ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

[五世 島田耕園 御所人形展」京都高島屋で1月29日まで開催。雅な御所に伝わる愛らしい人形たち

2024-01-26 | 体験

愛らしい中に品格を感じさせる「御所人形」。160年続く御所人形司の五世を担う島田耕園さんの作品です。


1月24日~1月29日まで、3年ぶりに京都高島屋で開催される「五世 島田耕園 御所人形展」は、国内外から島田さんの作品に魅了された多くの方がおいでになる個展です。
 

ミモロも、さっそく雪のチラつく中、会場に伺いました。


広い会場に、整然と並ぶ人形たち。

滑らかな真っ白な肌、4頭身ほどのポッチャリとした体形、そしてつぶらな瞳と小さな口と鼻が特徴的な幼児の姿の人形です。

「どこか普通の日本人形とは違うね~小さい子供ながら、なかなか品格がある…」と、同じような3頭身の体型のミモロ。
小さな人形たちに押され気味…。

「あ、ミモロちゃん、いらっしゃい~」と笑顔で迎えてくださった島田耕園さん。

清水寺に続く二寧坂にあるお店に、よく立ち寄っては、人形を見せていただいているミモロです。

「本当に、御所人形って、なんか違いますね~」とミモロ。
そこで、島田耕園さんに御所人形のことをお話していただきました。

来場者と共に、ミモロは、興味深く耳をピクピクさせながら聞き入ります。

そもそも、御所人形のルーツは、平安時代の御所から始まります。当時は、栄養状態の悪さや寒暖の差の激しさ、衛生状態、さらに度重なる疫病の発生などから、幼児の死亡率が高く、御所に暮らす親王や皇女の多くも、幼くしてその命を亡くしていたのです。

そこで、御所の人々は、大切な子供に災いが付かぬよう、身代わりとなる人形(ひとがた)を作り、幼児の枕元に飾り、そこに厄が付くように願ったのだそう。最初は、ごくシンプルな姿の人形(ひとがた)でしたが、次第に、その姿は、洗練されてゆきます。

御所人形の成り立ちは、子供の健やかな成長を祈願するもので、生まれて間もない子供の枕元に置く這い這いの姿を例にとると、白色の胡粉の肌は、邪気を寄せ付けない清らかさ、そしてあふれる生命力を象徴してるのだそう。

また、人形たちが手にするものは、吉祥を表すもので、その子の幸せをも祈るものなのです。


「はじめは、御所の高貴な人たちの習慣だったんですが、江戸時代には、庶民も、子供が生まれると同じように人形をかざったんです。今も、関西の旧家などでは、その習慣を続けていらっしゃるんですよ」と島田耕園さん。

江戸時代には、武家の暮らしにも、この習慣が広がり、徳川家などでは、盛んに行われていたそう。

「じゃ、みんな自分の御所人形持ってるってことですか?」とミモロ。
「そうですね。雛人形と同じようなものですね。御所人形の場合は、男の子の姿をしていますから、その家の跡取りなどの成長を願ったものとも解釈できます」と島田さん。
「え?ということは、赤ちゃんのうちは、御所人形を枕元に飾って、大きくなったら、女の子は雛人形、男の子は、武者人形を飾るってことかな?でも、両方とも、1年に1度だし…赤ちゃんんの時は、毎晩、そばに置いたってことかな?」と、勝手に解釈しているミモロです。そこには、簡単に説明できない時代的な変遷があると思われます。

「ミモロのお家にも、御所人形はないけど、ママのママの雛人形があるよ~」とミモロ。
会場には、島田耕園作の雛人形も並んでいます。
 
「雛人形というのも、その家に生まれた女の子の健やかな成長と幸せな暮らしを願うもの。ですから、女の子が生まれたら、その子のためのだけの雛人形を揃えます。よく家には、母親が持ってきた雛人形があるので、もう雛人形はいりません…という方がいらっしゃいますが、ひな祭りに飾るためなら、もちろんそれでもいいんですが、元々、その家に生まれた女の子の幸せを願うとすれば、それぞれの子供の雛人形があって然るべきなんです」と。

「え~三姉妹だったら、3つお雛様が並ぶってこと?」とミモロ。
「そう、昔は、1年に1度、ひな祭りにそれぞれのお雛様を箱から出して並べたものです。そうすることで、湿気や虫よけにもなりますから‥」と。
そして女の子が、成長して、嫁ぐときには、雛人形も一緒に婚家に伴われ、そこでも幸せを願ったんだそう。

