いくら長い会議でも90分以内で終わらせて欲しい。2時間、3時間とかかるような会議は時間の無駄遣いで結局何も実らない。時間を充分かけることと、中身の濃い議論とは違うと思う。いつだったか、教育委員会を傍聴したことがあったけれど、わが町だからなのかも知れないが、議論は何もなく多くが伝達事項だった。教育委員は5人いるけれど、委員長が司会役を務め、行政の担当者が報告し、ほとんど全ての発言を教育長が行い、他の3人からの発言はなかった。
今、いろんな意味で教育委員会のあり方が問題視されている。大阪市の橋下市長の意向を受けた大阪市教育委員会のように、「君が代」を歌っているか、口の開け方までチェックするように各学校長に通達しているところまである。一部の市民や議員の主張を受けて、学校図書室に置かれていた漫画『はだしのゲン』を、子どもたちの目に見えないところに置くように学校長にお願いした教育長がいたり、教育長が決まらない自治体があったりしている。
私の中学・高校からの友だちの女性は教育委員を務めたが、「委員長になるまでは何も出来なかった」と言っていた。教育の根本は国が定めるけれど、各自治体の教育行政は、建前としては首長からも独立している。自治体によって「あいさつ運動」に力を入れているところや、スポーツに力を入れていたり、読書に力を入れているところがある。国の方針に逆らわなければ、自治体独自の取り組みはむしろ奨励されている。教育の独自性は、自治体や学校間でもあっていいと私は思うけれど、そうなると現場の先生方の負担はさらに大きくなってしまうのが心配だ。
9月25日に愛知県一宮市の名古屋地裁一宮支部で、一宮市立中学校で同級生からイジメを受けたことを認める判決があった。6年間に及ぶ裁判をやり抜いた原告女性の気持ちを思うとやりきれなくなる。奇妙に思ったのは、判決に対する一宮市教育委員会の記者会見だった。教育長や教育委員会の委員長が出席せずに、顧問弁護士と学校教育課長が意見を述べていた。顧問弁護士はともかく、6年前の教育行政の責任者でもない課長がなぜなのかと不思議だった。
教育の独立性・独自性を大事にするなら、教育委員会が責任を持って記者会見すべきだろう。形式ばかりの教育委員会になっていることの表れだと思う。