先日、首長になった友人と話した時、「団塊の世代以降の職員は公務員になることが激戦になったこともあって優秀な人材が多い」と彼は話した。「事業仕分けについても、どうしてやるのかと反発していたが、納得してくれてからは率先して頑張っている」と言う。私の知る古いタイプの職員は若手が新しい提案をすると、「もし、失敗したらお前は責任を取れるのか」と言い、結局何もしない体質が膨らんでいった。こういう古いタイプの職員は税金を使い切ることが自治体の使命のように思っている。自治体が住民にサービスする機関だと思っていないのだ。
自治体というのは不思議なところで、議会が最高の決定機関なのに議員にはその自覚がない。行政が住民のために働いているか、点検する知識も能力もないような議員が多い。そのくせ議員のバッジを見せ付けてエゴ的な要求はする。首長もうるさい議員とうまくやることに奔走する。市町村単位ではそんなに大きな利権が絡むことはないけれど、県事業となれば予算規模は大きくなる。市町村でも古い議員には予算に絡むことが得意な人もいる。首長が独自の政策を実行するためには、議員を説得しなければならないし、実際に動いてくれる職員を得なければならないが、まず一番の後ろ盾は市民の支持を得ていることだ。
確かに地方自治のあり方も変わってきた。地方の首長に突出した人材が多くなってきたことがその原因だろう。国のこととなると「ようわからん」と言う人でも、地域のこと自治体のことになれば、それなりに意見がある。どんなイベントにするのか、どんな建物にするのか、どんな使い方にするのか、それぞれに意見がある。「住民の意見を聞いていたらまとまらなくなる」と古いタイプの職員は言うが、無理にまとめる必要はない。根負けするまで意見を出し合えばいい。住民は大方が損得で考える。地域エゴが優先される。けれど、本当にそれでよいのか、何度も意見を出し合わなければ納得のいく妥協点に辿り着けない。
若い自治体の職員が古いタイプになる前に、若い住民が古いタイプの住民に染まっていく前に、新しい自治の形が生まれてくることを期待している。