「そうなんだ~最近は、女の子が生まれても、雛人形揃える人少なくなったって、雛人形屋さんが言ってた~」と、近年のスタイリッシュな住まいにマッチしないと、雛人形を飾る習慣はグッと減っているのが現状です。

「ママも、しっかりママのママに買ってもらった雛人形飾らないとダメだよ!ミモロの雛人形も飾ってよ~」と横目で睨むミモロです。はい、わかりました…今年はしっかり飾りましょう。

「人形って、親の愛情の象徴なんだね~」とミモロ。そう、特に島田耕園さんが製作する「御所人形」には、さまざまな願いが込められているのです。

安政6年(1859)創業以来、平安時代以来の人形へ込める人々の思いを受け継ぎつつ、その時代の人形の姿を表現なさってます。
その制作の姿勢と作品は、さまざまな賞を受賞なさると共に、ルイヴィトンなど世界的ブランドとのコラボなども…。

会場で、ミモロが心惹かれていたのは、動物たちの人形です。

「可愛いね~これ、犬の成長を願ったのかな?」とミモロ。

「いいえ、それは、犬は多産の象徴で、家の繁栄を願ったものですよ」と島田さん。

島田さんが作る人形は、人だけでなく、さまざまな動物たちの表情も、愛らしく品格が漂います。


会場では、奥様も来場者に人形の説明をしてくださっています。

「人形に子供の成長を祈願するというのは、とても日本的な習慣だと思います。なくなって欲しくない素晴らしい習慣ですね」とおっしゃる奥様。

ひとつひとつ心を込めて製作される人形たち…「こうやって作るんだ~」と会場のビデオを見るミモロ。


ひとつひとつゆっくり拝見したい作品ばかり…。そこに込められた愛を感じます。


より詳しい御所人形のお話は、1月27日のトークイベントで、ぜひ…


「なんか親しみ感じるんだよね~ぜひ、お友達にも教えてあげよう~」と、体型に共通性を感じるミモロでした。


*「御所人形 島田耕園」の詳しい情報はホームページで

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「豊国神社」の正面通の昭和感漂うレトロな麺処「まつ山」。おだしのきいたやさしいお味のうどんやそば

2024-01-25 | グルメ

「ウ~いい香り~美味しそう~ゴクン」と思わず喉がなってしまう「カレー肉うどん」720円。


ミモロは、冬のある日、町歩きの途中、七条通の「京都国立博物館」の西側の大和大路通を進み「豊国神社」へ行きました。


ここは、太閤豊臣秀吉をご祭神にする「豊国神社」の総本社で、出世運や財運などにご利益があると言われます。

豊臣家滅亡後、神社は廃絶。荒廃のまま長らく放置されました。明治になり、明治天皇の勅命で社殿が再建され、現在の姿に…。

鳥居の前には、幅広い石段…


その前には、幅広い参道が鴨川方向へと伸びる「正面通」。

この道は、かつてここにあった秀吉が建立した「京の大仏」の大仏殿への正面に続いていたことに由来するもの。

「大仏様、見たかったなぁ~あったら京都の名所になっていたのにね~」とミモロ。
慶長元年(1596)に、大仏開眼の直前に、慶長伏見地震で崩壊。その後も再建、崩壊を繰り返し、なんと天保14年(1843)に造られた4代目となる最後の大仏は、昭和48年に火災で焼失します。

さて、大仏のお話は、以前もしているので、今回は、ミモロがお腹が空いてるので、先に進みます。
「お腹空いた~」というミモロは、周囲をキョロキョロ…
「あ、お蕎麦屋さんがある~」と、古い趣漂うお店の前へ

「ここ、入ってみようよ~」と暖簾をくぐります。

店内は、京都の麺処らしいレトロな雰囲気。

「お好きな場所にどうぞ~」と誰もいないお店を見渡し、お品書きのそばのテーブルへ

「何にしようかな?」と壁に貼られたお品書きを見上げます。

ずらりと並んだ品々の名前…「わ~どれも美味しそう~どれにしようかな?」といつものように迷うミモロです。
うどんやそばは、440円。一番高価ななべ焼きうどんは、940円です。


