「高畑」といえば、NHKテレビの朝ドラ『とと姉ちゃん』の主人公の高畑充希さんだったのに、息子の不祥事以来、母親の高畑敦子さんが画面に登場することが多くなった。息子のことを知らなかった私は、「とと姉ちゃんはこの人(敦子さん)の子どもだったの?」と聞いて笑われた。高畑敦子さんはシングルマザーだが、男性が異なる子どもがいるそうで、「そういう女性だから子どもはああなるのよ」と陰口を言われている。
20歳を過ぎた成人なのに、親はいつまでも「育て方」を問題にされる。相模原市の施設で19人もの命を奪った事件でも、「親はどういう育て方をしたのか?」と話題になった。子どもが犯罪を行えば、いつも親の責任がついて回るが、そう世間が問題視するのもきっと、我が身に降りかかるかも知れないという恐怖があるからだろう。他人をバッシングすることで我が身を守ろうとしているように思えてくる。
高畑敦子さんは平謝りする以外に何が出来るだろう。彼女が何人かの男性と恋に落ちたことが問題だとすれば、桐島洋子さんのように父親の違う子どもを産み育てた女性は犯罪の元とでも言うのだろうか。「私はひとりの異性しか知らないのに」という妬ましさがどこかにある気がしてしまう。人は自分が出来ないことに嫉妬するものだから。
『とと姉ちゃん』は、商品テストの結果を自らの雑誌で発表したために、商品の製造業者から度々嫌がらせを受けるが、決して謝ることなく毅然と立ち向かう。確かに『暮しの手帖』はユニークな雑誌だった。自らが「試験」し、その実践に基づいて記事にしていたことで読者を増やしていった。読者と編集者が同じ目線で見ることで共感を生んだのだ。編集長の花森安治さんはちょっと変わった人というより、変人そのものだった印象がある。
人はどこでどんな風に変わるものなのだろう。