井戸掘りを日曜日から新しく初めた。火曜日は雨が降ってきたので午前中で、そして今日は朝から午後3時まで行なった。かなりの肉体労働で疲れた。初日に3メートル50センチ、2日目は1メートル、今日も1メートルほど掘れた。なかなか進まないのは、土質が2メートルくらいから下はドロ状態で、掘っても掘ってもすぐにドロで埋まってしまうためだ。水はあるけれど、こんなドロ水ではと気に入らない。既に5メートル50センチ掘っていて、水面は1メートル50センチのところにあるから、水深は4メートルあるはずだ。しかしその半分はドロで埋まっている。さて、ここからどうするかと思案している。
最近は思案することが多い。NPO法人「おたすけ」も高齢化で、果たしていつまで続けることが出来るかと心配になる。井戸掘りは肉体労働だから、高齢者は少し働いただけでもう息が切れる。腕が痛い、腰が痛いと、情けない。それでも、ポンプから水が出る瞬間を見ると、嬉しくなってしまい、さあ、もう一度頑張るぞとなってしまうから不思議だ。
不思議と言えば、今日は尾崎紅葉の命日というので、代表作『金色夜叉』が話題になったが、小説を読んだことがない人でも、「来年の今月今夜、僕の涙で必ずこの月を曇らせてみせる」という貫一のセリフは知っている。先輩に理由を聞くと、「多分、小説を読んだことがなくても、歌を知っているし、映画になったからではないか」と言う。そう言われてみると、私も小説は読んでいないが、貫一のセリフも、「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り」という歌は知っている。
高校時代に、文学部にいた友だちが『金色夜叉の歌』『籠の鳥』『枯れススキ』などをよく歌っていた。いずれも書生歌とか言われるもので、悲哀を強調している。金の無い学生よりも金持ちのダンナの方が結婚するならいいに決まっている。「金権主義」などという批判もあるそうだが、先輩に言わせれば、「金がなくても幸せというのは幻想でしかない」。確かに、金があるに越したことはないけれど、みずほ銀行の頭取が年俸1億6千万円というのには驚いた。そんなに受け取って何に使うのだろう。金持ちはきっとその使い道を知っているのだろう。それとも何か思案しているのだろうか。