最近、妻の脚が弱ってきている。歩行は長い距離は無理だし、立ち上がりや座るのも一苦労している。家事は我慢しながら、こなしているが、脚に負担のかかることは、できるだけ代わってしようとするが、自分でしたことに責任を感じているようで、なかなかさせたがらない。老人の二人住まいは、どこか不自由が出てきたときはじめて、本当の生きかたが試される。
脚力尽くる時、山更に好し
限り有るをもって窮まりなきを趁う莫れ
蘇軾は1073年、杭州の副知事であったとき、近郊を旅して臨安の西の玲瓏山に登った。名の示す通りの美しい山である。双耳をなす二つの峰は、青龍が向かいあっているようであり、九折巌は痩せた背骨のようにどこまでも曲がりくねっている。なかほどに三休亭があって、ここからは山の風に吹かれ、月を眺めるのにもいい場所である。詩句の意味は、歩き疲れて足やももに痛みを覚えるとき、高山の景色はひときわうつくしく、我身に迫ってくる。限りある身であれば、なにも無窮を求めてしゃにむに歩くことはない。ここからの景色を堪能しようというほどの意味だ。
自分の山登りは、今では脚力に合せた山選びから始まっている。蘇軾のように、登り切れない山には登ろうとはしない。日々、ウォーキングをし、少しでも脚力の維持に努めている。妻の足を考えると、山を人生に置き換えてみるのもよい。いつまでも健康であった時だけを思うのではなく、人生のこの地点で立ち止まって、じっくりと辺りに目をむけると、そこにもまた素晴らしい景観が広がっている。そんなことを教えてくれる蘇軾の詩である。
去年までは妻の友人と温泉で
年に数回ほどのんびりしていました。
しかし、突然友人が亡くなりそれも
叶わなくなりました。二人で
行こうということになりましたが
温泉地はどこも洪水の危険が迫り
しばらくはじっと家で、コロナを
避ける生活が続きます
確かに思いもかけない年齢の近づき
元気な時を思いますね!
我が家はがんや心臓病の大手術をした主人が
何時も(あなたは元気でいいね?)と言ってます。自由に動けることが有難く、力仕事は私が全て致します。その代り自宅の料理は主人が作ってくれます
デザインプラザの経営や社交ダンスの指導は
私に与えられた仕事と趣味です!
最近は(ゆっくり)を心掛けています
思いやりが大事ですね(^^♪