友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

最後にしたいことは?

2014年10月10日 17時59分54秒 | Weblog

 「ガン保険の契約内容をちゃんと見ておいて」とカミさんが言う。「ガンにはならないから」と答えると、「そんなこと言ってる歳じゃーないわよ」と叱られた。いつ、どのような形で逝くか分からない。それは充分承知しているつもりだ。ストレスは万病の元だが、ストレスのない人生などあり得ない。大和塾が10周年を迎えるまでは生きていなければならない。これはストレスだが目標でもある。そう考えるとあと2年が、まだなのか、もうなのか、そんなところだ。

 朝は遅くまで寝ていて、昼ご飯の後にまた寝て、夜も結構早くから寝ている。コーヒーは毎日欠かさず飲み、夜はお酒を毎晩飲み、美味しいものを食べ、医者が「運動しなさいよ」と言ってくれるのに、「はい」と言いながら全く運動しないで、「太らないから大丈夫だろう」と勝手に解釈している。時々は井戸掘りに出かけ、時々はルーフバルコニーで植木鉢の世話をする。こんな日々を送っているのに、「ストレスでガンになりました」とは言えないし、ガンになることもないだろうと思い込んでいる。

 「人生の目的は何ですか?」。先日、いただいたある宗教団体の小冊子の表題である。冊子は「西洋でも東洋でも、生きる目的は富を得ることだと考えている人は少なくありません。そのような人は、富を得れば幸福で有意義な人生が送れると思っています」と説き、宇宙を創造し人間を生み出した設計者(神)に尋ねるべきだと展開していく。「幸せになること」を否定する、人も宗教も政治もない。でも、考えてみると「幸せ」を何かと説明することはできない。人によって受け止めるものが全く違うからだ。

 「なりたいもの(職業)は何ですか?」と問われれば答えられる人は大勢いる。けれど、なれたから幸せかと言えばイコールではない。それに職業だって、たまたま就くことになった人が圧倒的だろう。自分が何に適しているのか、そんなことは一生かかっても分からないことかも知れない。人生はあいまいなものだ。与えられた場、あるいは勝ち取った場なのかも知れないが、とにかくそこで努力する以外ない。人間はそんな風に定められている。

 「まだ、何かしたいことは?」と聞かれても、いったい何がしたかったのだろうと考えてしまう。やり残したと悔やむようなものは何もない。「最後にしたいことは?」。うーん、それは秘密。人に話せば笑われてしまうから。

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