友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

忘れるから生きていける

2013年10月08日 18時31分26秒 | Weblog

 「あの時、オレはどうして振られたの?」と、男が女に聞いていた。「何のこと?」。「みんなで入鹿池へ行った時、一緒にボートに乗ったじゃーないか。付き合ってくれって言ったのに」。「エッ、全然覚えてない」。男は40年も前のことをまだ覚えているのに、女はそんなことは知らないと言う。何十年ぶりかのクラス会ではよくある話だ。物知りが言う。「女は忘れるから生きていける」と。

 そうかも知れないが、のぼせた方はいつまでも覚えているのに、言い寄られた方はなぜ記憶にないのだろう。カミさんは孫娘に、「ママちゃんは恋愛したことがなかったねぇ」などと言う。傍にいる私は立つ瀬がない。あれはいったい何だったのだろうと考えてしまう。とはいえ、過ぎ去った昔のこと、女性が忘れるから生きていけるのなら、私も女性を見習おう。明日に、近い先に、きっと良いことがあるだろう、そう思って生きていく方がいい。

 2次会で男の子たちと話していた時、「今日は誰一人、病気のことや孫のことを話さなかったね」と言われ、自分の中学の時のクラス会を思い出した。私たちは40年ぶりの再会ではないからか、病気の話や孫の話が出ていたように思う。だいたい私たちのような年齢の者が集まると、自然に病気の話や孫の話になるから不思議だ。中学・高校からの友だちが「そんな昔の話ばかりして、何が面白い」と皮肉ったことがあったけれど、老人になると昔の話か病気や孫の話になるものらしい。

 明治維新でもロシア革命でも、現在のシリアやエジプトや中国などでも、歴史を大きく転換してきたのはみんな若者だ。少なくとも60歳過ぎの老人が先頭に立つような事件はなかった。世界の政治家と言われる人たちも、今ではもうすっかり年下である。昨日と今日の2日間、私は大和塾の案内を送るために時間を使った。パソコンでラベル印刷して封書に貼り付け、案内文を封書に入れ糊付けして、市内と市外に分けて郵便局へ運ぶ。以前は孫娘が、「こういう単純作業は好き」と言って、手伝ってくれた。

 その時は何も思わなかったけれど、黙々とやっていると、こういうことって好きなのかも知れないと思った。庭で鉢の土を入れ換えることや、今は描いていないが、絵筆を握る作業もよく似ている。何も考えずにただひたすら、キレイに仕上げることだけを目指す。こういう生き方でいいように思う。

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