友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

騒がず、文句も言わず

2015年06月20日 17時54分18秒 | Weblog

 日本らしい社会の仕組みだ。昨夜の夏祭りの会場抽選会で、実行委員会からなぜ酒類を販売禁止としたのか、当然説明があるものだと思っていた。しかし、決定したことについて細かく説明する習慣はこの国にはないようだ。担当の若い女性市職員が司会を務め、屋台部会長があいさつしたけれど、「今年は酒類の販売が出来ませんので、しっかりと守っていただきます。祭りは皆さんの協力がなければ出来ません。よろしくお願いします」と言うだけだ。

 その後すぐに場所取りの抽選に入る。顔見知りの何人かが、「どうして販売できないの?」と私に聞いてくる。「議員さんから圧力があったらしいね」と言って来る人もいる。会場内でいろんな声が出ている。すると、実行委員会の人が「ブースの中で酒を飲むことも禁止です。酒を飲む人はブースから出て、飲んでいただきます」とマイクで言い放つ。「えっ、ブースの中で飲めないの?」「夏祭りの会場ではみんな飲んでいるのに、何で飲めないの?」と不満の声も出る。

 屋台で酒類を売ってはならないというのは、何のためなのだろう。夏祭りからアルコールを締め出すのであれば、会場全体を禁酒にすればいいのに、「近くにコンビニもありますから、欲しい人はそこで買えますと説明してください」と言うのはどういうことなのだろう。個々の人が酒を持ち込むのは構わないが、屋台が売るのはダメというのは責任を回避したいとしか見えない。

 「売るのがダメなら、タダで渡すか」と皮肉を込めた冗談を言う人もいたが、会場から質問する人も、意見を言う人もいなかった。私はとても日本人らしい光景を見た気がした。何人かの顔見知りはいるけれど、個々で文句を口にするが横の結束で事態を変えようとするほどの連帯はない。意見を言って孤立してしまうことが恐い。大きなものには巻かれろ。異議を申し立てて、会場が紛糾し、収拾がつかなくなって時間が遅くなれば、問題の本質よりも「腹へったのに」ということになってしまう。

 何やら実行委員会の人と話す人もいたけれど、全体としては「会場の割り当ても決まったから早く終ろう」という雰囲気だった。生きていく上で、民主主義なんてどうでもいいものかも知れない。血が騒ぐのを抑えて、私は沈黙を守る。

コメント
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