雨降りの天気予報だったけれど、曇り空ながら明るくなっている。昭和49年卒業の子どもたち、そういっても57歳のおじさんとおばさんたちだが、「クラス会を行なうので来て欲しい」と連絡をもらった。今日は、彼らの高校の体育祭で、その体育祭を見てから会場へ集まろうという計画のようだ。高校は伝統校で、バンカラを売りにしていた。私は教師になってしばらくした時、突如校舎の屋上から応援団の叫び声を聞いてビックリした。
屋上へ出てみると、3年生が1・2年生を整列させてしごいていた。声の小さな生徒には愛のムチが飛ぶ。まるで軍隊の練習のようで嫌だった。生徒の中には、この習慣を変えようとする者もいたけれど、3年生になる頃には伝統に酔いしれるようになっていた。お昼時間を使ってたっぷりと行なわれる応援練習のため、昼食が食べられなくて早弁をする者や午後の授業中に食べている者もいた。伝統校の大切な伝統行事ということで、応援練習は生徒たちの自主性に任せられていた。
今日、クラス会を開く生徒たちは入学した当初から流行の長髪で、とてもバンカラスタイルではなかったけれど、卒業して40年経ても、体育祭を見てからのクラス会をするのは、やはり体育祭は特別な思いがあるのだろう。運動場に各教科がマスコットの人形を建てて競うことも大きな思い出になっている。私はまだ若い教師だったので、生徒に混じってマスコット作りを手伝ったり、体育祭では教科対抗の教師のリレーを走ったり、生徒と一緒に楽しんでいた。
体育祭が終わると、彼らは「打ち上げ」と称してどこかでたむろしていたようだ。生活指導部に見つからないようにやって欲しいと願っていたが、私の教科の生徒ではないけれど、お好み焼き屋で酒を飲んでいたことで生徒指導部から処分を受けた生徒もいた。先生の方もかなり大目に見る人が多かったように思う。飲酒や喫煙は一時的な行為で、目に余る時はきつく罰せられたけれど、知らない振りをされているケースもあった。さて、もう行かなくてはならない。クラス会のことは明日のブログとしよう。