友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

季節は秋へ

2009年10月22日 23時00分17秒 | Weblog
 街路樹のケヤキがすっかり黄色くなってきた。茶色に変わっているものもある。柿の実がますます色を濃くしている。我が家の鉢植えの金木犀は今もなお黄色い花をつけている。よく見ると、花の色は黄色から白色に変わり、あの甘い匂いは薄くなってきたが、それでもまだ花は付いている。我が家の金木犀だけが花のもちが良いのかと思ったが、あちこちで見かける金木犀もまだ花をつけている。

 金木犀が香る頃は、空は青く澄み渡り、空がこんなにも広く高いものだったのかと知る。気持ちの良い日差しとさわやかな風は、夏の重苦しさを忘れさせてくれる。ところが花粉症の人にはつらい季節である。今日の私はクシャミやなみだ目に襲われることもないから、いっそう気持ちのよい日になった。鼻をクシュンクシュンさせている人は気の毒だが、アレルギー反応は年齢によっても出たり出なかったりするようだ。

 新型インフルエンザが子どもたちの間で猛威を振るっている。孫娘の中学校もそして我が家の隣の小学校も学年閉鎖が続いていた。それでも、大人なかんずく年寄りの間では感染の話を聞かない。私の友人は「あまり日本人は騒ぎすぎてるんじゃないか。私なんか、毎晩アルコールで消毒しているから、風邪も引いたことがない。アルコールを飲んで、休む、これが健康第一ですよ」と言う。勝手な解釈ではあるが、あまり神経質にならない方がよいという点では正しいと思う。

 人の感じ方というものは随分と違う。会話を聞いているとその人柄が分る。「中日は強いですね」と言えば、「ホントに中日は強いですね」と言う。「青い空ですね」「雲ひつつないですね」「実にきれいですね」「天高く馬肥えるです」と続いていけばよいが、「青い空ですね」「ホントに青い空ですね」。「雲ひとつないですね」「ないですね」。「実にきれいですね」「きれいですね」。「天高く馬肥えるです」「そうですね」。こんな風に前の人が言った言葉をそのままオウム返しに言う人がいる。

 ケンカにはならないが、話しは発展していかない。相手に相槌を打つことで話を合わせているつもりなのだが、傍で聞いているとイライラしてくる。「あなたの意見を挟まないと会話は成り立たないですよ」と言いたくなる。それでも本人は相手の話の腰を折らないようにと気を遣っているのだからやりきれない。自分の意見を言わずにひたすら相手に合わせていることに気が付かないのだ。

 そうかと思うと、すぐに「もうダメだ」「これはデキン」「やってもムダだ」と決め付ける言い方をする人もいる。ダメならどうしてダメなのか、デキンと言う前になぜ出来ないのか、ムダの根拠は何か、説明して欲しいと思う。こんな風に否定的に言われては、やる気を失ってしまう。みんなで仕事する時ならば、これから意気投合して「さあ、やるぞ」という気にさせるにはどう言うべきかを考えて欲しい。

 自分の言葉が相手にどんな風に受け止められるか、これは難しいことだ。思いもよらぬ受け止めもある。人の感じ方はその人の人柄や考え方や仕事などいろんな要素で違ってくる。誠意を尽くすことが一番だろうが、会話しているとそこまで気は回らないことも事実だ。
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