友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

上に立つ者のつとめ

2014年10月15日 16時30分30秒 | Weblog

 金木犀がまた花を咲かせている。9月の下旬に1度咲いたから、これで2度目である。我が家の金木犀だけが狂い咲きかと思ったが、街中でも咲いているのを見かけた。金木犀の2度咲きは今年初めての経験だ。世の中には思いもよらないことが起きるものだ。思いもよらぬものではないが、世代の違いというか、年齢の差というか、人の気持ちはなかなか伝わらないことがある。

 私たちはどうしても自分がやって来たことが正しいと思ってしまう。「見て覚えろ」とか、「分からなかったら自分で勉強しろ」とか、「上司や先輩に対する言葉使いがなっていない」とか、「昔はこんなに優しい上司や先輩はいなかった。耐えて、我慢して、学んできた」とか、「何のために働いているのか」とか、ついつい見下した言い方をしてしまう。「最近の若いやつは」とは、紀元前2千年も前のローマの遺跡の壁に彫られていたというから、どんなに時代が変わっても変わらないものの1つなのかも知れない。

 かつて学生運動でデモなどしたり、組合運動で管理職をつるし上げていた人が、今は人を管理する立場にいるケースも少なくない。仕事を間違ったりする部下に注意をすればパワハラと言わる。直接聞きに来てくれれば教えることも出来るのに、周りの人に上司の悪口を告げつつ聞いて回るから、「分からない点を他の人には聞かなくていい。直接聞きに来なさい」と注意したら、「私の話す権利まで奪うのですか」と開き直られ、頭に来たと言う。「今の若い子は、権利意識は高いけれど、まともに仕事ができない」と管理職になった長女も嘆いていた。

 若い人たちからすれば、「ヒントもくれずに考えろはムリ」だろうし、「分からないところや間違えたところをなぜ丁寧に教えてくれないのか」と不満が先に立つ。私はやはり順送りだなあと思うけれど、現場に立つ人はそんな悠長なことは言っておれない。それでも、選ばれれば権力を持つことになる。上司になれば部下を使う立場になる。そう考えると上に立つ者がどれほどの人物かで、本当に民主的か否かとなるようだ。若い世代がどのような価値観を持ち、どんな社会をめざすのか、それを作り上げていく過程でどんなやり取りが生まれるのか、一線を離れた私としては見ているしかないが‥。

コメント
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