本日からミモロが昨年12月に訪れた奈良の「柳生の里」の日帰り旅をお伝えします。

「一度、行ってみたかったんだよね~」と言っていたミモロは、東京から来たお友達を誘って、奈良の柳生の里に行くことに。
朝、京都を出発し、JR奈良駅から出発する奈良交通の9:11出発のバスに乗ることに。

JR奈良駅からは、約1時間。「それほど遠くないかも…」というミモロ。
でも、自家用車なら行くのは簡単かもしれませんが、バスで行くとなると…
「このバスに乗らないと、次は12時過ぎ、その次は16時だって~」そう、休日は、1日3本、平日でも5本しかバスの便がなく、「柳生の里」を観光して回るためには、遅くても、午前中のバスに乗らないと、滞在時間が少なくなってしまうのです。
また、帰りのバスの便も同じ本数ですから、「帰りの時間をしっかり把握して行かないと、帰れなくなっちゃうかも~あんまり遅い時間も大変だしね~」と。その日のうちに東京に戻るというお友達の新幹線の時間も考慮し、帰りは、13:20に柳生バス停を出発して戻ることに。
今回は、「柳生の里」に10時に到着し、13時に出発する約3時間で回れる範囲に…。
奈良交通のバスに乗って、奈良の町を抜けて、国道369号線を山に向かって進みます。

「なんかドキドキしてきちゃった~」と憧れの柳生の里が近づき、ミモロの顔を引き締まります。
約1時間のバス旅で到着した「柳生バス停」

「なんかバス停の周りにお店ないね~」とキョロキョロ。
平日のこの日、観光客は、ミモロと同じバスに乗った数人だけ。
住民の姿もなく、とても静かな場所…「どこに行く?」と、マップを見てコースを確認します。

マップを見て、「主な観光スポットは、6カ所くらいかな?あんまり遠いところまでは、歩けない」というお友達。
そう、ここからは全部徒歩で進みます。
「ともかく、まずは、『柳生観光協会』って書いてある『旧柳生藩家老屋敷』に行ってみようよ」と。

ミモロ達は、バス停からトコトコと郵便局を過ぎて、カーブした道を進むこと、約8分。
「あ、見えて来た~」
立派な石垣が聳える場所に…

ここが目指す「旧柳生藩家老屋敷」で、その立派な石垣は、天保12年(1841)に尾張の石工が築いたものだそう。

「すごい緻密な組み方してる~」と、細かいとこに関心するミモロです。

さて、そもそも「柳生の里」は、江戸時代、将軍家の剣術指南役として代々の将軍に仕えた柳生家が、藩主として治めた1万石の領地です。「旧柳生藩家老屋敷」は、藩の家老職であった小山田主鈴の屋敷。文政9年(1826)に江戸からこの領地に移り、この屋敷を預かり藩の財政立て直しに尽力した人物です。
その子孫は、代々この地にとどまり、昭和31年に他の人の手に移り、昭和39年から作家の山岡荘八氏が所有。そして昭和55年に奈良市に寄贈され、現在、資料館として公開されているのです。

時の流れと共に、敷地内の建物の一部は撤去されていますが、主家は、ほぼ創建当時の姿で、奈良県では、希少な武家屋敷の遺構となっています。
「たのも~」と、受付に声を掛ける剣術家になった気分でミモロ。

「あら、可愛いお客様~まぁ、お武家様の姿なんですね~」と、剣道着と刀を差して来たミモロにニッコリ。
藩主であった柳生宗矩のパネルで、お約束の撮影も…

さぁ、もういいでしょ…中へ進みましょう。

この屋敷を預かった小山田主鈴氏は、白河藩(現在の福島)の生まれ。文化3年(1806)に、江戸の柳生藩邸に仕え、その手腕をかわれ、45歳の時に、国家老として奈良へ。ここでも財政に関する才能を発揮し、藩に尽くします。職務の傍ら、茶の湯を楽しんだ茶人なのだそう。
「広いお座敷…」

庭園は、さまざな石組や燈籠が配され、樹齢200年を超える楓や樫の木も…

屋敷の間取りも機能的な造りです。

敷地内は、その当時は、納屋と物置、蔵などもあり、主屋の座敷には、必要とするもの以外置かなかった、スッキリとして暮らしが…。
現在、室内には、その当時の暮らしを物語る品々が展示されています。

建物自体にも興味を抱くミモロ。

「なんかお台所広いね~」

「江戸時代の景色…?」ミモロは、よく磨かれた廊下から、しばし庭の景色を楽しみました。

さぁ、次に移動しましょう。
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