友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

命をかけるもの

2014年10月07日 18時02分10秒 | Weblog

 過激派武装集団「イスラム国」に参加し、「戦闘員として働くつもりだった」と大学生は語ったという。昨日のニュースでは、大学生はトルコ経由でシリアへ渡る計画で、出国直前に捕えられた。「旅行だ」と言い逃れをせずに、「戦闘員になる」と言うので、そのため刑法93条の「私戦予備・陰謀の罪」となったようだ。それにしても、「戦闘員として戦う」のではなく、「働く」というところに大学生の認識の甘さが出ている。

 北海道大学の学生というけれど休学中で年齢は26歳、しかも東京でイスラム教の信者になったとあるから、屈折した何かがあったのだろう。精神科医の香山リカさんが中日新聞のインタビューに、「早晩こういう人が出てくるかなと思った。学生運動やオウム真理教に参加した学生と根っこは同じかもしれない」と答えていた。「家庭の経済力やコネといった自分の努力以外で物事が決まる現実に、真面目な人ほど欺瞞と失望を感じ、極端な主張にひかれやすい」という分析にはなるほどと思うが、学生運動とオウム真理教は似たところもあるが違うと感じた。

 70年代の学生たちによる乱闘以後、学生運動は失速した。ストライキを行なう組合もなくなった。暴れるだけでは世の中は変わらないという空気が支配的になった。世の中が変わらなくても自らを変えることで救いを得ようとしたのがオウム真理教だと思うが、仏教の悟りの目的でもある。大学生がどんな理由からイスラム教にひかれたのか分からないが、戦闘集団の「イスラム国」に加わることの意味が分かっているのかと思えてしまう。

 「あなただって、福島原発の事故を止められるなら自分の命を捨ててもいいとブログに書いてたじゃーないの?」とカミさんは冷やかすが、自分の命で大勢の人が救われることと、自分の命で大勢の人を殺すことでは全く違う。人を殺して作られる理想社会などあり得ない。イスラム過激派を自由社会の敵とみなして抹殺するアメリカやフランスも間違っている。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイによる福音書26・52)と言うキリストが正しい。

コメント
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