金光図書館(こんこうとしょかん) 金光教本部総合庁舎ビル内 HPはこちら
数日前の地元紙(山陽新聞)に、ロシア革命直後のシベリアで難民となった800人の少年少女を、米国赤十字社の要請により、日本人船長が、陽明丸という貨物船で太平洋、大西洋を横断し3ヶ月近く掛かってロシア近くのフィンランドの港に送り届けたという話が掲載されていました。その船長というのが岡山県笠岡市出身の茅原基治(かやはらもとじ)という人で、その船で助けられた少年少女の孫に当たる人が、命の恩人の子孫に、是非ともお礼をいいたいと、一昨年日本を訪れ、今回2度目の来日を果たしたというものです。
いろいろ調べてみると、この女性が最初に日本を訪れたとき、関わりのある地域の各新聞やローカルTVで紹介されていたようです。こういう人情味あふれる話には特別に心を動かされる私ですが、このことに関してはまったく知りませんでした。新聞記事によりますと、その日本人船長・茅原基治さんの手記が、金光図書館(岡山県浅口市)に残されているとあり、それなら是非ということで、昨日、思い立って金光図書館まで行ってきました。所用時間は幸いにも20分程度の距離です。この金光図書館、初めての訪問ですが、想像以上に立派な建物で驚きました。
受付で、「井原市の住民ですが、利用はできますか」と尋ねると「もちろんです」と快い返事が返ってきました。登録が済み、このような本を探していると要件を言うと、この件ですねと、すぐに新聞や関連資料の切り抜きのあるB4大のファイルを、「どうぞ!」と見せていただきました。その間にご希望の「露西亜小児輸送記」という書籍を探してみます、ということでした。それにしても、スタッフの方の対応ぶりには頭がさがります。パソコンの検索で探していただきましたが、ヒットする書籍は無く、いろいろ他の職員の方に聞いていただいていたようでした。
しばらくすると、上席の方でしょうか、「お探しのものは、これでしょうか?」と、ネットのブログで見た、赤十字の印が入った陽明丸のイラストが表紙に載っている冊子を持ってきていただきました。これは手記なので、蔵書のリストには入っていないとのことでしたが、内容は、なんと図書館のホームページで、見ることができる。とのことでした。
この方は特に詳しく、茅原基治さんは金光中学の出身で、初代校長の佐藤範雄氏の教えにより、特別に赤十字の精神を持つ慈悲深い人であったことや、直系の関係者が数年前までこの図書館に勤めていたことなど、貴重な話をいろいろ教えてくださいました。話の途中で急用が入り、あまり邪魔もできないので、お礼を言って図書館をあとにしました。
このロシアの難民を母国に送り届けることができた背景には、いくつかの要因がありました。それらを分析してみたいと思いますが、まず時代の背景とその輸送の実態はどのようなものだったのか、この件がどうして取り上げられるようになったのかを、まず整理してみようと思いました。
私がこのことに興味を持った理由のひとつに、江戸時代の末期、石巻の若宮丸の船乗り達が遭難してロシア領に流され、自分たちの意思とは関係なく、日本人として初めて世界一周を体験した歴史的事実がありました。世界一周という言葉にふとそのことを思い出したからです。
(時代の背景)
1918年、ロシア革命前夜の混乱期、首都ペトログラード(現在のサンクトぺテルブルグ)は飢餓と疫病が蔓延し、前年にソビエト政権が樹立され、英仏米日を巻き込んだ戦争と内戦が同時に起きていました。そこでペトログラードの親たちは、子供たちだけをウラル地方に列車で避難させました。しかし戦火はウラルにも迫り、首都に戻るのも危険この上ない。そこで救いの手を差し伸べたのが、極東ウタジオストックにあった米国赤十字社でした。
米国赤十字社は、ウラジオストックで受けいれて約1年間、面倒を見ましたが、革命が起きたロシアからの撤退を余儀なくされました。そして子供たちを海路で帰すことに決めたのでした。そしてこの仕事を引き受けたのが茅原基治船長の陽明丸だったのです。
(つづく)
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