友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

みずほ銀行の失態

2013年10月10日 21時18分05秒 | Weblog

 みずほ銀行が暴力団組員に融資をしていたことで、連日、頭取ら役員が頭を下げている。初めは「法令担当の役員止まりだったので、問題については把握していない」と謝罪し、担当役員に聞き取り調査をしたのかと質問されると、「これから行なう」と答えていた。ところが昨日は、「経営トップにも報告されていた」と訂正し、これが大手銀行の経営者なのかと驚いた。『半沢直樹』ドラマのようなことが、本当に起きている。暴力団組合員に融資をしたことよりも、問題が生まれた時の対応が隠蔽体質そのものでいかにも不誠実だ。企業というものは結局そうなのだと結論付けるに充分な事件である。

 暴力団だから、オウム真理教だから、という直線的な捉え方で本当にいいのかと私は思う。悪い奴はみんなで懲らしめたらいいのだと言う。悪い奴ってなぜ言えるのか、懲らしめるってどうすることなのか、問い直さなくてもいいのだろうか。子ども向けの絵本に『なぜ戦争はよくないか』(アリス・ウォーカー文 ステファーノ・ヴィタール絵 偕成社)がある。内容はかなり抽象的だが、説得力がある。アメリカ人の中にもこういう考えの人がいることを知ると、あの広大な野原が優しく思えてくる。

 「人を殺してはいけません」と誰でも言うし、これを否定する人はいない。じゃあー、「なぜ人を殺してはいけないの?」と質問されたら、キチンと答えられるだろうか。いや本当は、何が何でも答えられるようにしておかなくてはならないのだ。直線的に「ダメ」と考えるのではなく、自分なりにキチンとした答えを出せるようにしておくことが必要だ。「テロは許されない行為」であるが、なぜテロが起きるのか、テロに走る人たちの言い分も聞き、その上でテロのない社会を作り出さなければならない、これが人間社会の生き方だろう。

 みずほ銀行の役員さんたちは、なぜダメなのかと考えたことがなかったのだ。漠然と、ダメだろうとしか思っていなかったから、いざ自分に火の粉が降り注いでくると、自己保身のための言い訳ばかりになってしまう。半沢直樹ではないが、「銀行とは」という信念が彼らにはなかった。おそらく何でもそうだろう。自分がやっていることに対する信念がなければいい仕事など出来ない。

コメント
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