少々ガッカリしている。巻き込まれたくないという気持ちは誰にでもあるが、踏ん張るところは踏ん張って欲しかった。わが市では毎年、男女共同参画事業として『フェスティバル』を行なっている。大和塾にも参加要請があり、昨年から事業実行委員会のメンバーになった。昨年は当市出身で80歳を過ぎていながら、アフリカのタンザニアの子どもたちの学校建設に取り組んでいる女性を招いて、その生き様を語ってもらった。
今年のフェステバルについて実行委員から、「映画と講演がセットにいい」と要望があったので、優れた国際報道を称える「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」を受賞した映画『ファルージャ』の上映と中部大学の卒業生の監督、伊藤めぐみさんとのトークを提案した。ところが映画には劣化ウランによる奇形児の目を覆いたくなる悲惨な場面が出てくるというので、皆さんで見てもらってから決めることになった。
委員長は「どんなによい映画であっても、批判する人はいる。それを覚悟でやれるかどうかです」と言う。的を射た言葉だと思う。けれど、批判が出たらどうしようという空気が強くなった。すると実行委員会の席に始めて来た女性が役場の職員に「映画の中身について、上層部は承知しているのか?」と問うた。担当者は「市長は実行委員会で決めていただければいいと言っているが、紛糾するようなものは困ると部長クラスは思っている」と答えた。
彼女はいつも「役所は身の安全ばかり考えている」と言っていたが、それは「変えていきたい」という気持ちよりも、役所の保守性に気を使わないといけないということだった。イラク人質事件を追ったこの映画は、これまでの「楽しく遊びましょう」という路線とは違う。でも、いったい何をめざす男女共同参画社会なのだろう。人が人として認められる社会こそが男女共同参画がめざすものではないのだろうか。
実行委員会は全員が納得して行なうべきだと私は思うので、ひとりでも映画をメインにすることに疑問があると言うならやめた方がいい。役所の上層部が認めるものしかやらないなら、それは市民の自治ではなく、単なる行政の下請けでしかない。そんな実行委員会は存在する価値がないし、私は参加したくない。市民自らが自主規制してしまう姿を見てガッカリしてしまった。