友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

困ったものだ

2015年06月02日 18時11分38秒 | Weblog

 次女たちが帰って行ったので、少し時間ができた。こちらにいた時もそんなに縛られていたわけではないが、1歳になった孫娘は誰かが見ていないと何をするか分からない。いなくなってみると多少は気を遣っていたようだ。1歳の孫娘がいる時は出来なかった押入れの中を整理しようと思ったのに、何か気が抜けてしまい中途半端になってしまった。またいつものクセで、まあそのうちやればいいじゃーないかと自分に言い聞かせている。

 私はどちらか言えば几帳面で、整然としていれば満足だった。娘たちが一番嫌うのは、食事の後直ぐに食器を片付けるクセで、「まだ食べているのに」と怒っていた。私としては、食べているものまで片付けてはいないのだが、「忙しくなるから止めて」というのだ。食事は家族揃ってが基本だったので、ワイワイとおしゃべりしながら食べた。それは私が望むスタイルだったが、食卓の上にいつまでも汚れた食器が置かれているのがいやで、つい片付けてしまう。

 娘たちが子どもの頃、食器洗いは子どもたちにやらせていたが、これがなかなか上手く分担できなかった。食洗機を買ってみたが、食べたものを洗い流して収めなければキレイにならないので思った以上に手間がかかる。時間がない娘たちは「パパがやればいいじゃん」と言う。私の子どもの頃の流しは木造で、夜中に見るとナメクジが這い回っていて、流しに食器を置いたままにしておくと、今でもナメクジが出てきそうな気がしてしまうので、流しはいつもキレイになってないと気がすまない。

 それでも長い間、自分以外の人と暮らしてきて、私の思いだけを求めてもうまくいかないことが分かってきた。几帳面さも次第に角がとれて、ズボラというか曖昧でいい加減なところが圧倒的に増えた。歳のせいもあるのか、周りがグチャグチャになっていてもさほど気にしなくなった。今では、どこに仕舞ったのかを忘れ、大騒ぎして探すことが多くなった。整理整頓が好きだったのに、探すのが嫌で目につくところに置いてしまう。そうするとまた、どこだったのかと探さなくてはならない。困ったものだ。

コメント
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