「こんなところに神社がる~参拝して行こうね~」とミモロが立っているのは…

「神足神社(こうたりじんじゃ)」の前です。
京都の西、大阪府に境を接する長岡京市は、古代より歴史の変化の折に登場する地域です。
その名は、桓武天皇の時代、延暦3年(784)奈良の平城京から都遷りがされた「長岡京」。しかし、その後、延暦11年、大洪水や桓武天皇の弟の早良親王の死や怨霊などから、延暦13年(794)に平安京へと、また都が遷されることに。わずか10年間の都…その姿は、今は地中に眠ります。
「長岡京って、平安京の基礎を作った都なんでしょ!」とミモロ。そう、そこで培われたノウハウが、平安京に活かされているのだそう。
大阪、京都、奈良への交通の要所であるここ西山エリア…それは、後に明智光秀、また幕末など、日本の歴史のターニングポイントに登場します。さてそのお話は後に…
この日、JR長岡京駅から、トコトコと、猛暑の中を汗びっしょりになりながら、線路に並行して進む、日陰のない県道を歩いていたミモロ。
「ここに神社がある~緑の木々が日陰作ってるのから、少し休憩しようよ~」と境内に進みました。

森の中に姿を見せた「本殿」。まずは参拝を…

ここ「神足神社」は、創建年代は不明ですが、平安時代の「延暦式神名帳」という当時の神社のリストにその名が記された式内社であることから、その前から建てられた神社であることがわかります。
現在の建物は、明治5年に東海道本線の建設に際し、かつての場所から移築され、流造の社殿は、ここに蘇ったとか。建物に関しての情報が見つからなかったので、その年代はわかりません。あしからず…

豪族の神足氏が治めた土地で、もともと旧神足村の産土神社であったと言われます。
現在の標示されているご祭神は、天神立命、舎人親王(天武天皇の皇子)です。
この神社には、なんでも「桓武天皇の夢」という伝説があり、ある日、桓武天皇の夢に「この地に悪霊を祓う神社を建てるよう…」というお告げがあったと…。
「それでできたの?」とミモロ。う~何しろ大昔のお話なので…
ともかく地元の人々に大切にされていたことはわかります。
「絵馬もある~」

今も地元の人たちが参拝する神社です。
「お百度詣りでじゃない…ギャ~千度詣りだって~大変だね~」境内には「御千度詣」でUターンする石碑が

「千回もお詣りしたら、神様もお願い叶えてくれるよね~きっと…」
「神足神社」という名前から、足を守りたいサッカー選手やランナーなどの参拝も多いそう。
*「神足神社」京都府長岡京市東神足2-5 境内参拝自由
さて、神社に参拝したミモロは、次に向かう途中、境内の一角に「土塁の構造」という標示の前に立ち止まりました。

一段高くなっている場所

ここは、城を守るための土塁が築かれた場所で、どのように土塁を作ったか、その構造がわかるように、断面を色のことなるタイルで説明しています。

「土塁?え?ここお城の一部なの?」とミモロ。この地域で現在も進む発掘調査で、かつてあったお城の堀であることが判明。

堀の姿は、草が茂るその中に…

「なんかよくわからない…」とミモロ。でも、そこには、人工的に作られたものがあることはわかります。
さて、その堀などともつながりがある次の目的地へ進みましょう。
それは戦国時代の武将 細川藤孝が築いた「勝龍寺城」です。

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「神足神社(こうたりじんじゃ)」の前です。
京都の西、大阪府に境を接する長岡京市は、古代より歴史の変化の折に登場する地域です。
その名は、桓武天皇の時代、延暦3年(784)奈良の平城京から都遷りがされた「長岡京」。しかし、その後、延暦11年、大洪水や桓武天皇の弟の早良親王の死や怨霊などから、延暦13年(794)に平安京へと、また都が遷されることに。わずか10年間の都…その姿は、今は地中に眠ります。
「長岡京って、平安京の基礎を作った都なんでしょ!」とミモロ。そう、そこで培われたノウハウが、平安京に活かされているのだそう。
大阪、京都、奈良への交通の要所であるここ西山エリア…それは、後に明智光秀、また幕末など、日本の歴史のターニングポイントに登場します。さてそのお話は後に…
この日、JR長岡京駅から、トコトコと、猛暑の中を汗びっしょりになりながら、線路に並行して進む、日陰のない県道を歩いていたミモロ。
「ここに神社がある~緑の木々が日陰作ってるのから、少し休憩しようよ~」と境内に進みました。

森の中に姿を見せた「本殿」。まずは参拝を…

ここ「神足神社」は、創建年代は不明ですが、平安時代の「延暦式神名帳」という当時の神社のリストにその名が記された式内社であることから、その前から建てられた神社であることがわかります。
現在の建物は、明治5年に東海道本線の建設に際し、かつての場所から移築され、流造の社殿は、ここに蘇ったとか。建物に関しての情報が見つからなかったので、その年代はわかりません。あしからず…

豪族の神足氏が治めた土地で、もともと旧神足村の産土神社であったと言われます。
現在の標示されているご祭神は、天神立命、舎人親王(天武天皇の皇子)です。
この神社には、なんでも「桓武天皇の夢」という伝説があり、ある日、桓武天皇の夢に「この地に悪霊を祓う神社を建てるよう…」というお告げがあったと…。
「それでできたの?」とミモロ。う~何しろ大昔のお話なので…
ともかく地元の人々に大切にされていたことはわかります。
「絵馬もある~」

今も地元の人たちが参拝する神社です。
「お百度詣りでじゃない…ギャ~千度詣りだって~大変だね~」境内には「御千度詣」でUターンする石碑が

「千回もお詣りしたら、神様もお願い叶えてくれるよね~きっと…」
「神足神社」という名前から、足を守りたいサッカー選手やランナーなどの参拝も多いそう。
*「神足神社」京都府長岡京市東神足2-5 境内参拝自由
さて、神社に参拝したミモロは、次に向かう途中、境内の一角に「土塁の構造」という標示の前に立ち止まりました。

一段高くなっている場所

ここは、城を守るための土塁が築かれた場所で、どのように土塁を作ったか、その構造がわかるように、断面を色のことなるタイルで説明しています。

「土塁?え?ここお城の一部なの?」とミモロ。この地域で現在も進む発掘調査で、かつてあったお城の堀であることが判明。

堀の姿は、草が茂るその中に…

「なんかよくわからない…」とミモロ。でも、そこには、人工的に作られたものがあることはわかります。
さて、その堀などともつながりがある次の目的地へ進みましょう。
それは戦国時代の武将 細川藤孝が築いた「勝龍寺城」です。

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