中華そばやカレーライスもあります。夏は冷やし中華も登場するそう。

さて、ここ「まつ山」は、現在3代目のご店主。奥の調理場には、お母さまの姿が…。
地元の人に愛され続けるお店で、常連さんも多数…

ミモロが注文したのは、「肉カレーそば」

初めて入るお店では、「どんなお味かな?」とドキドキするミモロですが、一口食べて、「う!美味しい!」と笑顔に。
カレー風味のお汁は、とてもやさしいお味…わき目のふらず食べ続け、気づけばお汁も飲み干しています。

すっかりここのお味が気に入ったミモロは、別の日、再び訪れます。その時頂いたのは…

鍋焼きうどん940円です。小ぶりな土鍋にえび天、かまぼこ、シイタケ、玉子などが…。
「熱いから蓋開けますね~」と、ご店主が蓋をあけてくれました。
「土鍋に触らないようにね…」と、熱いものに触れると毛並みが溶けるミモロを気遣って、さらに…。

「やっぱりお汁が美味しい!」と、こちらもやさしいお味。
大きな土鍋の鍋焼きうどんは、全部食べられないという人でも、ここなら完食できるはず。

「体温まるね~」とフーフーしながら頂きました。

お店の北側には、駐車場もあり、車でも大丈夫。
美味しいお店に詳しいタクシードライバーさんもよく訪れるお店です。

寒い京都を訪れたら、温まりに、ぜひ…

「ごちそうさまでした~また来ま~す」と言って、お店を出たミモロです。


*麺処「まつ山」京都市東山区本町4-142 ☎075-561-0654 営業時間11:00~19:00 日曜・祝日休み


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ミモロ「柳生の里」を行く!沢庵和尚が創建した柳生家の菩提寺「芳徳寺」と一族の墓所へ

2024-01-24 | 奈良、近畿

奈良の「柳生の里」を訪れているミモロ。「これが、柳生家の人が使った刀?」と、山の中にある「一刀石」から山道を歩いてやってきたのは、「芳徳寺」にある「資料室」です。


立派な石垣が巡らされた「芳徳寺」は、柳生家の菩提寺。

「なんかお城みたいだね~」とミモロ。
そう、ここは、もとは柳生藩の藩主である柳生家の居城だった場所で、石段や掘割などが、当時の城の姿を留めています。

正式には、「神護山芳徳寺」といい、柳生宗矩が、父である宗巌(石舟斎)の菩提を弔うために、寛永15年(1638)が創建。親交があった京都大徳寺の沢庵和尚が開山した臨済宗大徳寺派の寺院です。


宝永8年(1711)に火災で全焼後、3年後に再建。明治期の廃藩後は荒廃したものの、大正期に柳生家の末裔が資金を寄贈し、本堂が再建されました。

隣接して資料館が作られ、そこに柳生家に関する貴重な資料などが多数収蔵、展示されています。


「いろいろ興味深いものが展示されてる~」とミモロは興味津々。


馬具や甲冑など、江戸時代の貴重な品々が近くで、よく見られます。
 

中でも寺宝とされるのが、柳生宗矩の息子、通称柳生十兵衛が著した「月乃抄」という書物。

13歳で徳川家光の小姓となった十兵衛は、何らかの理由で、20歳の時、家光の勘気をかって、12年間謹慎を命じられ、出仕無用となります。その間、諸国を巡ったとも言われます。
「あ、柳生十兵衛って、片目に眼帯してる剣術家でしょ。時代劇で見たことある~」と、ネコなのに時代劇好きのミモロ。この謹慎期間のことが、講談や時代小説やドラマになっているのです。

この出仕を許されなかった時期、柳生の里に戻り、祖父の柳生石舟斎や父宗矩が残した口伝の柳生新陰流の兵法などを研究し、著し、また刀などの目録も作ったのが、この書物の草稿です。
「口伝の兵法を書物に残すとは何事!」と父宗矩から焼却を命じられるものの、父の友人である沢庵和尚に相談し、父の真意を説かれた上で、手直しして、焼却を免れます。
「剣術をする人には、憧れの書だよね~きっとすごく剣術の上達することが書いてあるんじゃないの~読めればね~」とミモロ。う~見事な筆遣い…残念、読めない…

再び出仕が許され、江戸にもどった十兵衛は、柳生の里でまとめた柳生新陰流の兵法の草稿を、3年後に完成させ、それが寺宝となっている柳生新陰流の術理を著した「月之抄」です。

