友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

しのぶれど 色に出でにけり

2009年10月16日 22時49分15秒 | Weblog
 午前中のガン検診、幾人かの知り合いに出会い、近況を報告する。「選挙は出ないのか」と言われるが、私ははっきり「出ない」と答えるようにしている。本当に私に期待して言ってくださる人もいれば探りで聞いてくる人もいるので、含みを持たせるような言い方をすると、どこからどんな風にウワサされるか分らないので、絶対に出ない意志を伝えている。残念がってくれる人もいるが、大方は納得してくれる。

 ガン検診の後は短歌教室だった。80歳近い(?)私たちの先生はちょっと耳が遠いのか、あるいはお歳のために小さな声しか出ないのか、ブツブツと言われるけれども意味不明な時が多い。なかなか波乱万丈の人生を歩まれた方のようなので、私としてはぜひ自叙伝を書かれると面白いのにと思っている。

 さて、本日提出した歌は次の4首である。
1)アメリカのオバマにノーベル平和賞 核なき世界へ一歩進むか
2)軍備など要らぬと言えば 平和ボケ理想主義だと罵られたり
3)軍備なき国はあらぬと言ひけるが 軍備で平和気築くことなし
4)戦より降伏するは弱にあらず 多くの民を救う道なり

 オバマ大統領にノーベル平和賞が贈られると決まった日に作ってみたけれど、確かに先生に指摘されたように観念が先に立つ歌になっていて、面白みが無い。まあ、私としてはこんな歌も作れますというアピールのつもりであったけれど、やはり今ひとつ足りない気がする。軍備は必要と考える先生に「こういう考え方もあるが」と一掃されてしまった。4)は「弱」を「じゃ」と読ませないと字余りになってしまうので、「国の民 救う道なり 降伏は 戦するより 勇気要るかも」とした方がよいかもしれないが、なぜか迫力が無くなるように思う。

 私としては、短歌は理屈を述べるよりも感情表現の方が適しているように思う。
私の好きな歌に「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問うまで」(平兼盛)があるけれど、昔の人はこの31文字の中によくまあうまく自分の気持ちを込めたものだと思う。短歌は恋の思いを伝えるのは最適な道具ではないだろうか。「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも うらみざらまし」(中納言朝忠)や坊さんが作った歌にしてはなまめかしい歌に「いま来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな」(素性法師)などは大人の恋を物語る。

 私が昔、新聞広告のコマーシャルのために作った恋の歌は読み返してみると自分でも幼いと思う。
1)青空に 白き雲浮び 佳人の庭 俯いて咲く 百合数本あり
2)花火見る ノースリーブの 白い背に 音に紛れて 口づけする
3)会いたいと 思いながらに 会えぬ日々 愛しさつのり 苛立ち多し
4)何してる 問うことも出来ず 町並みの かなた向こうの 空を見ている
コメント
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