唐桑半島は気仙沼を包むように北から南へせり出している。途中にある巨釜を見る。太平洋の荒波に削られて、岩が大きな釜のように見える。駐車場で売店の若い人が掃除をしていた。昨日の台風で枝が折れ、倒れた樹木もあり、その後始末に追われていると言う。実は民宿のカミさんが「“来ない方がいい”と言うので、どんな人なのか会いに来た」と話すと、「昨日の台風は凄まじく、来ないのは正解だった」と言う。
民宿はすぐに見つかった。「おはようございます。昨日予約していた者です」とちょっと皮肉を込めて挨拶する。「よく来なさったね。まあお茶でも飲んでゆっくりしていって」とカミさんは私たちの到来を喜んでくれた。結局、コーヒーをいただき、梨まで剝いてくれて、昨日の台風の凄まじさや震災の時の津波の様子などを話してくれた。「住居は山の上に造り、港の店や仕事場はバラックでもいいのよ」とカミさんは言う。これから三陸海岸を北上すると話すと、「じっくり見て行きなさい」と言ってくれる。
カミさんの言葉通り、港町はどこも全て壊滅状態で、復興作業は各地で行なわれているものの、元のような町になるにはまだまだ時間がかかるだろうと思われた。次は1本松で有名になった陸前高田市で、ここは気仙沼よりも湾が広い。その湾の中央に1本松は立っていて、観光客が絶えない。観光バスや見物に来る人たちが駐車できる場所もあり、大変な賑わいだ。1本松の周りは津波で全て無くなっていて、建設用のトラックやシャベルカーが忙しく動き回っている。大きな下水処理場が建設されていたが、どうしてこんな施設が必要なのかと思う。
また、これもビックリするような大きな橋げたのようなものが2本立っている。工事関係者の人に、「あれは何ですか?」と尋ねると、「向こうの山から土を運ぶのに、ダンプでは間に合わないので、ベルトコンベアで運ぶためのものです」と教えてくれる。山を削り、湾を埋め立てて、新しい町を造るようだ。三陸海岸の被災地は復興途中だけれど、海岸から少し山側には高速道路かと思うような立派な自動車道が出来ていた。
陸前高田から大船渡へ、そして釜石へと向かい、ここで昼食を取る。釜石で被災された店の人たちの屋台村を探す。たまたま入った店の主人は初めは愛想なしだったが、これから三陸海岸を北上して小本まで行くと話すと、わざわざ板場から出て来て、どこをどう回れと教えてくれる。津波がいかにこの地方の人々の生活を破壊したか、熱く熱く語ってくれた。昨夜の居酒屋のお兄さんも、釜石の海鮮丼屋のお父さんも、津波のことになるととっても熱い。