「柳生十兵衛さんって、44歳で鷹狩に行って、急死したんだって~」と、資料を見ながら…

本堂の前には、庭が広がり…

本堂には、宗矩の木造が祀られています。

この像は、明暦3年(1657)に息子の宗冬が、亡父の七回忌に京都の仏師に命じ作らせたもので、後の火災をも免れた像です。

「そばにお墓があるんだって~」とミモロは、お寺を出て境内の奥へと進みます。

静寂の中を歩み、山の奥へ


杉木立の中に、墓石が見えてきました。


ここに並ぶ墓石は、86基、柳生家一族が宗矩の墓石を中心に並びます。
 

「なんか圧倒されるね~」とミモロ。

まさに柳生新陰流の聖地です。

「これで、主な場所は巡ったよね~」とミモロとお友達。


奈良観光バスの柳生バス停方向に戻ることに…


「まだ、バスが車で1時間近くあるよ~」

そう、10時過ぎに到着し、約2時間半で、「柳生の里」を巡りました。

その間、飲まず食わずで、ひたすら歩いたミモロ達です。
「お腹空いた~」とさすがに言い出したミモロ。でも、平日のこの日、バス停そばの食事処は、お休み。
バス停の周囲には、コンビニもスーパーなどお店がなく、あるのは飲み物の自販機だけです。
「あ、お菓子持ってる~」と、お友達がバッグから取り出したお菓子を食べ、日向ぼっこをしながら、バス停そばのベンチでバスの到着を待つことに…。

平日に「柳生の里」を訪れるときは、ぜひ、おむすびやパンなどを持参しましょう。

13時過ぎに到着したバスに乗り、奈良へと戻ります。

「奈良でランチしようね~」と。約1時間後、バスは奈良の町へと入りました。


ランチを食べて、近鉄に乗って、爆睡して、京都駅へと戻ったのは、17時近く。東京に戻るお友達を京都駅で見送り、出町柳駅に戻ったのは、空が暗くなる時刻でした。

奈良「柳生の里」への京都からの日帰り旅…「行けてよかたった~」ぜひ、春の旅に訪れてはいかがでしょう?

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ミモロ「柳生の里」を行く!「鬼滅の刃」のモデルになった「一刀石」。巨石をご神体とする「天石立神社」

2024-01-23 | 奈良、近畿
「エ~イ!」と、ミモロが振り下ろした刀で岩がパックリ割れました???

というのは、嘘!ミモロがその気になっているのは、アニメ「鬼滅の刃」に登場する大きな岩を思わせ、近年、奈良の「柳生の里」の人気観光スポットとなっている「一刀石」です。


剣豪の里で知られる「柳生の里」。徳川家代々の将軍の剣術指南役であった柳生家が治める1万石の柳生藩の里です。
東京から来たお友達と一緒に、静かな里を巡るミモロが、次に訪れたのは、里の中心部から少し離れた山の中にある「一刀石」。

ミモロは、かつてさまざまな剣術家が歩いてであろう山道を、やや緊張した面持ちで進みます。

歩みが進むごとに、周囲の木々は深くなり、その中に、大きな石が姿を見せ始めました。

「なんかここ空気が違う~」というミモロ。

ほどなく目の前に現れたのは、大きな平たい石が、まるで扉のように聳えています。


ここは「天石立神社」で、この巨石こそがご神体。
 
戸岩山の標高330mにある巨石群で、その中で、重なり合う板状の花崗岩には、しめ縄が巡り、神々しい気を漂わせています。

そばにあった解説を読むと…天照大御神が「天の岩戸」に籠られた時、力持ちの天手力男神(アメノタヂカラオ)が、その岩戸の扉を開けて、投げたものが落下したと伝えられているそう。
「え?天岩戸の扉、信州の戸隠に落ちたんじゃないの?」とミモロ。
「まぁ、天岩戸は、宮崎県の高千穂にあるって言われるから、戸隠まで届かない扉が落下したのかもね~」と勝手に解釈。

「なんかすごくパワー感じる~」とミモロは、岩に寄り添って、そのパワーを頂きます。

ここは、柳生一門も崇敬した神社なのだそう。

さて、その奥にあるのが、「一刀石」です。

「う~この岩も大きいね~」


杉の森の中に鎮座するひと際大きな岩。

7m四方の岩で、その真ん中がパックリと割れています。

なんでも、柳生宗巌が剣術の修行中、ここで天狗を試合をした際、一刀のもと、天狗を倒したと思ったところ、大きな岩を割っていたと…それがこの岩を「一刀石」と呼ぶということです。

