友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

台風の来る前日

2009年10月07日 19時58分12秒 | Weblog
 過去最高クラスの台風が近づいているという。今朝はまだ雨もなく、この分ならNPO「おたすけ」の活動を休止しなくてもよかったのではと思うくらいだった。夕方になっても穏やかな雨降りが続いているだけで、これが嵐の前の静けさなのかと思う。

 脳ドックの検査結果が昨日届いた。私はC判定で、「経過観察を要します」というものだったが、カミさんの方はD判定で、「精密検査または再検査を受けてください」とあった。昨夜、まだ封筒を開けない前に冗談で、「あなたはきっと再検査を要すだよ」などと言ったことが現実になってしまって、とんでもないことを言ってしまったと悔やんだ。

 カミさんは自分から病気を作ってしまうくらいこういうことには弱い。「この頃、忘れ物が多いのもきっとこの脳の異常のせいよ」とか、「頭が痛くなるのも原因はこれね」と、医者並みにどんどん診断を下していく。あのー、忘れ物が多いのは若いから時からですよ、それに頭が痛いとか言う時も眠ればケロリとしていますよ、と言いたいが、「そうかもしれないから、気をつけないとね」とでも言っておかないと、「馬鹿にしている!」と怒り出すのが落ちだ。

 脳に梗塞があろうが、広狭不整があろうが、私は今の生活を変える気持ちにはなれない。これが胃潰瘍の時のように、痛くて痛くてもう殺してくれと願うようなら、その痛みから解放されたくて、生活を変える気にもなったかもしれない。別にどこかに痛みがあるというわけではないから、このままでよいと思ってしまうのだろう。65年も生きてきたのだから、どこかに不具合が生まれるのは自然なことだ。いつかは別れの時が来る。あまり騒がずに、受け入れる準備をしておきたい。

 先日、急に「誕生祝をやるから来ないか」と誘われて、居酒屋に行った。飲んでいると、次々とやってくる客は知り合いばかりだ。私は冗談を言ったり、時には皮肉までも言ったりして、場を持ち上げた。すると友だちが「いや、そんなことが出来る人とは思わなかった。全く新しい面を見た」と言う。真面目でどうしようもないくらいの堅物と思っていたようだ。日頃の私を見て、誠実で決して悪いことはしない人と思われるようだが、私もまた普通の人間でしかない。

 私にもこの人にはどう接すればよいかを見抜く力はあるし、そのために何をすればよいかと実行することも出来る。営業にかかわってきた人間なら当たり前のことだ。私も仕事を進める上で必要なことはやった。ただ必要以上のことはやらないという頑固さも持っていた。そもそも媚を売ることは元来苦手だ。

 外の雨音が激しくなってきた。ノドが痛いと言って耳鼻咽喉科に診察を受けに行っていたカミさんが帰ってきた。「咽頭浮腫だって。このまま放っておいたら窒息死すると言われた」。いつもならグズグズしていて医院にいかない人が、今日は何の躊躇もなく出かけていったことが幸いだった。

 何がどんな風に訪れるのか、やはり神様しかわからない。だからこそ自分らしくありたいと思う。
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