友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

加藤和彦さんの自殺

2009年10月19日 22時45分04秒 | Weblog
 花粉症なのか、特に朝方はクシャミの連続である。眠っていても目が痒いし、起きている時はなみだ目になってしまう。朝のうちが特にひどい現象で、午後になればかなり回復する。こういうアレルギー反応の時は全身がけだるくて、やる気も無くなる。なのに、なぜか朝からルーフバルコニーに出て、昨日に続いてチューリップの植え込みの準備をしていた。まず、薄めのコーヒーをたっぷり沸かし、昨日の作業状態を確認しながら、ゆっくりと飲む。

 さて、やるぞと鉢を並べて作業の手順を考える。培養土を8袋、腐葉土を1袋、赤玉土を大中小合わせて3袋、バーク堆肥を3袋、牛フン2袋を買い込んできたので、これらを混ぜ合わせながら鉢に入れていった。これだけあれば充分に足りるだろうと思っていたが、やってみるとまだ足りない。古い土はみな長女の家に運んでしまったので、全く新しい出発である。そこで心配なのはミミズがいないことだ。どこかでミミズを探してきて、培養してやらなくてはと思っている。

 そんなことを言うのは、「ヘンな人」のようだ。『ザ・フォーク・クルセダーズ』のメンバーだった加藤和彦さんが17日に自殺した。「帰って来たヨッパライ」は天国から追い返された酔っ払いの歌で、シリアスなものが多かったフォークソングに新風を吹き込んだ。レコード会社が発売を見送ったことで有名になった「イムジン河」は、とてもキレイなメロディーで私は好きだ。加藤和彦さんは作曲家としてあるいは音楽プロデューサーとして活躍していた。

 どうして自殺したのか、詳しいことはわからないし、積極的に知りたいとも思わないけれど、「馬鹿なことを言わないで」と言われそうだが、なんとなく自殺は理解できる。19日の朝日新聞に『ザ・フォーク・クルセダーズ』のメンバーで精神科医のきたやまおさむが、「加藤和彦さんを悼む」という記事を書いている。そこには「それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う」とある。また、「彼は“振り返る”のが大嫌いだった」ともある。

 「趣味は一流、生き方も一流だった。ギタープレイヤーとしても一流で、プレイヤーすなわち<遊び手>としても一流」とあった。何時だったか、NHK教育テレビで3日間(?)にわたって『井上陽水』を特集していたことがあった。歌手ではなく、歌を作る側の難しさというか、創造することの限界と超克、その葛藤、井上さんはいつものヘナヘナとした喋りで語っていた。加藤和彦さんはそんな風に“振り返る”ことが出来なかったのだろう。いや、振り返るくらいならここで終わりにしようと思ったのだろう。

 私たちは凡人であるがために、「そんな難しいことなんか言わずに、楽しくやろうよ」と言い切れる。自らの立ち位置で、自分の人生に幕を下ろすことが出来るならば、その人にとっては最高の人生で終わることになる。そうしてしまいたいという欲望を持つ人がいないわけではないが、凡人はその勇気がない。自らの命を絶つことは蛮勇だと言われても、やはり勇気が要る。でも、死ぬ気の人は多分、決意なのだろうな。私にはない「力」である。凡庸でもいいじゃないか。
コメント
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