松坂屋美術館で行なわれている『円空・木喰展』を観て来た。この辺りでは、円空はよく知られているが木喰は知らない人が多い。ともに江戸時代、仏像を彫って各地を旅した。円空は江戸の初期、木喰は後期に活躍したが、ふたりの間は百年ほど隔たりがある。仏像を彫るようになったのも、円空は32歳、木喰は61歳、ふたりとも掘った仏像の数が桁違いに多い。
「木を彫る人だから、木喰というの?」と聞かれ、ちょっと考えてしまった。木喰が描いた絵にも「木喰」の名があったから、それで通していたのだろう。仏像を彫りながら諸国を転々としたというから、一宿一飯の礼のようなものだったのかも知れない。円空も木喰も、仏像を彫った人として私たちは理解しているけれど、ふたりは共に木食僧と言われている。
木食僧とは肉や魚を食べない修行僧のこと。仏の道を求めて修行するが、ただの修行ではなく仏像を彫って地域に残していった。円空の仏像は丸太を削っていくというより、木端に顔を掘ったような簡単なものが多い。鉈一本で作ったと言われるように荒削りだが、顔をよく見ると彫刻刀で細かく細工してある。丸太ではなく木の端を材料にしているので仏像に厚みはない。
木喰の仏像は丸太をノミで彫り、各部も細かく、仕上がりも丁寧である。制作日数を考えると円空仏よりも長くかかるだろう。仏像によっては色彩が施されたものがある。京都の仏師から仏像を購入するほどの財力がなかった地方の村々にとっては、「とてもありがたい仏様」であったと思う。だからこそ、大事に今日まで保存されてきたのだろう。
この『円空・木喰展』は誰の企画なのだろう、そう思って置いてあった本を見て「オャッ!」と思った。「監修・小島梯次」とある。北名古屋市の円空研究家の小島さんだ。私が地域新聞を作っていた時の1990年の1月、「円空仏を探して」と題した記事を書いてもらった人だ。娘さんから、「うちの父は円空の研究者」と聞いたことがお会いするきっかけだった。本当にお世話になりました。
明日は小学校のクラス会です。ブログは休みます。