重要文化財 角屋(すみや)
この島原の地名ですが、その昔、官命により六条三筋町から強制的に移され、その移転騒動が「あたかも島原の乱の如し」と流布されたことにより、「島原」と呼ばれるようになったそうです。名前の付け方が、ちょっと強引すぎる気もしますがいかがでしょう。
たまたま、角屋(すみや)の前で、着物姿の女性がいい感じで歩いていて、少しだけ往時の雰囲気が味わえたような気がしました。ワンカットで写真を撮ろうと思いましたが、とっさのことで叶いませんでした。この角屋については、案内板に以下のような説明がありました。
「角屋は、島原開設当初から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されました。揚屋とは、江戸時代の料理屋・料亭にあたるものと考えられ、置屋から太夫や芸妓を呼び、遊宴をするところです。島原の角屋をはじめとする揚屋は、遊宴のみならず、和歌、俳諧の文芸の席やお茶の席があり、文化サロンとしての役割を果たしていました。したがっていわゆる遊郭の店ではなく、外観の格子造りも、京の近世初期の町家の形を遺しており、吉原の牢屋のような格子造りではありません。」
あの新撰組もよくここを利用していたようです。初代局長の芹沢鴨は、暗殺されたその日もこの角屋での宴会に出席していたとか。とんでもない酒乱で、物を壊すは、因縁をつけるはで、見るに見かねて、土方歳三らにより寝こみを襲われたそうです。また、西郷隆盛や久坂玄端が密議を凝らした場所でもあるそうです。こちらは、「角屋もてなしの文化美術館」(入館料1,000円)として一般に公開されているようでしたが、時間がないので次回ということにしました。
梅小路公園七条入口広場
さらに歩いて七条方面に南下し、次に向かったのが梅小路公園内にある「朱雀の庭」です。この庭園がどうして気になっていたかというと、昨年、NHKハイビジョン、大河ドラマのあとの番組で平田満さんナレーションの「日本庭園の旅」という番組がありました。日本庭園大好きの私は、毎回とても楽しみに見ていました。この番組の中で紹介されていた「朱雀の庭」は野筋など、古来の庭園の手法に加えて、インド産黒御影石を張った水深5センチの水鏡など、斬新な手法が融合した特筆すべき庭園だということでした。
七条通りの横断歩道を渡ると初めての梅小路公園です。この公園の1番の目玉は梅小路蒸気機関車館ですが、今日は一直線に緑の館を目指します。それにしても何とファミリーの多いこと。天気が良いので芝生広場で遊ぶのでしょう。(つづく)
→ 未熟なカメラマン HP
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