三岸節子記念美術館で『筧忠治展』をやっている。紙にインクで描かれている自画像のポスターを見て、どうしても展覧会を観ておきたいと思った。彼の自画像はどれも眉間に皺をよせ、目は光り輝き、唇をグッと閉じた恐ろしい血相をしている。意志の強い、「負けんぞ!」という気持ちが顔面に出ている。いったいどんな人なのかと興味深く思った。
筧忠治氏は明治41生まれとあるから、私の両親とは同世代である。展覧会の会場には彼の若い頃から40代、そして70代と90代の写真があった。見ると華奢な人だ。自画像に見られるような雄々しい力強さは感じられない。自画像に描いた激しいほどの闘志はいったい何だろう。
展覧会場で売られていた図録を眺めてみた。現在の一宮市で生まれたが、父親の織物事業は好調で、名古屋へ進出を図り、そのため前津尋常高等小学校へ転校している。「父が買ってくれたクレヨンや色鉛筆で、(略)もっぱらひとりで遊んでいたという」。ところが、彼が13歳の時、父親はスペイン風邪にかかり死去してしまう。14歳で名古屋市立第3高等小学校を卒業した彼は愛知県の採用試験に合格し、愛知県測候所勤務となった。
やはり絵を描くことが好きだったようで、その頃から油彩画をはじめている。18~19歳の時に鈴木不知研究所にも通っている。20歳で兵役検査を受けるが近眼のため丙種合格とあるから、戦場へ送られることはなかったようだ。カッと見開いた自画像の目は近眼が故なのかもしれない。測候所に勤務する傍らで絵は描き続けていたようだが、発表はしていない。41歳の時、初めて中部美術展に出品した『虫眼鏡を持てる老母』が話題になる。翌年、光風会展に石版画『ジャガイモ』とペン画『自画像』を出品するが、『自画像』は落選となった。
以来、60歳の定年退職するまでどこにも出品していない。80歳代となって再び自画像の製作を始めている。全貌展が企画開催されたのは1998年の刈谷市美術館で、筧忠治氏は90歳となっていた。私が彼の名と作品を知ったのは2000年に一宮市博物館で開かれた展覧会だったが、出かけるチャンスを失くした。
今回の『筧忠治展』を開催している三岸節子記念美術館は、もともと地元の女流画家三岸節子氏の作品を展示している美術館である。節子氏も60歳代にフランスに渡り住み、80代の時にはフランスの田舎の村に家まで買って暮らしている。いみじくも、ほぼ同じ時代に尾張の西部で生まれた2人の画家は、60代70代そして80代いや90代まで、画家として活躍している。しかも晩年になるほど感心する作品を作り出している。
展覧会を観て、人の生き様は気持ちの持ちようだと思った。人は死に向かって生きていると以前に書いたけれど、単に死に向かっているわけではない。どこまでも自分はどう生きていくのかを見出そうとしているのだ。
筧忠治氏は明治41生まれとあるから、私の両親とは同世代である。展覧会の会場には彼の若い頃から40代、そして70代と90代の写真があった。見ると華奢な人だ。自画像に見られるような雄々しい力強さは感じられない。自画像に描いた激しいほどの闘志はいったい何だろう。
展覧会場で売られていた図録を眺めてみた。現在の一宮市で生まれたが、父親の織物事業は好調で、名古屋へ進出を図り、そのため前津尋常高等小学校へ転校している。「父が買ってくれたクレヨンや色鉛筆で、(略)もっぱらひとりで遊んでいたという」。ところが、彼が13歳の時、父親はスペイン風邪にかかり死去してしまう。14歳で名古屋市立第3高等小学校を卒業した彼は愛知県の採用試験に合格し、愛知県測候所勤務となった。
やはり絵を描くことが好きだったようで、その頃から油彩画をはじめている。18~19歳の時に鈴木不知研究所にも通っている。20歳で兵役検査を受けるが近眼のため丙種合格とあるから、戦場へ送られることはなかったようだ。カッと見開いた自画像の目は近眼が故なのかもしれない。測候所に勤務する傍らで絵は描き続けていたようだが、発表はしていない。41歳の時、初めて中部美術展に出品した『虫眼鏡を持てる老母』が話題になる。翌年、光風会展に石版画『ジャガイモ』とペン画『自画像』を出品するが、『自画像』は落選となった。
以来、60歳の定年退職するまでどこにも出品していない。80歳代となって再び自画像の製作を始めている。全貌展が企画開催されたのは1998年の刈谷市美術館で、筧忠治氏は90歳となっていた。私が彼の名と作品を知ったのは2000年に一宮市博物館で開かれた展覧会だったが、出かけるチャンスを失くした。
今回の『筧忠治展』を開催している三岸節子記念美術館は、もともと地元の女流画家三岸節子氏の作品を展示している美術館である。節子氏も60歳代にフランスに渡り住み、80代の時にはフランスの田舎の村に家まで買って暮らしている。いみじくも、ほぼ同じ時代に尾張の西部で生まれた2人の画家は、60代70代そして80代いや90代まで、画家として活躍している。しかも晩年になるほど感心する作品を作り出している。
展覧会を観て、人の生き様は気持ちの持ちようだと思った。人は死に向かって生きていると以前に書いたけれど、単に死に向かっているわけではない。どこまでも自分はどう生きていくのかを見出そうとしているのだ。