友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ノーベル物理学賞の3人

2014年10月11日 11時13分48秒 | Weblog

 ノーベル物理学賞が3人の日本人に贈られることになり、その人柄について毎日報道されている。85歳の赤碕勇さんの受賞を称えたつもりの学生が、「生きていて本当によかった」と言ったが、この報道はそれっきり1度も出てこない。長生きされたからノーベル賞の栄誉を受けられたとはいえ、それはあからさま過ぎるし、業績への評価ではない。記者会見をテレビで見たが、とても85歳とは思えなかった。それにとても謙虚な方という印象を受けた。

 発光ダイオードなるものがどのようなものか、私は全く知らないが、20世紀中は無理だろうと言われていたのに、赤碕さんは作り出すまでやり続けたという。企業は利益が出そうにないものに投資を続けることは出来ないが、大学では研究者の熱意があれば出来るようだ。発見や発明が偶然から生まれることはよくあるようで、青色ダイオードの元となった化学物質もたまたま電気炉の温度が上がらなくて、いわば失敗のはずの環境が逆に成功させたという。しかし、考えてみれば何千回も失敗を繰り返してきたから辿り着けたといえる。

 結晶を作り出すことに成功したのは赤崎さんの弟子の天野さんだが、彼は「私が受賞していいのでしょうか」と赤碕さんに問うている。これに対して赤崎さんは「一緒に受賞できて本当にうれしい」と答えていた。師弟の信頼関係というか、愛情の深さを感じた。もうひとりの中村さんは「発明のエネルギーは怒りです」と話していたが、この人も随分と率直な物言いをする人だ。研究のためには何が必要で、それを活かすためには何をする必要がある、そのためには妥協をしないという強さを持っている。

 偶然と失敗の連続なら、おそらく誰もが経験してきたことだけれど、凡人の私は偶然の出会いも痛烈な失敗も気が付かない。気が付かないから平気で生きていられるけれど、何も学ばないから成功することもなければ大きな前進もない。むしろ、何事もなくてよかったと安堵している。世紀の大発見をするような人は極稀で、多くの人が平々凡々と生きている。いや、普通に生きている人が大勢いるから非凡な人が先端を切り開いていけるのだと勝手に解釈している。

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