友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

林部智史の『あいたい』の切実さ

2016年09月29日 16時59分30秒 | Weblog

 朝は激しく雨が降っていた。今日は誕生日会のゴルフ。昨日、先輩に「明日のゴルフは大丈夫ですか?」と聞いた。先輩は「大丈夫でしょう」と言い切る。何しろ晴れ男で、どういう訳か必ず雨が止んでしまうから不思議だ。私はゴルフをしないので、雨の中で大変だなあと思っていると、午前中に雨は上がり陽まで差してきた。やっぱり先輩は晴れ男だ。

 以前、「どうして晴れると分かるのですか?」と聞いたことがある。「念ずれば通ず、ですよ」と真面目に言う。「何事もそうあって欲しいと願えばそうなるものです」と誇らしく言う。思いの強い方に神様も加担するのかも知れない。旧約聖書もそんな話が多い。それにしても午後からは風が強くなってきたからゴルフは大変だっただろう。反省会に私も呼ばれているがきっとそんな話になるだろう。

 私は一日中家にいて、溜まった要らないものをせっせと捨てる。絶対にもう不要なものなのに、どうしてこんなに溜め込んだのかと思う。そんな時、悲しい歌が聞こえてきた。林部智史さんの『あいたい』である。若い男の人なのに高い声で、絞るように歌う。テレビ画面で見ると、歌う表情も切なすぎる。別れた人を偲んだ歌なのだが、ぞっとするほど辛くなる。

 「あいたい あいたい 誰よりもそばにいた あいたい あいたい 愛して何処へゆく あいたい あいたい うつろう季節の中 あいたい あいたい 歳月は止まったまま」。歌詞だけ見ればそれほど切実な感じがしないのに、林部さんが歌うのを聞くとやり切れない気持ちになる。まだ、72歳の自分の中にも共鳴できる感性が残っているようだ。

 テレビで見ていたアメリカ映画の中で、妻は夫と分かれて新しい恋人と生活を始める決心をしたのに、夫はそれまでの身勝手で家庭を顧みない生活を詫び、「愛しているのに、分かれることはない」と妻に言う。すると妻は「肝心なのは私がどう感じるかということ。彼には愛を感じるの」と言って出て行く。このセリフに「なるほど」と感心した。さて、もうそろそろみんなが帰って来る頃だ。

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