友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

運命は神様が決める

2015年06月28日 18時18分39秒 | Weblog

 朝から強い風が吹いている。ルーフバルコニーのサルビアや日日草が悲鳴を上げているのに、どうすることもできない。大きくなるまではと思い、南のバルコニーに移動しておいたオクラは直接風を受けずに助かった。オクラの花は芙蓉の花に似ているし、実もまた夏野菜の中ではよく食べる。心配なのはルーフバルコニーの角に置いたミカンの木にいるアゲハチョウの幼虫だ。木曜日の朝、5匹いたのを確認したけれど、その後の長雨と強風の中、大丈夫だろうか。

 昨夜はなぜか、小学校のクラス会のことが思い出され、卒業アルバムを引っ張り出して眺めていた。小学校に上がる前の幼稚園の時、近所に若くてキレイなお母さんの子がいた。色の白いポッチャとした男の子で、お母さんは「お友だちになってね」と私を家に招いてくれた。我が家とは全く違う匂いの華やか部屋だった。小学校6年も同じクラスだった。中学も同じ学校だった。色白でポチャとしたまま、おとなしくて目立たない存在だった。

 私は故郷を離れてしまったが、ある時新聞に「組抗争で銃殺される」とあった。幼稚園の時、普通の家とは違うとは思ったけれど、彼はヤクザの家に生まれ、跡目を継ぐように定められていたのだ。あんなにおとなしい感じだったのに、運命は容赦なかった。小学校5年のストライキ事件の後、私が性格を変えようとしていた時、その手助けとなってくれた男の子がいた。既に亡くなっていたが、長い間開かれなかったクラス会を呼びかけてくれたのは彼だと知った。成人して、一度くらい会いたかったのに残念だ。

 人にはそれぞれ運命がある。知り合いのイスラム教徒も「運命は神様が決める。私たちは生きている限りしっかり生きる」と言っていた。人の出会いも、去っていくのも、定めでしかない。今朝、大和塾のことで若い女性と話し合った。彼女はプロレスが好きだと言う。ボードゲームに嵌まっているとも言う。孫のような年齢だから、無理もない。「ラベル印刷ができないと言ってみえましたよね」と言い、スマホを片手に「原因は‥」とパソコンに向かい、「これで印刷できると思います」と言う。若い人は違う。

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