友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

葬儀の話から世界の危機へ

2016年09月12日 18時48分11秒 | Weblog

 今日は大和塾の9月例会。24日の姜尚中さんを講師に迎える市民講座の最終打ち合わせが課題だった。それが終ると自由な時間となるが、いつの間にか葬儀の話になってしまった。司会者である私がぼんやりしていたせいだが、亡くなられた塾生の息子さんに参加してもらったこともあり、葬儀で困った話からどんどんと進んでいってしまった。

 最高齢の女性が葬儀屋に「私の葬式は儲からないわよと釘を刺してあるの」と言う。「それだけではダメよ。やはり文書にして残しておかないとご家族が葬儀屋さんにまるめ込まれるわよ」と注意が飛ぶ。「葬儀を何度も経験した人はまずいないから、どうしても葬儀屋さんに教えてもらうことになる。葬儀屋さんが悪い人でなくても、世間体とか、亡くなられた方の恥にならないようにとか、親身になって相談にのってもらっていると、結局、高額な費用になってしまう」と言う。

 「香典返しも告別式の日に行えば、税務署は葬儀費用とみるけれど、四十九日が明けてから行うと別途な費用とみられるそうで、だからその日のうちに香典返しをと勧めるわけです」と経験者が語る。「戒名をいただいたら50万円もかかった」と言えば、「今、インターネットを見ると、戒名でお困りの方に2万4千円で授けしますというものもある」と落差の大きなことにびっくりする。仏教が葬式中心になったのは江戸時代の徳川幕府の政策の結果と言われる。

 鎌倉時代のように仏典の解釈を巡り新興仏教が生まれた時は、救いとか悟りとか、かなり真剣な論争があった。だから新しい宗派がいろいろと生まれた。徳川幕府は信仰心で戦う者の怖さをよく知っていたので、仏教集団を分断し、寺に閉じ込め、儀式化させることに成功し、葬式仏教になってしまった。今、檀家が減り続け、寺の存続が危ぶまれてきて、僧侶の一部は本来の仏教へ立ち戻ろうとする原理主義に向かっている。

 24日の姜尚中さんの演題は「成熟社会の在り方」であることから推測すると、世界的に起きている時代の変化を取り上げるのではないだろうか。民主主義制度の疲労が顕在化してきた。私たちは葬儀の話に終始してしまったが、日本を代表する知識人からどんな話を聞くことができるのか、ますます楽しみになってきた。

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