「牛若丸が、鞍馬の山で天狗に剣術教わったのと同じようなものかな?剣術が強い人って、天狗に挑むんだね~」と、ミモロの想像は膨らみます。

天狗の存在は、ともかく、実際、この場所は、剣術の修行のトレーニングに使われていたとか。
「ここでトレーニングすれば、足が鍛えられそうだよね~」

現在、この「一刀石」の前には、ウッドデッキがあり、そこにプラスチック製の刀が用意され、ここを訪れた人が、「鬼滅の刃」のシーンをマネて写真撮影ができるようになっています。

ミモロもやる?
「うん、でも、ミモロ、自分の刀あるから、これで…」ということで、最初の写真になりました。

「エ~イ!」一刀のもとに、岩はパックリ割れました…という写真です。


週末など、観光客が多く訪れると、みんな代わる代わる撮影をするそう。

苔むした大きな岩…地殻変動により地表に現れたのでしょうが、なんとも神秘的なパワーが漂います。


次は、柳生家の菩提寺へ進みます。

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ミモロ「柳生の里」を行く!石組の遺構が留める「旧柳生藩陣屋跡」。現在は紅葉と桜の名所

2024-01-22 | 奈良、近畿

京都から日帰り旅で奈良の「柳生の里」を訪れているミモロ。「さぁ、もっと歩かないと~」


JR奈良駅から奈良交通バスで約1時間。「それほど遠いところじゃないけど…バスの便が少ないから、ちょっと行きにくい感じするね~」と言いつつも、帰りのバスの時間を頭に入れて、「柳生の里」を巡ります。

山に抱かれた里…そこを巡る道の矢印を頼りに、トコトコ…。


「また、立派な石垣のあるお屋敷がある~」

ここは、先ほど訪れた国家老の小山田家の分家の屋敷。

「残念~非公開だって~」文政9年(1826)から、柳生藩の国もとの家老となった小山田主鈴氏。その子孫は、明治になって藩がなくなってからも、昭和31年まで、この地に住み続けていたそう。
「ここは、分家だから、今も小山田家の方が住んでいらっしゃるのかな?」とミモロ。
う~そこまではわかりません…

そこからさらに山道を進みます。


「あ、神社がある~」


ここは、「柳生八坂神社」。

柳生宗矩の子、宗冬が、奈良の大久保地区というところにある「八坂神社」を勧請した神社です。

ご祭神は、素戔嗚尊の他に、以前から祀られていた「春日大社」の本殿第四殿のご祭神である比売神も…。

「きっとここで、里のお祭りをずっとやっているんだろうね~」
そう、毎年10月には、例大祭が行われます。

「さぁ、もっと歩くよ~」とミモロは、お友達をリードしながら進みます。


向かうのは、「陣屋跡」


でも張り切って歩くミモロの前に・・「う~」と思わず唸りたくなる石段が現れました。

「ミモロちゃん、行くの?」とお友達。「うん、ここまで来たんだから…頑張ろうよ~」と励ますミモロです。

石段を上り切ると、そこには、広場のような場所がありました。


そして、そこには、石組が…


この場所は、寛永19年(1642)に柳生宗矩が建てた柳生藩の陣屋の跡です。
その陣屋は、延享4年(1747)に火災で焼失。仮の建物を作り、そこに代々柳生氏が住んでいたのだとか。
近年の発掘調査で当時の間取りを石垣で復元。それが目の前に広がる景色です。

「すごく立派な建物だったのかもね~」と、今は想像するしかありません。

現在、この場所は、史跡公園として整備され、春は、桜、秋は、紅葉が楽しめる地元の憩いの場所になっています。


しばらくここで休憩したミモロ達は、そこから国道369号線へと戻りました。
「あ、茶店がある~なんか食べられるかな?」

この日は、残念ながらお休み…。「観光客、今日少ないもんね~」

さぁ、気を入れ直して進みましょう。
「次は~あ、鬼滅の刃だって~なんだろ?」

実は、この先には、「鬼滅の刃」のモデルになった大きな岩があるのです。

「行ってみようよ~」と、ミモロ達は、さらに山道へと進むことに…



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