。
後に母の連れ合いとなった養父も行商を生業とした。そのために、芙美子は小学校だけで、長崎、佐世保、下関、鹿児島、尾道などいくつも転々としなければならなかった。
芙美子の放浪は、少女時代を過ぎても続いていく。俳優や詩人などの男性遍歴の後に、画家手塚縁敏との結婚。さらに就いた仕事も、銭湯の下足番、事務員など多くの種類をこなした。尾道の時代に芙美子は自分で稼いで、学校に通っている。ここで文芸を学び、文章を書く技術を身に着けた。定住をしないでものを書く作家となっていったが、芙美子には天性の文筆の才能に恵まれていた。
『放浪記』には、孤独、母への愛、男への愛憎、小説への情熱など芙美子の生きた毎日が如実に描かれている。菊田一夫が脚本を書き、芸術座で舞台劇となった。主演は森光子、音楽は小関裕司が担当した。この舞台は森光子が死亡する2009年の5月まで上演され2017回を数えた。