首長選挙に出る前の夏祭り、出馬の意向を知った女性コーラスの人たちから、「皆さんの前で歌えば印象に残るわよ」と舞台に引っ張り出されたことがある。「歌える曲は?」と聞かれて、グレープの『無縁坂』と答えた。「ダメよ。そんな暗い歌では盛り上がらない」と否定され、「私たちが一緒に歌うから」というので、赤い鳥の『翼をください』を歌うことになった。
『無縁坂』は好きな曲で、この歌を歌うと母のことが浮かんでくる。「後だけは見ちゃーだめと」「運がいいとか悪いとか 人は時々口にするけど そういうことって 確かにあると あなたを見てて そう思う」。そんな歌詞が母の人生のような気がしていた。今年、70歳になって、それは母だけでなく、人生はみんな同じだと思うようになった。
最近の歌で、すぎもとまさとさんの『吾亦紅』も胸にジーンと来るものがある。母親というのは子どもにとってはいくつになっても母親なのだと思う。私の母は大きな声で笑う人だったから、人前で笑うと恥ずかしかった。感情を表すことを抑えるタイプではなく、落語を聴いて泣き、馬鹿な漫才で笑い、ラジオの高校野球を興奮して応援していた。一生を父のために尽くして終えてしまった。
吾亦紅は子どもの頃、原っぱや土手などで、夏の終りから秋にかけて見かけた。細い枝の先に小さな赤い楕円形の花が咲いた時に気が付くが、美しいとは言えない花である。なぜ、題名にこの花の名前をつけたのだろう。歌はとても哀愁があり、聞いているだけで悲しくなってくる。けれど、よく聞くと何を歌っているのだろうと考えてしまう。「あたなに あなたに 謝りたくて」と、子どもなら誰もが母の前で思うだろう。
「あなたの 形見の言葉 守れた試しさえ ないけれど」と私も思う。母はいつも「男はジェントルマンになるんだよ」と言っていた。私も母の言いつけを守れたとは思えないので、墓前では「ごめんなさい」と謝るしかない。『吾亦紅』では、「来月 俺 離婚するんだよ」と墓前で報告しているから、いったい何を歌っているのか分からなくなる。まあ、歌詞はどうでもいいか、中年男の母への詫び状はいつもこんな風に支離滅裂なのだろう。