常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

傾城森

2021年03月17日 | 登山
羽州街道(現国道13号線)と奥州街道を結ぶ山中通小坂越え街道に七つの宿場が設けられていた。白石川に沿う国道113号線がかっての宿場を結び、七ヶ宿町になっている。奥羽から羽州へ抜ける街道は、江戸時代には参勤交代の際の重要なルートであった。明治20年、鉄道が通り、白石駅ができると、ここから荷を車馬にかえて、この街道が物流を担ったので、街道は大賑わいをみせた。しかし、明治32年に鉄道の福島~米沢線が開通すると、この街道は一気にその存在意義を失った。七ヶ宿は過疎の道をたどり、人口も1500人を切り、宮城県内で最小の町になった。

人口が少なくなっても、この地域の自然の魅力はその輝きを失わない。街道の樹林帯には湿地帯が残り、ミズバショウが春の出番を待っている。今回登った傾城森も川沿いの静かな山域である。その麓を、雪解けの豊かな水が流れる。
吊り橋を渡って山中へ入ると、山伏森の裾を巻くように歩道がつけられている。山伏岳の山肌は、砕いた岩にを敷きつめられ、北西面には苔がはりつき、僅かの隙間を縫うように雑木が伸びている。天候は晴れで、雲の間に青空ものぞくが、強い風が吹きつけ、木々をゆすっている。風は冷たく、体感は冬のからっ風という感じで、薄い手袋では手が冷たくなる。

登山道はよく手入れされていて、勾配が急なところにには階段が設えてある。今年から、山の会では、平日のも予定を入れ、高齢になった人も参加しやすい低山も選んでいる。詩人の尾崎喜八『山の絵本』の一文である。
「彼は行く。ゆっくりと。しかし物見高い目や鼻や耳はすっかり開放しながら。山を歩くことは彼にとって自然の全体と細部とをできるだけ見、愛しかつ理解することであって、決して急用を帯びた人のように力走することではないからである。それがために一日の行程を、二日かかるとしてもかまわない。」
今日の参加者11名(内男性4名)は、すっかりこんな気分だろうか、久しぶりの山行に笑い声が絶えることはない。
山伏森の松林から、登り終えた傾城森がすっくりと立ち上がっているのが見える。岩を敷きつめたような山はだに、大きく育った松が林立している。赤松は寒さに強く、乾燥にも強いため、尾根筋にも育つことが多い。松茸が日本人の好物になったのは、松が日本の風土に適しているからでもあろう。
頂上(440m)からは、眼下に七ヶ宿湖。近くの山の裾を洗うように広がっている。目を上に転じると、蛤山とその先に雪が残る不忘山が見えた。不忘山の雪も日一日と少なくなっている。きのうのニュースで、志津から月山へ行く山道の除雪が報じられた。山中のところどころにマンサクが、満開で咲いている。山は厳しい冬を抜けて、春の兆しがあちこちで見えている。頂上は風が強いので、下り少しくぼんだ、風の当たらない場所で昼食にする。道の駅七ヶ宿で、取り立ての野菜をお土産に。お昼には、もう帰路につく。短いながらも、豊かな自然に触れる楽しい一日であった。

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2 コメント

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七ヶ宿湖 (tango)
2021-03-18 18:44:06
素敵な美しい自然の景色・・
私はこのようなところを見るのが大好きです
毎日、人さまに接する仕事ですから物言わぬ
自然が大好き~~いいですね~~♪
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人に接する仕事 (miki701_1941)
2021-03-19 10:58:14
逆にうらやましいです。
知人が、毎年去って行き
だんだん寂しくなります。
大自然の景観にふれると同じように
人と笑顔でお話できるのは
貴重なことに感じます。
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